暮らしのまなざし

カテゴリ:日々のいろいろ( 607 )




最近、久しぶりにマジに笑ったこと

朝のラジオを聞いていたら、アフリカの民族音楽が流れてきた。
♫デーマラマ〜、マンデセラワ〜♬
女性コーラスにひとり聞き覚えのある声が…。
よく考えたら、
園で一緒に働いてるおばちゃんの声だった。
笑った。


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by zuzumiya | 2017-05-23 20:14 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)

夢のなかの街

時々、不思議な夢を見る。
何処なのかわからないが、きっと世界のあるいは日本の何処かにありそうな、やけにリアルな街の風景のなかにいる。
昨夜の夢は、早朝、アジア系の仏教の寺院を彷徨っていた。観光に来ているようで、ひとり朝の散歩を楽しんでいた。石の階段を下りようとすると、向こうから信者らしき人々がぞろぞろと集まって来て、邪魔しちゃいけないと焦って下りていく夢だった。
こういう夢の中の街の風景は今まで見てきたTV番組や映画のシーンや写真なんかの影響なのだろうか。それとも、それらがうまく合わさって脳内で作り出された架空の街なのだろうか。もしかしたら、夢の中のリアルな街は自分の前世で見たり住んだりした街の記憶なのか。パラレルワールドの考えに惹かれる私は、何処かでもう一人の自分がいて、時々、時空のいたずらで互いの住んでいる世界をちょっとだけ垣間見ることができる。それがなぜか都合のいいことに夢の中、というのがいいんだけど、どうかな。


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by zuzumiya | 2017-05-20 09:32 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

母の日=妻の日

子どもが小さい頃は母の日に威力があった。子どもも夫も家族中がお母さんを讃えた。感謝された。母の日は家族の一大イベントだった。しかし、子どもが大きくなると夫は「母の日は本来、子どもたちがやるもの」とイチ抜けたとばかりに関係ない素振りをしだした。自分の母(私にとっての義母)へのプレゼントだけで手いっぱいのようだった。まぁ、夫の言うのがいつだって正解で難癖はつけられないが、なんだかなぁと虚しく思う。そうでなくても妻にサプライズ的なプレゼントなどしたことないし、誕生日やクリスマス、結婚記念日などもこちらが先に匂わさなければ目立ったアクションは起こさない。クリスマスなど「面倒だし、金もかかるから互いにやり取りはやめないか」と言われた年もあった。夫だけじゃなく、世の夫族はおそらく本音では似たようなものじゃないかと思うが、ここで言いたい。子どもが大きくなっても、母の日は妻の日として捉えて、子どもとは別にこの機会に妻へプレゼントを贈ったらいいんじゃないか。きっかけがないとなあんにもできない、したがらない男たちへ。
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by zuzumiya | 2017-05-14 18:37 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

私の吉田さん2

詩人のくせに花が嫌いと言ったのは白石公子だったか。あれは切花だったかもしれないが、花の捨てどきがわからないというのが嫌う理由の一つだったと記憶している。
昨日、恐ろしいものを目撃してしまった。
以前に我が家の隣人としてブログにも登場したことのある心やさしい腰の低い吉田さん。彼がまたしても朝早く(連休なのに寝ていられない人なのだ)庭にしゃがんで何かしている。見ると咲き終わったチューリップを葉がまだ青々と勢いづいてとんがっていたにも関わらず、端からバシバシ引っこ抜いていた。球根の類のものは上手に育てれば翌年も咲いてくれるものとは知っていたが、私もめんどくさがりで咲き終わったヒヤシンスを数日迷った挙句、ついに先日、みんな引っこ抜いて見ないようにしてゴミ箱に捨ててしまっていた。同じことをしている吉田さんの姿を見て「ああ、吉田さんも翌年まで育てられないタイプなのね」といつにも増して親愛の情を深く抱いた私であった。
しかし、翌朝、とんでもないことが発覚した。いつもの出窓から何の気なしに吉田家の庭を見ると、咲き終わったチューリップだけでなく、昨日までわんさか咲いていたはずのパンジーまですべて引っこ抜かれ、更地化していたのである。
「なんでまた、パンジーまで!」と思わずつぶやいた。
実は我が家の玄関脇にもパンジーの鉢植えがある。そういう種類なのか、パンジー専用の肥料が残ってもしょうがないと園芸素人の私はやたらにあげていたら、ぐんぐん背丈が伸びて、伸びたからにはだらしなく垂れ下がり、たしかに花は付いているのだが葉がぼうぼうですこぶる見栄えが悪くなっている。時々、忙しさにかまけて水やりを忘れると、色が紫だけにまるで「花のお岩さん」のような恐ろしい姿になる。おそらく吉田さんは毎朝、我が家のパンジーの有様を見て「ああはなりたくない」と思っていたのかもしれない。それとも、チューリップ前夜にあの気の強い奥さんに何か酷い言われ方をされて、とてつもなく悔しい目にあったのかもしれない。あの優しそうな吉田さんがきれいに咲いているパンジーまでむしり取る(何故か表現がキツくなっている)とは、どうしても思えないのである。そうせざるをえない何か大きな事件があったに違いない。それとも、去年の夏に花壇がいつの間にかナスときゅうりとプチトマトの菜園化したので、強引な奥さんの命で、咲いているにも関わらずパンジーを泣く泣く(今度は泣いている)抜き取らされたのかもしれない。それとも、それとも、吉田さんは私が思っているような善良な吉田さんではないのかもしれない。実はそう考えるのがいちばん、わくわくするのである。
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by zuzumiya | 2017-05-07 16:21 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)

