暮らしのまなざし

カテゴリ:日々のことづけ( 281 )




翔く鳥が歩くとき

いつの頃からか鳥のモチーフに惹かれています。翔いている鳥のブローチにペンダント、机に飾る小さな置物、鳥の絵のついた栞、便箋と封筒、シール、メモ帳など。お店で見つけては思わず手に取ってしまいます。以前見たドラマで、翔く鳥の置物を気に入った女性は日々の生活にやるせなさを抱いていました。大空を舞う鳥の自由を心の奥底で求めていたのです。私も潜在的に彼女と同じ願望があるのかとふと考えてしまいますが、自分の翼で広い空をどこまでも飛んでいく伸びやかな姿は実に気持ち良さそうで、そして潔く美しいと思っています。人間はタンクと足ひれをつければ、海に潜って魚のように泳ぐことができています。でも飛行機やハンググライダーでなく、自分の腕に翼をつけて飛んでいくことはまだ出来ていません。だからでしょうか、人間は空に恋い焦がれ、翔く夢をいつまでも持ち続けています。
鳥といえば、霧雨の煙るなか、公園の芝生広場では鳥たちがせっせと餌を集めています。私が気に入って見つめてしまうのはムクドリ。声も姿もお世辞にも美しいとは言えない鳥ですが、とても愛嬌があります。少しおデブさんだから身体は重そうで、私が近づいて行ってもすぐに高く遠くへは飛んで行きません。そのおデブさんが見つけるたびにせっせとミミズや芋虫を口にくわえていて、餌場から離れるのが惜しいのか、飛び立たずに私の前を必死にお尻を振って歩いて行きます。その姿はとてもユーモラスで、可愛らしいです。公園にいる鳩なども、かなり人に慣れているせいか、後ろから普通に歩いて行っても飛び立たずに、ついには私と並んで平気に歩いていました。近くにある川から飛んでくる鴨の夫婦も堂々としたもの。散歩の犬にも怯えずに、歩き回ってひたすら食欲を満たしています。飛べるのに飛ばないでいてくれる鳥に出会うと、なぜだか少しうれしい気持ちになります。地上は危険がいっぱい、人間なんてとても信じられない、と思ってほしくはないのです。
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by zuzumiya | 2011-06-05 23:15 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

永遠の少年

家の近くの公園には毎朝たくさんのお年寄りたちが来ていて、仲間でウォーキングをしたり、ゲートボールをしたり、みんなで一緒に太極拳をしていたりします。午後に通りかかると公園の東屋や広場のベンチは腕を組んだおじいさんたちが陣取って、将棋盤とにらめっこしています。休日になると、お手製の紙飛行機をゴムで飛ばすグループが原っぱで空を見上げています。喜ばしいことにお年寄りたちはみな年をとっても楽しそうに元気に見えます。
先日、夜の8時頃でしょうか、仕事帰りに公園を通ってびっくりしました。「そこの地面に何かいる!」と思ったら、おじいさん二人組が薄暗い外灯の下で地べたに座り込んで将棋をさしていました。少し離れた東屋はもう真っ暗です。灯りが欲しくて芝生の上に移動してきたのでしょう。駒が乱れないように二人でそうっと将棋盤を手に持って、そろそろと移動している姿を想像したら、可愛らしくて思わず笑ってしまいました。
そういえば、真冬の頃もベンチで対戦している様子を何人ものおじいさんが取り囲んでずっと見下ろしていました。屋内でやればいいものをと思いましたが、夢中になって寒さを忘れている姿がどこか微笑ましく、その時も笑って帰ったのを憶えています。
可愛らしいといえば、紙飛行機のグループです。樫の木のどこかに乗っかってしまった紙飛行機を長い竹竿を持って「あれぇ? どこ、いっちゃったかなあ」と呟きながら心配そうな顔をしてうろうろと探し回っている姿は、もう少年そのもの。「男の人はロマンチスト」「永遠に少年のまま」と言われますが、おじいさんたちのああいう姿を見るにつけ、ほんとにその通りだなあと思えて、なんだか温かい気持ちになります。
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by zuzumiya | 2011-05-31 21:00 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

