暮らしのまなざし

カテゴリ:わたしのお気に入り( 186 )




またしても優男にやられる

前々からドラマや映画でお洒落な人だなぁと思っていたのだが、最近、「おかしの家」というドラマでだんぜん好きに傾いてしまった。オダギリジョー。彼の出演作をざっとネットで調べてみたが、このドラマがすごく自然体な気がして、もわっとした温かみとシャイで煮え切らないダメダメな優男感がいちばん出ていて、好きだ。でも、年々、目の下のクマが濃くなっているような気がするが、大丈夫だろうか。
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by zuzumiya | 2017-04-30 06:59 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

どんな町に住みたいですか?

a0158124_1629599.jpg黄金週間が始まったが、日頃のストレスと変な疲れで朝の4時台に目が覚めてしまい、ちょうど東京が悪天候の頃に昼寝をしていた。夜は息子の部屋でhuluでドラマ三昧(私の部屋にはテレビがない)だ。
昨日はペイデイで正職時代より高給になっていてびっくり。頑張ったかいがあった。階下でポップコーンを頬ばりながら「湯を沸かすほどの熱い愛」を見た。ここのところ、読書は進まず。
huluにはいくつか興味のあるドラマがあって、マイリストに入れておき、毎日仕事が終わるとご飯を食べながらチビチビ見る。今は漫画「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」の実写版があって、不動産屋さんの物件見るの好きだし、街紹介が楽しいので見ている。雑司が谷、住みたい町だなぁ。私も重田姉妹に相談するとしたら「気持ちのいい図書館やお洒落な本屋さん、緑が豊かで、昭和な雰囲気の商店街や喫茶店の残る町」がいい。毎回、街紹介の最後に重田姉妹がようやくという感じで物件に連れてくる。空っぽの部屋を見せると、なぜだか借り手のお客さんの心のネジが緩んで、ポツリポツリと今までのつらかった人生を語り出す。姉妹はそれをじいっと聞いてやる。そんなこんなで借り手は思いも寄らなかった街の新しい部屋と新しい暮らし、新しい自分を手に入れる。不動産屋さんって、新しい人生の導き手なんだなって思った。結構、毎回、さりげなくセリフの中でいいことを教えてくれる。「生活が停滞すると人生も停滞する」とか、「失敗は終わりじゃない、始まりだ」とか、「人生は欲しいものがひとつひとつなくなっていく道。欲しいものはないけど失いたくないものはある」とか…。面白いことに猫たちもテレビを見るのが好きなようだ。何かというと飼い主の私にひっついて居るんだけど、飼い主の私が真剣に見ていると、一緒になって見ているところがカワイイ。音楽の趣味も、バッハとか静かなピアノ曲とかうっとりとした顔で聴いている。たぶんこの私がそうやって育ててきたのかと思うと笑ってしまう。
二匹の猫を代わる代わる撫でながら、好きな時に好きなものを食べて、のんびり好きなドラマや映画や本を見てるだけで何処にも行かなくてもぜんぜんいい日々なのである。


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by zuzumiya | 2017-04-29 22:22 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

「ねことじいちゃん」に癒される

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雨戸を閉めないせいか、休日だというのに朝の5時から猫どもの大運動会が始まる。うるさい。ドアを開けて、だだだっと階段を降りて行った隙に閉め出す。フフフ。

疲れがたまった週末は本も読む気にならない。
映画「永い言い訳」を見てから(小説読み切ってない)、漫画「ねことじいちゃん」を読み返す。作者のねこまきさんのブログを見ようとしたら、なんと3巻目が発売中であることを知る。シャワーを浴びて買いに出るか!