母の凄さ

昨日、母の家に息子カップルと一緒に行ってきた。母の部屋をぐるりと見回すと、つくづく母はほんとにすごいセンスの持ち主だと思った。母は植物を育てるのに長けているので部屋中に大小様々な観葉植物がある。しかも「これって何?」と名前を訊きたくなるような葉の形が不思議なものがあって、いつも行くたびに新種が増えていて驚いてしまう。母がすごいと(自分の母親自慢をしているようで申しわけないが)思うのは今のように「エバーフレッシュ」や「モンステラ」がファッション雑誌のページを飾って流行るうんと以前に家で大きく育てていたことだ。もしかしたら今人気の「フィカス」あたりも前に育てていたかもしれない。植物だけでなくとにかく何でも、流行になる前に母は自分で気づいて暮らしの中にお気に入りとして取り入れる先見の明のある人なのだ。なにせ、ディスコが火のつくうんと前に神奈川の246沿いで今では伝説となった某ディスコを始めたママさんなのである。
母の家のインテリアは凄い。鏡張りの部屋でTVの取材も来たこともあったが、とにかく和洋折衷どころの話じゃない。外国旅行が趣味だった時期もあり、部屋はあらゆる国の土産物と雑貨で埋まっている。あっちの棚には仏像が、こっちの棚には天使とベネチアングラスが、壁にはエジプト柄の絵皿も北欧っぽいのも並んであり、トルコのタイル壁画に、バリ島の目をひん剥いた鬼のようなお面も飾られている。午年の人だから馬の像がいたるところにあり、そこへ「できるだけ苦労をしたくない」と梟が加わり、好きな猫となぜだが成金趣味の豹と象まである。息子が「あれ、何?」と訊いた先には水牛の角が2本おったっていた。縁起がいいからとインド旅行で蛇を首にまいた写真を自分の油彩の絵の隙間に飾っている。ベネチアングラスや江戸切子、アンティークっぽい紅茶のカップ、様々な瓶、バカラのような高そうなグラスの類が鏡ばりの壁一面に並べられ、間接照明にもこだわるタイプなので足元にはアジアンっぽい籐や絵柄のフロアライト、棚にはステンドグラスやガレとかアールヌーヴォー調のテーブルランプ、そうかと思うと女神が筒状の電灯をもたげているようなえらくヨーロピアンなフロアランプもあり、本も新聞も読まないくせにアルコランプがにょっきりぶら下がっていたりする。昔、母から「これ、高かったんだよ~」のふれこみで貰った寝椅子が、めったやたらに猫に爪とぎされて邪魔になり粗大ゴミに出したところ、あとからル・コルビジェのシェーズロングだったとわかり、愕然とした。どうも母という人間の性格が胡散臭いせいで、持っているブランドがすべて偽物、まがい物のような気がしてしまい、娘の私は粗末に扱ってしまう。今でも必ず母に思い出され怒られるのは、母から貰ったプチダイヤのネックレスが幼い娘が遊んでいた庭の砂場に無造作に放られていたことだ。価値のわからない私にくれるものはどうせ偽物だろうと勝手に思い込んでいて、娘の遊び道具になっていたのだった。今思えばそういうわけで娘はブランド好きなのかもしれない。母はアクセサリーや腕時計の類もごまんと持っていて、うん百万する腕時計もアンティークっぽい猫脚のキャビネットにそれらしく飾ってあるのだが、価値の分からない私はいつでも素通りである。
とにかく母はありとあらゆるテイストの家具や雑貨や照明が観葉植物とともに部屋中にごっちゃに飾り立ててあるのだが、それが不思議と違和感がなく、どれかひとつが浮き立つこともなく、全体が調和してシックに見えるのだから凄い。アジアンもアンティークもレトロもインダストリアルも北欧もアメリカンもみんな一緒こたなのにきれいに収まって、例えていえば、インテリアショップや雑貨屋さんの様相なのである。そういう中でアイランドキッチンのカウンターにこしかけてインスタントラーメンをすすっていたりする。凄い。私はそういう母の遊び心というか、感性を血の半分は引き継いでいるので、たしかに母に似てインテリアや植物、映画、音楽、アート好きだが、センスはまだまだ母の足元に及ばない。あんなにあらゆるテイストのものを置きながら、ごちゃまぜ感を出さずにオシャレにまとめている配置能力が自分にはない。
私も照明が好きで、下心を持ちながらベッドにあったガレの黄色いランプを褒め、アジアンにも和にもレトロにもなれそうな陶器のテーブルランプをちらちら眺めていたら、なんと母がくれた。聞くと母の自作のランプだという。一時期、母は陶芸もやっていたのだ。意外といいものを作るのでマジに驚いた。離婚を繰り返し、子供は誰ひとり育てず、仕事は水商売一筋で、今ではお客や従業員にカリスマと言われている母。置いていかれた子供としては人間性はハテナだが、美意識、センスだけはおおいに褒めてあげられるのである。
で、そういう母であるからして母の日のプレゼントほど悩ましいものはない。何をあげても既に持っているか、ダサいと言われるかしかない。でも、柄がネッシーの長い首の形になっているカラフルなお玉を「これ、かわいいでしょ」と見せてきて、「ほら、鍋やると鍋からネッシーが…」と子供のように喜ぶ母なので、変わったものならなんでもいいのかもしれない。しかし、帰り際、母から「母の日は観葉植物ね」と催促されてしまった。何をあげていいのか、母が喜びそうな変わったものがあるのか、値段は手頃か、これからネットで探しまくりの日々である。
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by zuzumiya | 2017-05-07 15:00 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

