暮らしのまなざし

カテゴリ:日々のいろいろ( 607 )




もっと爽やかに疲れたいんだ

生きていると悩みは尽きない。考え事をしていて、ついブレーキから足が浮くのもさもありなんと思うので私は車の運転を諦めた。
正職員を辞めて非常勤のパートとしてゆるやかに、あんまり頑張りすぎないで保育に関わって行けばいいやと思って今の園に決めた。家から近いし、時間のわりにお金がいい。保育の考え方、その実践のしかたの合う合わないなんかは本当は働くうえでとても大事なことなんだが、パートだし、時間が短いし、で深く追求しないでいくつもりだった。でも、もう2年目にして週5日、1日8.5時間も働き、しかもよりによって障がい児を何人も抱える難しい3歳児クラスにいて、いろいろ考えるなっていう方が無理になってきた。パートだから、正職員からの指示に従って動けばいいんだというのは雑用の時だけである。子どもと接する際はもちろんすべてが保育だ。子どもにとってはパートも正職員も役割分担もない。目の前のこの私という大人から学んで行く。子どもたちのためにこれでいいのかな、どうしたらいいんだろう、と保育について考え悩むことは正直尽きない。疑問や不満の投げかけを職場の人間と共有したい。一緒に建設的に解決していきたい。休日にもかかわらず、録画した教育テレビや専門書や保育士のサイトを覗いてどうすべきかをひとり考え込んでいる。一日の何時間も費やす仕事に対して目を逸らさずマジメに向き合えば、日々はきっともっと変わっていく。楽しく面白く、納得と信念をもって仕事したい。そういうところで爽やかに疲れたい。
今度の週末に開かれる保育の研修会を見つけた。“支配や管理でない保育”という言葉にとても共感する。“保育士おとーちゃん”こと須賀義一さんのセミナーだ。ブログを読んで素直に行きたいと思った。しかし「行ったところでどうなる?」ともう一人の私が待ったをかける。長いことかけて出来上がった園の風土は一人の熱血漢が騒いだところで変わらない。保育士ボヘミアン。自分の思いと合う園を探して歩くにはもう年を取りすぎた。給料に見合わない正職員の仕事量の多さも分かっている。でも今のままじゃ何もかも中途半端な気がする。意識すら高めるのにもこんなふうに迷うなんて情けない。

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by zuzumiya | 2017-06-25 07:05 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ついに達成!

ミニボーナスが入って最後のペンダントライトを購入して、ついに部屋の模様替えが完了した。購入したもの、本棚&CD棚、デスク&チェアー、読書用フロアスタンド、読書用一人掛けチェアー、チェスト、ラグマット、ベッドカバー、ペンダントライト。50代の今の自分に似合った黒茶紺白でまとめた落ち着いた雰囲気の部屋になったと思う。あとは本とCDをチマチマと買い足していこう。いい部屋だ。頑張って働いてよかった。
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by zuzumiya | 2017-06-23 23:59 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

褒めて伸ばす

「プレバト」なるテレビ番組で、一芸に(いや二芸にも三芸にも)秀でた芸能人がさらに俳句や華道、書道、水彩画なんかに挑戦して、才能のあるなしを競い合っては一喜一憂している。面白いのは俳句の時の渡辺えりさん。脚本だってエッセイの類だって書くような文才のある彼女が俳句では手も足も出ない。「才能なし」に選ばれた時のあの恥入りながらも本気で不服そうな顔。番組的には大いに盛り上がるが、結構本人はへこんでいるんじゃないかと思わせる。芸能人たちのそんな姿を見るたびに、私なんかは「一芸に秀でているんだから欲張るなよ、もういいじゃん」と言いたくなる。芸の世界にいるからこそ「才能」という言葉にあれほど敏感に貪欲になるんだろう。
「Aスタ」でもエレカシの宮本さんがロッキング・オンの山崎さんにデモテープを聞かせに持っては来たけどなかなか渡せないというエピソードを知り、作り手の持つ繊細で奥深い逡巡を感じた。その逡巡の機微を分かってあげられないとあの女性DJとの一件になるんだろう。
夫がどういうわけか突然、漢字検定の試験を受け始めた。「何で漢字検定なの?」と訊いてみても「漢字に強くなりたいから」としか答えない。何かに夢中になり、努力してそれが結果としてちゃんと認められる、そういう経験が欲しかったのかなと私は勝手に解釈している。学生時代、国語の成績が良く、クイズ番組でも漢字問題での正解率が高くて、家族から一目置かれていたゆえの漢字検定でもある。でもね、ほんとに大事なのは漢字検定は代償行為なんだろうなということで、彼にとってはたとえ一級に受かったとしても満たされない何かが残りそうな気がする。たまに次々に資格試験を受けて資格に拘る人がいるが、そういうことなんじゃないか。身近な誰かに口先だけでなく心から認められること、そういう自信がなくて欲しいこと、心はそっちを求めているんじゃないかな。
保育をしていても、遊びの中でたくさんの子どもたちから口々に「せんせい、見て」と言われる。目は二つしかないのにあっちもこっちもなので本当に大変だが、急がずひとりひとり、ひとつひとつ着実に具体的に褒めていく。私は子どもたちには人気がある方だと思っているが、それはユーモアがあって面白いのといつもどこかを褒めてくれる(洋服であっても褒める)からだと思っている。こんなに小さいのに褒められたくてうずうずしていて、褒めてくれる人を心から求めていて、みんな自分の存在を認めてもらいたいのだ。そのために懸命に頑張っている。そんなふうな心の帰着をしながら、テレビを見たり、生きている。