※最近見た映画「ハングリー・ハート」「恋人たち」
ドラマ「おかしの家」

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by zuzumiya | 2017-04-22 07:57 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

『フォトグラファーズ・イン・ニューヨーク』で好きになった写真家

a0158124_22425462.jpgこの一週間、正職の先生よりも多く働いた自分にご褒美のフライドチキンを片手に映画を楽しんだ。『フォトグラファーズ・イン・ニューヨーク』。ニューヨークの街を撮り続けている15人の写真家を追ったドキュメンタリー。大学時代の彼が写真を専攻していた影響で映画の中に出てきたウイリアム・クラインやロバート・フランク、ダイアン・アーバスなんかは知っていたけど、新たに好きな写真家を見つけた。ジェフ・マーメルスタインとブルース・ギルデン。どちらもAmazonで写真集が買えるようだが、どちらも一冊、万超えする値段だ。ジェフの『Sidewalk』なんて3万円以上もする。二人ともニューヨークのストリートに出て、街行く人々の流れの中にいて、一瞬を逃さず躊躇せずガンガン撮影していく。ジェフの方は肩に乗ったサルがラッパーのような粋なポーズを決めていたり、デブチワワが新聞の束の上にいっちょ前に仁王立ちしていたり、肥った男性が本をハンバーガーのように口に咥えていたり、彼独特のユーモアと人間の可愛らしさ、おかしみ、温かみにあふれている写真。ギルデンの方は街行く人にいきなり真正面からカメラを構えて背景に一瞬バッとフラッシュをたいて身動きできないところをバチッと撮る。これも彼独特のやり方で彼が選んだ被写体もちょっとエグい魅力の、個性的な顔つき体つきの人ばかり。一瞬の人間の表情がすごく面白い。ギルデンはこの強引な方法で日本のヤクザにも体当たりしてフィルムに収めたというから凄い。モノクロの『GO』という写真集らしいが見てみたい。今やブログには写真がつきものなのに、タラタラと文章ばかりの私のブログ。よく皆さん、読みに来てくださいます。ありがとう。精神的に余裕ができたら是非とも私も写真を載せていきたいです。
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by zuzumiya | 2017-04-07 22:45 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

アーティストのドキュメンタリーが好き

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新年度が始まった。園長が読みを誤って辞めた人間が予想外に多くて、残った人間で保育をやりくりせねばならない状況になった。私は難しい子が多くいるクラスの手伝いに今週いっぱい入ることが決まっていて残業することになっている。お金にはなるがうまく務まるか非常に不安である。自分は保育士の資格と経験があるから仕事はしているが、適性は疑わしいといつでも思っている。だから、正職を辞めて、パートでのんびり無理せず身の丈でやろうと決めたのに、何故か仕事運が私をより難しい方へ、悩める方へと導いてしまう。休日もクラスのことを考えたり、図書館から紙芝居を借りてきて読みの練習なんてやっていたら、まるで正職の頃と変わらないじゃないかと思い、せめても最後の週末だけは自分らしさを取り戻して楽しもうと好きなドキュメンタリー映画を1本見た。『マドモアゼルC ファッションに愛されたミューズ』という作品。以前にもhuluで『ファッションが教えてくれること』という邦題のアメリカの『VOGUE』の編集長アナ・ウインター(映画『プラダを着た悪魔』のモデルになった女性)のドキュメンタリーを見たが、今度はフランスの『VOGUE』の元編集長セリーヌ・ロワトフェルドの話である。
私の中のある部分はファッションや写真や音楽やアートのようなクリエイティブな世界をこよなく愛している。日芸に進んだのもいずれ日本でMVが盛んになると見越して、作れるようになりたかったからだ。だから、写真家やアーティストたちの伝記や仕事のドキュメンタリーを観ているとなぜか無性に心が弾んできて血が騒ぐ。「こういう世界っていいよなぁ」と50を過ぎても少女のように目をきらめかせて憧れがまだくすぶっている。
フランスの『VOGUE』の編集長だったセリーヌ・ロワトフェルドが10年間の編集長の座を捨てて、自分の頭文字をつけたオリジナルなファッション雑誌『CR』を新たに完成させ世に送り出すまでを追ったドキュメンタリーなのだが、『ファッションが教えてくれること』もそうだったが、もはやアートと呼べるような見事なファッションページを作り出すアイデアが斬新で奇抜でユニークで、観ていて面白くて胸が高鳴る。服を売りたいがための服がメインの宣伝ページではなく、もはや主役の服を超えて、ある物語のワンシーンを作っていて、たしかに服がそれを彩ってはいるが服がすべてを担っていないというようなアートフォトを生み出しているのである。それを仲間内でああでもないこうでもないとやりながら作っていく様はすごく刺激的でスリリングで、でものめり込むくらい楽しそうで、映画を観ながら「私だったらどういう物語、シチュエーションを考えるかなぁ」なんてワクワクする。そういえば、常盤新平さんのエッセイにもアニー・リーボビッツがローレン・ハットンというモデルのヌードを撮りたかったが断られたので、体に泥をかけて「泥を着せた」という話が出てきたが、アートにはそういう自由な発想、心の解放があるから、ムラムラと元気が出てくるのだ。保育を含めて日本の教育のような何かの型にはめたり、個性を重んじるとは口先だけで「みんなで、みんなで」と集団から外れることを良しとしないような世界で日々がんじがらめになっていると、こういう人とは違う斬新さが求められるようなアートの世界の映像を見ると、ほんとに心がスカッとする。だから、時々、私はこういうアーティストたちのドキュメンタリーを見て、「こういう世界を好む自分が好き」と生きる力をもらうのだ。作品を観た直後は「明日から金髪にして保育園に行ったろか!」と一瞬とんでもない気合が入るところもいい。