無難にまとまるな。

デスク届く。ウォールナットのシンプルな北欧とも昭和ともとれるもの。引き出しはあるが取っ手すらない。取っ手を何にするかでアンティークになったり、インダストリアルになったりしそう。デスクライトでアジアンにもなる。茶色の幾何学模様のベッドカバーともよく合う。猫どもはサラサラのリネンの感触にうっとりとして横になっている(このカバーだけで9000円近くした)。猫毛が付くのが嫌でカバーリングしたのにもう抜けた毛が束で付いている!アームチェアに爪研ぎされないように猫どもが気づかぬうちにお洒落な布でもふわりとかけておきたいが、はてさてベッドカバーとの兼ね合いでまた悩む。イメージは畳の部屋ではないが、北欧と昭和の和洋折衷でシックなブックカフェ風(笑)。買い残ったのは本棚ひとつとラグマットと読書椅子のためのフロアランプ、最後にできればペンダントライトまで買い替えたい。インテリアは無難にまとめようと思えば楽である。インダストリアル風なら木製とアイアンを外さずに、みたいに全てがパズルのピースを埋めるがごとく決まって行く。でもいろんなテイストのものをそこここに配置しても全体的にいい感じに、その人らしく個性的にまとまっている部屋が素敵だと思う。それがデザインだ。センスだ。どこまで遊べるか。
息子の彼女が2泊してくれたおかげで夫と会話が戻った。昨日はみんなでお好み焼きを作ってビールで乾杯した。今日は歯医者と観葉植物の鉢の植え替えをする。眼科と髪のカットは明日かな。なんだか忙しく暮らしている。

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by zuzumiya | 2017-05-06 08:28 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