町のお地蔵さん

駅の横断歩道の脇にお地蔵さんの可愛らしい祠があります。いつ見ても見事な百合や菊など新鮮な生花が飾られ、子供が喜びそうなお菓子や缶ジュースが二つ三つ供えられ、祠の奥には折り紙の千羽鶴や風船が飾られています。お地蔵さんにはもちろん赤い帽子とよだれかけ。冬には顔が見えなくなるほどグルグル巻きで赤いマフラーが巻かれていました。どなたかが毎朝来て、祠のまわりを掃除して花を生けかえたり、お菓子を供えたりしているのでしょう。お地蔵さんは子供の守り神。いつでもきれいな祠の様子に、もしかしたらそのお方は早くにお子さんを亡くされたのではないか、などと想像したりもします。私も毎朝、信号を待ちながらお地蔵さんに「今日も子供たちをお守りください」と心のなかでお願いして出て行きます。
降りた駅、図書館へ向かう道の角にもお地蔵さんの祠があって、そこには三体のお地蔵さんが祀られています。そこのお地蔵さんのつけている赤いよだれかけは何と全て手編み。お願いだけして去っていく私と比べて、祠やお地蔵さんを熱心にケアする人には頭が下がります。先日、小雨のぱらつくなか、横目でお地蔵さんを見ながら「今日もよろしくお願いします」と心のなかでつぶやいていると、傘の先が何かにぶつかりました。狭い道なのでてっきり通勤の人の傘とぶつかったと一瞬不快に思ったら、祠の脇から伸びてきた紫陽花でした。まだ青く小さな若い塊に、ハッとしました。まるでお地蔵さんに「花に怒ってどうする」と嗜められているようで恥ずかしくなりました。お地蔵さんのおかげでそこに紫陽花があることに気がつきました。関東は梅雨入り。紫陽花がこれから色づいていくのが朝の楽しみになります。
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by zuzumiya | 2011-05-30 10:00 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

大人になってよかったなあ

最近は家族の帰りが遅くて夕食を作らなくて済んでいるので、ひさびさに独身気分を楽しんでいます。独身気分といっても、仕事帰りに一人で外食をしたり、スーパーやコンビニに寄って自分の好きなものだけ買ってきて、録画しておいたドラマを見ながらだらだらと食べる、そんなささやかな自由です。ごはんを作ったり、洗い物をしなくて済むことがこんなにも暢気でゆったりした気持ちにさせるなんて、やっぱり仕事と家事の両立というのは結構疲れるものなのだなあ、としみじみ思います。
今日もスーパーの帰り道、あまりにお腹がすいたので、レジ袋から小さなスナック菓子を取り出して、歩きながらぽりぽり食べていました。この年でそんなことするのははしたないとはわかっていますが、実は私は仕事帰りの「歩き食べ」が大好き。それだけで今日一日の疲れもすっ飛んで、なんでも「ま、いっか」と許せてしまいます。
横断歩道の前に買い物帰りのお母さんと子供が3人、信号がかわるのを待っていました。そこにぽりぽりスナックを食べながら私が近づいていくのは、あまりにもお行儀が悪すぎて、ちょっと憚られました。きっとお母さんは子供たちがお菓子をせがんでも「おうちに帰って、手を洗ってからね」と言ってしつけているはず。私自身も子供たちにそう言って辛抱させていました。親子連れから離れて食べていると「ああ、大人になってよかったなあ」と実感しました。大人になれば自分で働いて自由に使えるお金があって、誰に怒られることもなく、少々はしたなくてもこうして「歩き食べ」ができちゃうんですから。
子供たちを遠目に見ながら「大人っていいだろ〜」とほくそ笑んでいました。
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by zuzumiya | 2011-05-29 10:50 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