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by zuzumiya | 2017-04-02 22:21 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

老け込む理由

a0158124_1759891.jpg今日のように薄ら寒くてシトシトと雨の降る日は絶好の読書&昼寝日和と本をかかえて電気毛布の中に潜り込んでしまう。若い頃は雨で嫌だなとは思いつつも、休日は友人と誘い合わせて電車に乗って都心まで遊びに行ったものだが、いつからこんなに出不精になってしまったのか。「雨の日は寝てるに限る」とか「雨の日は静かでいいやな」だなんて、これが年をとったということか。そんなことをつらつら考えていたら、待てよ、と思った。
エレカシの宮本浩次が「遁生」という曲を発表したのが24歳ぐらい。その若さだと“老成”という言葉がぴったりくるけど、51歳の今の私にはもう“老成”だなんて言葉は使えない。それでは中年が老境の心理に頷いたり、年寄りじみた考えをするのは何と言えばいいのか、ぴったりした言葉を誰か知らないか。
性格なのかなんなのか、なぜか私の読む本は“ジイさんもの”が多い。書き手がジイさんである随筆、エッセイの類が好きなのだ。しかも、最晩年のものを選んで読む。先日も詩人の天野忠の随筆集を買ったし、庄野潤三や小沼丹、永井龍男、長田弘、山田稔、荒川洋治、神吉拓郎、津野海太郎、木山捷平、常盤新平、久世光彦、井伏鱒二、みんなジジイか、とっくに死んでいる。
そういう老境のものを好んで読み、BGMには静かな墨絵のようなピアノの曲ばかりを流して日々を暮らしている。そんなんだから、頭の中が妙に年寄りじみて、まだ51歳なのにどんどん老け込んでジジむさく(ババむさくとは言わないのは何故?)なっているんじゃないかと、ふと気づいたのである。
最近では、常盤新平のいうところの“リトル・ピープル(庶民)”の暮らしぶりや欲のなさにうんうんとただ頷いて、読んでいてまったりしてしまう。例えばこうだ。
<もっとも、何ごとにも動作も考えもおそくなっている。歩いていると、どんどん人が追いこしてゆくし、電車も混みあう急行は避けて、各駅停車に乗ったりする。時代にもはるかにおくれてしまった。「それでいいんじゃないですか」とYさんは笑う。「年相応、分相応ということがあるんです。僕なんかお天気のいい日に庭いじりをして、夕方ひと風呂あびて、ビールが飲めたら十分です。それから好きなテレビを見たり、本が読めたりしたら」欲張ってはいけないと私もわが身に言いきかせる。望みはなるべくささやかなほうがいい。多くを望むのは若い人たちにまかせる。>とか、
<コーヒーが飲みたくなって、小さな喫茶店に行きつくと、ほっと一安心する。土曜日というと、早起きだ。金曜日の夜にいくらおそく寝ても七時ごろには目がさめて、風呂にはいり髭をそり、食事もとらずに出かけてゆく。地下鉄で一時間ほどかかって街に着くと、目に入った喫茶店でトーストとコーヒーを注文する。それにゆで玉子なんかがついてくると嬉しくなる。>とか
<もう多くは望まない。日々の暮らしが無事であればいい。なにごともないのが正常な生活なのだ。>なんかを読むと、常盤さんやその友人知人たちの見事なリトルっぷりに「いいねえ」なんて頬が緩む。ほんとうは、常盤さんの50代は徹夜ばかりでものすごく忙しく、精力的に仕事をこなしていたのだが、そういうところはなぜか読み飛ばしている。<何もかも遠のいていくようだ。これも致し方ないのだが、それに慣れてしまった気もする。人に会わない日がつづき、電話もかかってこない日がつづくと、世の中に見すてられたような気はしないものの、年をとるというのはこういうことなのだとさとる。それは淋しいことだけれど、ぼやくに当たらない。みんなそうなのだから。>に、やっぱりニンマリしている。“ジイさんもの”じゃなく、佐野洋子や田辺聖子、最近人気の佐藤愛子などの“バアさんもの”も読んだりもするが、何故かあまり続かない。それは、彼女らが作中でみな元気すぎるだからだ(佐野さんは鬼籍にはいられたが)。元気すぎてシャンシャンしていて、誰彼かまわず怒ったり叱ったり、口うるさいのがしつこくてウザったくなるのだと思う。幸田文や武田百合子あたりはふんにゃり曲げた背筋をシャキンと伸ばさなきゃならぬ。ジイさんのぬるま湯に浸かったような、ほのあたたかい“ゆるやかな諦観”がいい塩梅で今の私には性に合う。単なる怠け心だとどこからか声が聞こえてきそうだが。