連休、満喫。

a0158124_1744563.jpg連休中にやろうと思っていたことのひとつ、庭の草むしりは終了した。
それから、私の部屋の観葉植物を置いてあるミニチェストのペンキ塗り。ガーリーな薄いピンクだったが、部屋の雰囲気が変わったので、紙ヤスリをかけてウォールナット調のダークブラウンに塗り替えた。アンティークっぽく変身して大満足。110センチ幅のホワイトのデスクは夫にあげて、新たなデスクが今週中に届くのを待つ。
今日は息子の彼女が泊まりに来ている。大画面でみんなで映画を見るつもりが私が眠たくなってしまった。そういうこともあろうかと、夕方、ひとりで「写真家ソール・ライター、急がない人生で見つけた13のこと」を見ておいてよかった。カラー写真がすごくいい。雨粒のついたガラス窓越しのNYの街の風景が素敵。写真集が欲しくなった。今、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで写真展がやっているが、せめてもポストカードとか売ってるかなぁ。職場の友人と来月に行く予定。明日はベッドカバーが届く。息子と彼女と母のところに顔を出すつもり。この連休中に髪をショートにしなくては。


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by zuzumiya | 2017-05-04 22:38 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ブックカフェというよりメンズの部屋へ

黄金週間に息子カップルに車を出してもらってIKEA立川に行ってきた。読書椅子として、定番のポエングという一人掛けチェアーを買った。アームはダークブラウン、座背面は布製でデニムのような色合いのダークブルーにした。革張りだと、もしも猫の爪研ぎの餌食になった場合、悲惨なことになるのである。大きな椅子なので座り心地はいいのだが、予算の関係でフットスツールまで買わずにきたが、やはりあった方がもっとリラックスできる。ひとつ椅子を買っただけで部屋の雰囲気はガラリと変わり、前より大人っぽくメンズライクになっている。早速、椅子が映えるようにベッドを動かし、引っ越してきて以来の模様替えを行った。ここのところ、毎日、ネットで買い物をしている。一生懸命働いて稼いではいるが、家に金も入れつつ一人暮らしなみに保険や衣食の全てを自分の金で賄っているので、ギリギリの予算内でやりくりしなくてはならない。フットスツールを諦め、アームランプやラグマットを諦めて、CD用の棚を買い、変わってしまった部屋の雰囲気に合わせたベッドカバーを買い、今さっき悩みに悩んで在庫1点につられてついにデスクを買ってしまった。ウォールナット材のシンプルな飽きのこなさそうなデスク。ベッドを動かしたためにデスクを小さくしなければいけなくなった。しかし、引き出しがひとつしかないため、デスクまわりの小物や書類を収納する方法を新たに考えなければならなくなった。頭が痛い。当初の予定ではデスクを取り払って本棚を並べるつもりだったが、家庭内別居の続く中、デスクは食卓も兼ねる重要アイテムだと再認識した。猫たちには申し訳ないが、母から貰ったツリーハウスのような猫タワーを処分して空いたスペースに今後は本棚を置く予定である。デスクは買ったがチェアは諦め、今あるもので我慢し来月にまわす。先月今月とインテリア関係の買い物が続く。のめり込むとそれしか見えなくなるタイプで、肝心の読書は進まず、インテリアのネットサーフィンに飽きるとhuluでドラマばかりをみている。アメリカのドラマにサラ・ジェシカ・パーカー主演の「Divorce(離婚)」いうのがあって、複雑な気持ちで見ている。見終わった後はなんとなく暗くなるので宮沢りえ主演の方の「グーグーだって猫である」を見るようにしている。猫ものを見ていると、うちのももちゃんがテーブルに乗って一緒に見だすのが不思議だ。連休まえに歯の詰め物が取れてしまった。歯医者通いでまた金がかかる…。
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by zuzumiya | 2017-05-04 00:15 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

家の表情

通勤で通る道に新築の家が売られていた。
幟がはためいて、玄関脇の駐車スペースのコンクリも真っ白なピカピカの家を見ながら、最近になってインテリアに凝りだした私は「いいなぁ。私だったらどんな風に住むかなぁ」とぼんやり考えながら自転車を走らせていた。いつ売れて、どんな人たちが引っ越してくるのかが楽しみで、なんとはなしに気にかけていた。ある時、立っていた幟がなくなって「アレ?もしや?」と思って庭側に回ってみると、リビングのサッシにレースのカーテンが掛けられ、庭に押し手つきの三輪車と子ども用のちっちゃな青い長靴が転がっていた。「ああ、幼い男の子のいる家族が引っ越して来たんだな」と思った。去り際にもう一度家を見ると、吊るしたカーテンの一方の裾がめくれてクシャっとしていた。それだけでもう、今まで見てきた新築の家のあのしんとしたちょっと冷たい建物の感じがなくなって、急に家全体が所帯じみた野暮ったさとひと気のある雑多な温かさに包まれて、なんだか「どんな風に住もうか」と考えていた自分が妙に馬鹿らしく可笑しくなってきた。とにかく「ああ、よかった、よかった」とうれしくなったのだった。