季節の移り変わりを夜の散歩で

暑くなってきました。図書館のカウンターに置かれる本がほんのり熱を帯びていて、返しに来てくれるお客様に「暑いなか、ありがとうございます」と声をかけています。
夜、帰宅途中に公園の木々の下を歩いていると、朝の新鮮さとは違った蒸されたような濃い空気があたりに満ちているのがわかります。一日陽の光に照らされてしなびた青葉が葉脈の隅々まで水を吸ってようやく休息でき、静かな眠りのなかで深く呼吸をしているような気配があります。視覚が邪魔しないぶん、嗅覚が鋭敏に立ってくれるのでしょうか。今が盛りのエゴノキの白い花にもほんのわずかな香りがあることを夜の闇のなかで知りました。それから木々や草むらの中から聞こえてくるジーという虫の音。キリギリスの一種ですが、この虫が鳴く虫のトップバッターで夏を連れてきます。時折、ほっとするような涼やかな風も吹いて、これからは夜の散歩が心地よい季節。秋にも感じたことですが、きっと季節は夜にひっそり移り変わっていくのでしょう。
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by zuzumiya | 2011-05-21 09:52 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

花のとりもつ縁

朝、雨上がりの緑美しい公園を通っていくと、前方にウォーキング途中らしきスポーツウエアの女性が花壇に向かって携帯を構えています。花壇には何種類もの花が植わっているので、どの花の写真を撮っているのか覗いてびっくり。私が毎朝通るたびにそのぷっくり膨らんだ大きな蕾に今日か明日かと気にかけていた芍薬がついに純白の花を咲かせていたのです。幾重にも重なった花びらに雨の雫が滴って、生まれたての清新な命のオーラにあふれていました。たった一輪なのですが、そこは芍薬、どの花も凌ぐ存在感です。彼女が足を止めて思わずカメラを向けたくなるのもわかりました。そして、微笑みながら横を通り過ぎて、ふと思いました。もしかしたら、彼女も毎朝のウォーキングの途中で私のように芍薬の蕾に気づいていて、花が咲くのを待ちわびていたのかもしれません。そう想像してみると、彼女と私は毎朝同じ花を同じ気持ちで見つめ、一日の励みにしていたことになります。よくテレビで、美しい花野を歩く人々が笑顔で行き交うのを見たりします。花を見つめていた笑顔がそのまま互いに向けられ、幸福な気持ちを分かち合っているのでしょう。見ず知らずの人にこんな親近感まで抱かせるなんて、花というものはつくづくやさしいのです。
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by zuzumiya | 2011-05-17 20:41 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

毎日の物語のなかに生きる

仕事が忙しくなると、気がつけば職場と家の往復の日々。夕飯を食べて気が緩んだところに今度は堪え難い眠魔が襲ってきます。朝がくればまた追い立てられるように家を出て、一日はあっという間に過ぎていきます。仕事をして責任も果たし、食べていくためのお金を稼いではいるけれど、それしかしていないような毎日に、電車のなかで「なんだかなあ」と溜め息がもれます。そんな時、気まぐれに開いた本が思いのほか面白かったり、流れてきた切ない恋の歌にやさしい気持ちや慰めをもらったりすると、やっぱり人には物語が必要なんだな、と実感します。この平凡な毎日がほんとうは恙無いありがたい毎日なのだと頭ではわかっていても、物語のような起伏や彩りやスパイスを求めてしまうのが人なのでしょう。この毎日を旅にたとえる人もいれば、物語にたとえることもできます。この今はまさに自分が作りだしている物語の一瞬。主人公も自分なら、筋書きだって演出だって自分なのです。「どう生きたって構わないのに、誰に遠慮しているというの。どうしてこんなに心が縮こまっているんだろう。もっと自由に、伸びやかに生きたっていいじゃない!」人生に主体的な気持ちを思い出させてくれるのが、私の場合、何よりも本や音楽なのです。
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by zuzumiya | 2011-05-16 21:13 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