※< >内は常盤新平『明日の友を数えれば』より引用です。
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by zuzumiya | 2017-03-26 18:01 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

家族写真

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子どもたちが幼かった頃、外国映画に見る暖炉の上のように家族写真を小さなフレームに入れて棚にいくつも飾っていたことがある。引越しに引越しを重ねているうち、子どもたちも家族写真の甘ったるさに恥ずかしさを覚えるほどに成長し、主婦の私も並べたフレームの掃除の面倒さもあって、いつの頃か飾ることはやめてしまった。その後、家族写真の入ったフレームはアルバムやその他の撮りためた写真と一緒にダンボールに入れられ、どの家に引っ越しても天袋の奥にしまわれた。
夫が別居する際、その中から家族の思い出として画用紙ほどの大きさの一枚の額を持って行った。そこには大小の丸や四角の切り抜きがあって、そのどれにも幼い息子と娘、あるいは肩寄せ合って笑う家族四人が収まっている。再び同居を始めた時、その額はそのまま夫の部屋に飾られていた。ところが数ヶ月前、部屋の模様替えをした時に、夫が何を思ったかその額を出してきてリビングの壁に飾った。私はすかさず「もうこういうものは出したくないの。飾りたいなら今までどおり自分の部屋に飾って」と告げた。その時、夫と私の時間の流れ方の違いというか、家族に対する捉え方の隔たりをすごく感じた。なぜか夫の時間はこの笑顔の家族写真のまま止まっている、もしかしたら止めておきたいのかもしれない、と感じた。
映画やドラマで登場する家族写真はいつでも「こんな頃もあったのに…」という切ない気持ちを見ている側に起こさせる。たいてい主人公が家族写真を手にとり、ぼんやり眺めているシーンである。懐かしさと愛おしさと一枚の家族写真から派生してくる様々な暮らしのフラッシュバックと、もう戻れない取り返せない時間とそこから遠く隔たってしまった今と、そして最後に必ず「どうしてこんなことになってしまったんだ」「どこでどう間違えたんだ」という強烈な悔恨がふきだす。すなわち、その主人公の家族には握りしめている家族写真のように幸せや平和がそのまま続いてはいかなかった、儚く消え失せて惨憺たる真逆の現実になっているという哀しい証拠のように家族写真は扱われる。そう、過去の平和な家族写真は今の哀しみや不幸の証拠写真なのだ。
昨日見た映画『葛城事件』の家族写真もやっぱりそういう使命を帯びて映画で使われていた。家族へ対する愛情が暴君のような抑圧になっていることを自分では全く気づかず、妻や息子を萎縮させ、徐々に精神を蝕ませ、従順でも対人関係が苦手な長男はリストラのち自殺、妻は精神崩壊し入院、次男は引きこもりからの無差別殺人へと追いやることになる父親の役を三浦友和が演じている。その父親がやっぱり昔の家族写真をひとり見つめるシーンがある。そこには映画ポスターのキャッチフレーズ「俺が一体、何をした。」のつぶやきがどうしても重なってしまう。そういえば、妻より夫、女より男の方が映画やドラマで写真を見つめる率が高い気がする。昔から過去の思い出を吹っ切れず未練がましいロマンチストは男の方だからか。