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by zuzumiya | 2017-04-29 09:14 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

有資格と無資格の保育

今、うちの園はハローワークに保育士の求人を3人出しているが、一向に人が集まらない。待機児童の話から保育士の給料が低すぎることが一時話題になったが、国はたったの2%上げると言っただけだった。給料の低さの話題の際に保育士のハンパない仕事量まで明らかにされてしまったために、潜在保育士はついに職場に戻っては来ず、またなり手も依然少ないままで、どの園も人手不足は解消されていない。おそらくは求人自体は変わらず多いのだから、より条件のいい方、給料の高い方から順に決まっていっているのだろう。金を積まなきゃ、人は動かないのだ。
そういうわけで非常にキビシイ労働を日々強いられているが、人が来ない限りは現場が無理をするしかないので、我々、非常勤のパートたちが時間数、日数を増やしてしのいでいる。しかし、今の現状を考えてみるに、新たに人が来たとて、障がい児を多く抱える、しかもいまだ手のかかる3歳児クラスである。担任たちが障がいについて知識や経験があるのかといえば、「ない」のだそうで、園長も手探りの状態だと白状していた。それなのに子どもを引き受けざるをえないというのは、果たして園にとっても親御さんにとってもよいことなのかどうなのかと思ってしまう。新入りが来たら、いわゆる“加配”と言われる障がい児にマンツーマンで付く保育担当になる。配属先が分かった段階で、給料が安いうえに一筋縄ではいかない障がい児担当となると尻込みする人もいるだろう。知識と経験がないと体力的にも精神的にもつらいはずだ。うちのクラスには少なくとも加配が必要な子が3人もいるのである。私が本来の勤務時間に戻れるのはいつになることやら、と思う。
って、今日の話題はそういう愚痴ではなかった(笑)。
保育士の資格って本当に必要なのかと思ってしまうことについて、今日は書きたかったのである。うちの園では早番遅番の延長時、あるいは日中でも昼食やお昼寝などの時間帯には担任のフォローのために非常勤が入る。非常勤とはパートのことで、二通りあって有資格者と無資格者がいる。この資格の有り無しがごちゃまぜになって一緒に保育しているというのが、実はときどきすごく引っかかるのだ。無資格でも長年保育に携わっているおばちゃんたちというのは、有資格者から見たらどのように扱うべき存在なのかわからない。保育歴から言えば私なんかよりずうっと長い無資格のおばちゃんたち。彼女らには彼女らの「長年、子どもを見てきた」というプライドがあって、それぞれ自分は仕事ができると思っている(フシがある)。ならば、保育に保育士という資格が果たして本当に必要だろうかと疑ってしまうのである。彼女らに言わせればきっと「資格なんか実はいらないのよ。給料のための紙っぺらよ。子どもさえ育てたことがあればいいの」だろう。じゃあ、資格ってなに?何のためにあれだけ勉強して、「遊びとは?」「発達とは?」って研修して、報告書書いて、会議してやってきたのか、ということになる。賃金の差はあるにせよ無資格者を雇って「子どもを育てたことがあれば(実際、育てたことのない人もうちの園にはいる)誰だってできる」みたいなことが、どこかで保育士を社会全体が「子どものお守り」のように低くみる風潮に繋がっているのではないかと思う。たしかに人手不足もあるのだが、いまだに保育士が国家資格の専門職と重く見られないのは、そういう悪循環にある気がする。
もっと言えば、うちの園は例えば早番遅番の延長時はクラス担任が帰ってしまい、子どもの日中の活動や健康状態など簡単な挨拶程度の話は資格の有無に限らずパートが引き受けている(怪我など重大なものは当番の正職が伝える)が、担任が帰った時点で、どこか本来の「今日の保育」は終了して、あとの延長時間は「怪我さえさせなきゃ、それ以上の保育の質は望まない」ふうな、園や正職側の“妥協の感覚”があるのではないかと思う。そうでなければ、少なくとも正職の担任が帰ってしまった後なのだから、責任の所在のこともあるし、有資格者で経験のある保育士をピシッと揃えておきたいはずである。まあ、そこにも人手不足という問題があるのかもしれないが、無資格で長年勤めているというおばちゃんたちの保育に対するいっぱしの発言権が次第に大きくなっていくというのは、どこか違う気がする。
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by zuzumiya | 2017-04-26 23:15 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

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