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by zuzumiya | 2017-06-18 09:04 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

知るってことを端折っちゃいけない

読書をしている私の背後で息子が「行ってきます」という。彼女の家まで毎度のことながら車で行くのだ。この「行ってきます」のきますの部分のかすれ声の感じが今日はなんだかやけに耳に残る。嫌な予感があるわけじゃないが、これも先日、息子の彼女を送って車で千葉まで家族で行った経験があるからこそなのだろう。あの遠さを思えば、無事に行って帰って来いよ、の切実さが違う。知るってことを端折っちゃいけない。
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by zuzumiya | 2017-06-17 09:55 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

生きているのに一緒にいられないのは死んじゃっているのと変わりない

今日みたいに夜中の2時半に何故か目覚めてしまって、トイレに行ったら眠気が飛んでしまった夜はいろいろと考えてしまう。例えば、母とのこと。
母は今、ようやくひとり暮らしをしている。9つも下の最後の夫は、長年の浮気相手と寿司屋でデート中にくも膜下で倒れた。車椅子生活の後、ガンを発病して死んだ。その後、やっぱり年下の面倒見のいいボーイフレンドと同棲したが、浮気され、その浮気相手が自殺未遂を起こしたため別れた。「もう男はこりごり」と言って、私たち子どもに財産分けを始めて家や車を買ってくれた。そうして私は母のいるマンションから出た。
夫との離婚が頭を掠めるたび、母のことを思う。小さい頃、あれだけ一緒に暮らしたかった母が今ひとりなのだから、元気なうちに一緒に暮らして互いの人生の中に失われた親子の時間を取り戻そうなんて思ったりする。そうやってなんとか最後に納得のいく母とのいい思い出を作ろうとしている。でも、じゃあ、どうするかと考えればいつだって堂々巡りだ。母にはお気に入りの自分のマンションの部屋と5匹の猫との生活があり、引退したくない仕事があり、私にも食べていくための仕事があり、好みに作り上げたばかりの部屋がある。「私は本当はマンションより一軒家が好きなの。庭で家庭菜園なんかやりたいの」と言いつつも、私がたとえ夫と別れても母は住み慣れたマンションを出てこの家には来ない気がする。理想は今のこの家を建て替えて二世帯住宅にすることだが、大金を使った母はもうそこまで大掛かりなことはしたがらないだろう。私がこの家を出て、母の持つマンションの5階に住むのがいちばん実現可能な話なのだが、それでも所詮10階と5階の離れ離れだ。9階に住んでいた昔と変わらない。しかも5階の内装のラブホテルのようなオレンジ色の壁と鏡ばりだけは勘弁してほしい。それなら、週末ごとに私が母の部屋に泊まりに行く手もあるが、正直、5匹の猫がうざったいのと貴重な週末が削られて休んだ気がしない、疲れがとれない。日曜だけが休みの母もきっと同じだろう。と考えていくと、笑ってしまう。なあんだ、結局私は、たぶん母も、このまま離れて暮らすのがいちばん都合がいいのかと。いつの間にか私もそんな風に親離れしていたんだな、と。そうして一周ぐるりと回って、つくづく私たち親子は縁薄いんだな、と認めざるをえないのである。同じような話が私と娘にもある。中学や高校から家を出たり入ったりの娘との親子の時間はあまりにもなかった。今も彼氏と同棲していて、このままなら数年後には結婚するだろう。母娘のかような因縁が続くなら、娘には是非男の子を産んでもらいたいと思う。
生きているのになぜだか一緒に住めず、離れ離れの方が互いにうまく行くなんて、持てる時間は有限なのにどうにもならないなんて、なんともせつない話だなぁと思う。生きているのに一緒にいられないことは、実は死んじゃっているのとあんまり変わりないなと思う。生きていればいつでも会えるさ、というのは違う。いろんな口実を作って先送りにして、つまりは互いに会いたくないんだろう。会わなくても別にいいや程度なのだ。それって、死んじゃった人を時々ふと思い出すみたいな薄さだ。凄いよな、生きているのに互いの頭の中ではもう死んじゃった人と同じレベルに落ちているなんて。喧嘩しいしいでも面倒くさくても一緒に住むっていうことの大事さを思う。