そういう家族写真の使われ方を見てきたためか、私は子どもたちも成人した今さら、わざわざ幼い頃の家族写真をリビングに飾ろうとはどうしても思えない。そんなものを見たらどうしたって今をあの頃と比べてしまう。今の哀しみと不幸の証拠写真にはしたくない。夫が家族写真を飾ろうとする意味はもしかしたら「あの頃に戻りたい」あるいは「戻れないまでもここから歩いてきたことをしっかり憶えておきたい」なのかもしれないが、私の方は「もう終わったこと、過ぎ去ったこと、そこには戻れない。いまの私たちは誰もそこにはいない。すべては変わっていく。現実を見つめて今のお互いと向き合いたい」なのかもしれない。家族写真をリビングに飾りたがった夫だけが、なぜか家族写真の昔にとどまろうとしていて、そこからでしか私や子どもたちを見たくないような、変わってしまった家族を認めたくないような、そんな気がしてしまう。それは三浦友和が演じた恐ろしくも哀しい父親の一方的な愛情にどこか似かよっている気がして複雑でもある。


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by zuzumiya | 2017-03-20 21:04 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

郷愁の「The Rose」

a0158124_1384435.jpg鶴橋監督の影響でベット・ミドラーの「Experience The Divine」というグレイテストヒッツアルバムを出してきて聴いている。「Do You Want To Dance?」はもちろん、私の好きな「When A Man Loves A Woman」や聴くたびに涙腺をやられる「The Rose」が入っている。特に「The Rose」はいつの頃だろう、リリースが今調べたら1979年だというから14歳の中学生の頃だ。ある日、おそらくは日曜日のような休日の昼下がり。床に寝そべってラジオのFENを聞いていた。当時は洋楽に興味を持ち出した頃で、英語もわからないくせにラジオはいつもFENだった。トップテン番組だったかもしれない。「The Rose」の静かなピアノが流れてきた。何だかすごく悲しいような、でも同時に揺るぎない強さを感じる美しいメロディーと歌声に、歌詞が何にもわからないのに聴いていてつつーっと涙が流れた。「The Rose」を聴くたびに、あの日、寝そべりながら、台所で動いているおばあちゃんに気づかれないように涙をそっと拭って鼻をすすっていた14歳の多感な自分が昼下がりの柔らかい光の中に見えてくる。もう少し大きくなって、曲が使われていたジャニスの伝記映画も見たし、さらには歌詞の日本語訳も読んだ。「ああ、そうだったのか」と曲にまつわるいろいろを知って行ったが、そんなこととは別に私の中で「The Rose」にはいつでも郷愁のような懐かしさを感じてしまう。失われてしまってもう戻れないのに、あの頃はそうとも知らずに毎日を特別とは思わず、何ら疑いもせず、退屈やらちょっとした不満やらにくるまれてぬくぬくと暮らしていたんだなと。幸せってそういう時間の過ぎ方をすることを大人になった私は知っている。