おばあさんと犬

毎朝、近くの大きな公園を通って駅へ向かいます。よく出会うのは犬の散歩をする人々。いつも同じ時間なので、だいたい同じ場所で同じメンバーに会います。ちょっとおデブの黒いミニチュア・ダックスフンドと背の高いおじいさんのペア。おしゃべりが大好きな賑やかおばさん4人組と太っちょチワワ、パピヨン、ポメラニアンなど小型犬のグループ。公園の原っぱの中央にはいつもの仲良しグループがいて、小型犬がじゃれ合いながら走り回るのをレトリーバーのような大型犬が座って悠々と眺めています。毎朝の犬の散歩からはじまって、顔見知りになって親しくなるのを想像すると、犬を飼うことでも世界が広がるんだろうな、飼ってみたいなと思ってしまいます。今日は犬の散歩をしながら歌を歌っているおばあさんに出会いました。「じ〜んせいは、ワンツーパンチ、ほれ、ワンワンワンワン!」とすれ違いざまにそう聞こえました。水前寺清子の「365歩のマーチ」にしては歌詞がヘンなので気になって振り返ると、おばあさんの連れたシーズー犬が尻を持ち上げて小躍りするように激しくびっこを引いています。もしかしたらおばあさんは足を痛めた犬のリハビリにやって来たのかもしれません。犬を励ますつもりで「ほれ、ワンワンワンワン!」と気合いを入れて歌ってあげていたのでしょう。人間の年にしたら幾つなのでしょうか。意外と同じ年なんてこともあるかもしれません。そんなおばあさんと犬の関係にもどこか眩しいものがありました。
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by zuzumiya | 2011-05-12 22:05 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

いい年のとりかた

駅へ向かう自転車道は通勤通学の人々とウォーキングやジョギングの人々とが行き交い、毎朝賑わいます。途中の休憩所にはベンチがあり、今の季節、その真上に純白の藤が幾重にも垂れています。ある朝、その美しい淡い花の垂れ幕を三脚を立てて熱心に写真におさめている老婦人に出会いました。少しはなれた向こうからは「ねえ、こっちの雫もすごく素敵よ」と仲間が呼ぶ声がします。その声につられて見てみると、山吹の葉に浮いた雨の雫が朝日に照らされてキラキラといちめん銀色に輝いています。思わず、顔がほころびました。先日も図書館のカウンターで、ある老婦人がルノワールやモネらの印象派の画集を数冊置いて「この年になるときれいなものしか見たくないのよ」と苦笑するので、「いいじゃないですか、素晴らしいことですよ」と相づちを打ちました。純白に輝く藤や雫の芸術に心奪われた老婦人も重たい想いをしてまでも美しい画集を借りて行く老婦人も、三人ともいい年のとりかたをしているなぁとうれしくなります。
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by zuzumiya | 2011-05-11 06:40 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

思い出の歌がある幸福

機械オンチの私に夫がデジタルテレビでYou Tubeを見れるように繋いでくれました。久々に好きなアーティストのライブ映像やPVを見て楽しむことができました。検索をしてみたら、私が大学を出たばかりの20代の頃に好きだったアーティストの昔の映像が出て来て、懐かしさと共にまるで魔法の粒がプチンと弾けたように、一瞬にして恋する乙女だったあの頃に戻りました。テレビなどで、はとバスのツアーや懐メロ番組でお客さんたちがとてもいい表情で青春時代の歌を口ずさんでいるのを見かけますが、あの幸福な気分や気持ちのハリがなんとなくわかったように思います。アーティストの昔の映像は懐かしさはもちろんのこと、さまざまなことを私に思い出させてくれました。若くて何にもわかっていなくて誰かに守られていて、漠然と将来に希望を持って浮かれていた可愛らしい自分、幾度かの挫折、結婚して子供も得て母親になり、大事な人の死を経験して、いろんな生活の浮き沈みがあって、それでも何とか生きてきたのだなあという人生の感慨、深み。「それなりによかったよなあ」と寛やかな心で素直に自分の人生や今を肯定できたように思えます。そして、あの頃の自分を支えてくれたアーティストへの感謝の気持ち、恩のようなもの。今あらためて聞いても「ここが好きだった!」と熱くなれるメロディと歌詞。今も変わらぬ才能への深い尊敬。このアーティストを好きになれた自分への誇りみたいなものまで甦りあらゆる想いがないまぜになって、気がついたらとても元気になっていました。思い出の歌がある幸福。いつでもそこから人はまた生きていく元気や勇気をもらえるのでしょう。音楽に万歳!
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by zuzumiya | 2011-05-10 09:32 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
by zuzumiya
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