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by zuzumiya | 2017-06-17 08:53 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

きっと思い出になる一夜

職場の友人と渋谷でソール・ライターの写真展を見てきた。図録やポストカードを買ったり、本屋さんで写真集や雑貨を見たり、カフェで食事をしてたくさん話して、帰りは特急にまで乗って贅沢に帰ってきた。家には息子のカノジョが来ていて、サプライズで20歳の誕生日を祝うことになっていた。夫が予約したホールケーキを受け取り、娘カップルもプレゼントを持って駆けつけ、皆でハッピーバースデイの歌を歌って祝った。夫がロウソクを大きいの4、5本じゃなくて小さいの20本にしたために(彼なりに見映えを考えたらしい)火を付けるだけで時間がかかり、チャッカマンのガスはなくなるわ、飾りのチョコレートは溶け出すわ、ケーキは蜂の巣のように穴だらけになるわでハプニングが続出してそれが笑いを生んだ。記者会見のように携帯のカメラをいくつもかざされ、もうずっと家族でケーキを囲むことなどなかったというカノジョは、最後に息子からプレゼントを渡された時には我慢の限界で涙を光らせていた。娘カップルが車で帰る時、見送るために外へ出た。隣近所も網戸越しにそれぞれテレビの音や喋り声が聞こえていて「案外、外に聞こえるもんなんだね」と言いあったが、「それなら大の大人が5人で手拍子で歌ったさっきのハッピーバースデイの歌はさぞかしうるさかっただろうね」と言って、また笑い合った。最後は息子カップルと私たち夫婦で静かにお酒で乾杯した。すぐに酔っ払う私は「もうダメだ」を連発して、ヨロヨロになって化粧も落とさず寝てしまったが、なんか、すこぶるいい一日だった。
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by zuzumiya | 2017-06-11 08:46 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ボディブロー

私なりに「わからないな、これでいいのかな」と戸惑いながらも懸命に事故や怪我を防いで多動児を保育してきたつもりだが、研修を二日ばかり受けた若い正職の娘がいきなり「替わります」と子ども見をしていく。いやぁ、別にいいんだけどね。ま、若いし、研修で教わったことを実践したいんだろうし、熱意があるからね、いいんだけどね。多動児を叱って泣かせて、威圧的に保育して「意のままに」できていると思い込んでるフシがあるんだけどね、誰も指摘しないけど。
自分はこういう風に勉強したからそれを試してみたいというような意図をちょこっと説明してくれてもいいんじゃんないの。それが連携ってものなんじゃないのかね。あなたには難しい子の保育は無理よ、パートは手足になって動いていればいいのよ、でしゃばるな的な匂いがするのよね。あなたには研修で教わった貴重なことを何一つ教えようとは思わない的な。泣いてる子をさあこれからなんとかしてなだめようとしている時に「替わってもらってもいいですか」だってよ。で、人が替わると子どもって気分が変わって泣き止んだりするからやりきれない。指示をしないとか伝達しないより、保育に対して自信や意欲を失わせるいちばん効果的な方法だね。新人にコレやってたら必ず辞めるだろうね。ボディブローのようにくるイジメ、だわね。


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by zuzumiya | 2017-06-08 22:48 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