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by zuzumiya | 2017-03-17 23:30 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

エレカシの「喝采」に寄せて

私は何でも人より先んじるより遅れをとる方だが、エレカシの宮本さんの歌うちあきなおみの「喝采」をようやくネットで見た。ちあきなおみの歌を歌う情報は知っていて、それが「喝采」であって、間違っても私の好きな「黄昏のビギン」なんかじゃないことは少し残念ではあったが、見てみて吃驚した。歌の上手さにほんとうに惚れ惚れした。二番めの歌詞に「喝采」を選んだわけがほの見えて「ああ、そうか」と納得もした。マイクを強く握りしめ、真剣に丁寧に歌う姿に、久しぶりに「私はやっぱり、この人が好きだったんだ」と心底思え、あの頃感じていた愛おしさとそこへ帰ってきた懐かしさに頬がゆるんだ。ファンは水ものと言っていたが、寄せては返す波のようだね。
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by zuzumiya | 2017-03-11 18:40 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

こんなCDを聞いてます

a0158124_1331869.jpga0158124_134549.jpgCDの棚をまじまじと見たら、ジャンルを越えてピアノものの多いこと多いこと。すべて単音や和音がぼわわーんと伸びて始まるような瞑想チックな、静かで穏やかで、まるで墨絵のような感じのものばかり。なんで同じようなものばかり買ってしまうのか。私が“雨と休日”という以前、西荻窪にあったCDのセレクトショップ(現在はオンラインショップになっている)のファンということもあるけれど、音楽をかける時というのはたいてい部屋で読書かパソコンで文章を書いている時というのが理由になりそうだ。
っていうか、常日頃その二つぐらいしかしていないのである。読書も文章書きも頭の中では日本語がぐるぐる回っているわけだから、そういう時に耳が日本語の歌詞を拾っちゃうともう読書も文章も一歩も先へ進まなくなる。だから、DJが曲の合間にペラペラ喋るラジオも聞けない。つまりは、私が選んできた音楽は読書と文章書きを邪魔しないもので、そうなると先に書いたような静かなピアノの曲ばかりになるのだ。そしてこれからも私の趣味が広がらない限りは、選ぶ音楽の基準はほぼ「読書と文章書きを邪魔しないものになる」ということに今日、深く気づいてしまった。ああ、そうだったか。
でもね、ほぼと書いたのは、私だって読書や文章書きの合間に掃除をしたり、風呂上がりにクリーム擦り込んだり、ネットショッピングしたりもするわけで、そういう時に流す音楽というのもあるわけで、そういう時は季節に合ったもの、その時の気分に添うものを選んでいるのである。以前にこのブログでも「春の窓ふきにはワルツが合う」とか「蒸し暑い夏の夜こそフィーリンがいい」とか書いた。洋楽だって、エレカシだって実はいっぱい持っている。
で、今回紹介する上記の二枚だが、雪の中の山小屋のジャケットがドイツの音楽家トビアス・ヴィルデンの『ARTIFACTS/SCENES PIANO WORKS』で、素足のイラストの方が森ゆにさんの『シューベルト歌曲集』。トビアスのピアノの音は「雪の結晶のよう」と評されているが、季節や昼夜を問わないと私は思う。B・ENOの『THURSDAY AFTERNOON』並みに鳴っていても読書と文章書きの邪魔にならない美しい作品。森さんは別にオペラ歌手ではないけれど、少女のように素朴にまっすぐにドイツ語で歌っているのがなんだか聞いていて心のふたが開くというか、明るい野原に連れ出されたようで気持ちが軽くなってくる。思わず窓を全開して部屋の拭き掃除をしたくなる。私のなかではそんな春モノの音楽のひとつ。両方ともおすすめです。


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by zuzumiya | 2017-03-04 14:03 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
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