岡村ちゃんに頼ってる。

別に何か嫌なことがあったわけじゃないんだけど、ちょっと元気出して気持ちを上げたいな、という時、私は岡村ちゃんを聞く。アルバム『幸福』が好きで特に「ラブメッセージ」は彼のチャーミングさが出てて、とても同い年のオジサンとは思えない。52歳のオジサンに可愛いなんて感じるのはおかしいよねぇ。でも歌の中の岡村ちゃんはほんと昔と変わらず愛らしい。実は凄い読書家で真面目で歌詞ほどチャラくないんだろうなとは思っているんだけど、岡村ちゃんの理想のカップルは今でもジョンとヨーコなんだろうか。そういうところもクスッとくるほど大好き。
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by zuzumiya | 2017-06-07 20:54 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

宿題終了

土曜日に取りかかるはずが、夕食後、疲れていたのかダウンしてしまい、宿題の作文は日曜日の今日、何とか書き上げた。一部、担任の指導の批判と捉えられるかもしれない書き方をしてしまったが、どうしても必要で、後でフォローはしてあるものの女の職場である。気分を害されたら軽くいじめにあう可能性も否めない。いじめとは私にだけ伝達が来ないとか、指示を出さないとかである。ああ、コワ。
息子の彼女来て、夕食はタンドリーチキンとキーマカレー&ナンにした。
吉田篤弘さんの最新作「ブランケット・ブルームの星型乗車券」が図書館から届き、夜の読書が楽しみになる。少しずつ読もう。アップルTVにチェット・ベイカーの伝記映画「ブルーに生まれついて」が来ている。うれしい。





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by zuzumiya | 2017-05-28 22:00 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

今、いちばん困っていること

そういうテーマで事例をあげて、夏の法人全体の研修に備えて作文を書かねばならない。悩ましい。ほんっとにこれが悩ましい。
なにせ、保育士の人手が少ないのと発達障害児に対する知識と経験のある保育士がいない、そういう園の現状を暴露しないで書かなければいけないからだ。ヘタなことを書くと園側の圧力で書き直させられるそうである。
そういう園のメンツやらを考えてたら、どこまでほんとうのことが書けるか、私の文章力では自信がない。つまり、訴えたいことがきちんとあるのにうまく避けながら、でも何か「こういうことかもしれないな」と読み手の心に残したい、そんなふうに伝える技術は私にはないのだ。言いたいことはキチンと言う、これ以外に文章に熱は込めようがない。もって回った言い方じゃ、何も伝わらない。薄まってしまう。
事例を出せというのもキツイ。事例を出すことでその現場に居合わせて、何が起きていたか思い当たる保育士は必ずいるから、疑問を呈したりすれば、それは保育士の保育批判になりかねない。
例えば、多動児の問題行動に対して、強く叱りつけて必ず泣かしてしまう保育士がいる。泣くことで高まった興奮がシュンと落ち着く即効性はあるが、そうなることで他の保育士は「泣かせることで話が入るならあの子にとってはそれはしかたのないことなのかもしれない」と思いやすい。いつしか泣くほど強く叱りつけることがデフォルトに定着してしまう。今日は叱りつけた保育士が思わず手が出たのか、たまたま当たったのか、子どもがおでこを机にぶつけて泣いた瞬間を目撃してしまった。以前の園でも多動の気がある子どもを保育士がすがる子どもの手を振り切って突き飛ばしたりもした。それだけ多動児の保育士に与えるストレスは大きいのだが、でも、泣かせてしまうことがほんとに仕方がないことなのだろうか。泣かせる以外に興奮を下げる方法を持っていない、引き出しがないだけじゃないのか。よほど危険な行為をした時なら分かるが、ご飯を食べない、寝ない、教室から出ようとするぐらいでいちいち泣かせるまで叱ると「あの子は何度泣いたらいいのか…」と思い、これを知ったら親御さんはどう思うかと暗くなってしまう。いつ何時、親御さんに見られてもいい保育を心がけたいものだ。
社会でも保育の現場においても声の大きい強い口調の先生がビシッと叱ることで場が収まると、それでコントロールできたと見なされ、力のあるいい先生と思われやすい。でも、見方を変えれば、私には犬が吠えたてて羊の群れを柵に入れて行くみたいに思えて「子どもたちは羊か…」とげんなりする。泣かすほど叱れない自分への正当化なのだろうか。今週の土日で作文を書き上げなければならない。気が重い。




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by zuzumiya | 2017-05-25 22:11 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
by zuzumiya
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