カテゴリ:日々のことづけ( 281 )

せっぱつまった状況でわかること

仕事が徐々に片付いてきている。
一時は「もうひとり自分がいればいいのに…」と思えたほどだった。
でも、ふと、そんなふうに考えたということは「ひょっとしてわたし、自分自身を信頼している?」と思った。日頃は自分のだめなところ、情けないところばかりに気がいって、「なんて、だめなんだろう」と落ち込むことも多いから、どちらかというと自分に否定的、自分が嫌いな方だ。でも「もうひとり自分がいさえすればもっと片付く、もっと楽になる」と思えた瞬間は、単純に自分の力を自分で信頼しきっていることじゃないかな。ものは考えようだけれど、なんだかそのからくりに気がついて、ちょっとだけうれしかった。
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by zuzumiya | 2011-11-14 08:27 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

「隙間の時間」の贅沢。

どこかに旅行に行くとか、お洒落してディナーを食べに行くとか、そんな非日常を味わえるほんとの贅沢にも憧れるけど、生活のなかにほんのちょっとの、すうっと心が晴れてくような、そんなささいないいこと。意外とそっちの方が幸福感がある。そう、変な言い方かもしれないけど、幸せってね、レベルを下げるともっとたくさん気づいて感じられるものだよ。
たとえば、月に2回ぐらい、いつもより早めに家を出て、通勤の途中のパン屋さんでモーニングを食べる。これが結構、いい気分なんだ。
勤め人たちが等間隔に並んだガラス張りのカウンターにトレイを持ってちょこんと座る。正面はちょっと離れて駅の改札。足早に通り過ぎてくスーツの集団に「いつもならあそこに自分がいて流されるように歩いているんだよな」なんて、幻の私を見る。サンドイッチをほおばると、ふと店内に小さくボサノバがかかっているのに気づく。「ボサノバか…」
何だか忘れかけていた大事なものをすうっと思い出したかのように、とたんにうれしくなって笑みがでる。
まわりを見ると、コーヒーを片手に俯いて手帳を覗く人、口をもぐもぐさせながら携帯のメールを打つ人、電車で読んできた本の続きのページを捲る人、みんな思い思いにこの「隙間の時間」をひとりで愉しんでる。モーニングセットのゆで卵をこんこんと控えめに机に打ち付けるのさえ、なぜだか心が浮き立つ。
きっとね、日々の生活のなかに、ふっと「隙間の時間」ができること、そしてそんな時間を自由に、ひとりきりで浸れること、それってささやかだけどすごく贅沢なことなんだよな。そして単純な私は「ああ、今この時っていいよなあ」とか「こういう自分、忘れてたよなあ」とかしみじみしながら、幸せな気分でコーヒーをすする。
お手軽だけど、ちっちゃいけど、大事なひととき。
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by zuzumiya | 2011-10-29 08:27 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

昼寝とすいかとアイス

やっぱり疲れていたんだなあと思います。
休日も思い出したように仕事をはじめて、ひと通り片付けて、冷房がほどよく効いた部屋でジャームッシュのなんだかよくわからない映画(あまりにつまらなくて、タイトルまで忘れてしまいました)を見ていたら、いつのまにか椅子でコテッと寝ていました。
夕方5時頃、のっそり起き出して、冷凍庫を見たら、アイスが!
夫が買ってきてくれたとのこと。「爽」という名の、アイスクリームとシャーベットを混ぜたような触感のバニラ味なんですが、甘すぎずさっぱりして私は好きなんです。
子どもの頃は昼寝から起きてぼーっとしてると、きまって、昼寝仲間の祖父が「かずみ、すいか喰うか」と誘ってきたものでした。
あの頃はよく、ステテコ姿の祖父と縁側で並んで、種をピッピと飛ばしながら互いに何にも喋らず、ぼんやりすいかを食べました。サクッと噛めば、寝起きの口のなかにやさしい甘みが流れました。私にとってのすいかはやっぱり食後のデザートというより、昼寝から起きた後の、あのほんのり甘い水なんです。
夕方まで眠ってしまった怠慢主婦の私のかわりに、夫が米を研いでくれています。昔もすいかを食べている背後で、祖母が米を研ぐ音が聞こえていました。
食卓でぼんやりアイスを口に運びながら、そのやさしい甘さに、なんだか子どもの頃の寝起きの、あの守られていた安心感を思い出しました。時は経ても、そばにいる人はかわっても、こんなふうに静かな安らぎに包まれる今をうれしく思います。
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by zuzumiya | 2011-08-15 21:36 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

世界を見つめるやさしいまなざしを育てよう

今、明治神宮で「海森彩生写真展」が行われています。これは「祈り、希望、海、森、再生」をテーマに一般とプロの写真家から集めた写真による写真展で、東日本大震災への復興の祈りの意味も込められています。趣味で始めた息子の写真が今回展示されているので、悪天候にもかかわらず夫婦で行ってきました。
それぞれの写真の脇には、その作品を撮った写真家の想いやメッセージが添えられてあります。「いつかまたこんなふうな美しい自然が戻ってきますように」「どうか希望を失わないで」。ひっそりと咲く小さな花や子供の無邪気な笑顔を捉えた写真に、そんな祈りや励ましの言葉が重なると「人間の魂って、捨てたもんじゃないよなあ」と胸が温かくなりました。
息子の作品は、二枚の小さなシダの葉に一筋の光が射してそこだけさみどりに輝いている、そんなささやかな一瞬を捉えたものでした。親として何よりうれしいのは、写真が選ばれて展示されたということより、私の知らないところで、息子が一人で、そういうピュアな目でこの世界を見て、大切にしたい美しい瞬間をちゃんと感じとったということです。そういうまなざしをもった人間として育ってくれていたということです。
我が家は息子が小さな頃から生き物が好きだったので、毎週のように田圃や川や林の自然のなかに連れ出していました。もしかしたら自然の中にいて、そのふれあいが今の彼の感性の土台になっているのかもしれません。
たとえば、小さな頃からプレゼントに、ぽんっとゲーム機は渡すけれど、カメラや顕微鏡や天体望遠鏡のようなものには大人はちょっと気がつきません。テレビをつければ悲しいニュースがたくさん飛び込んできますが、子供にこの世界の素晴らしいところ、美しいところをこそ見つけてもらい、そういう世界に生きていることを再確認して、自然も自分の生命も愛おしんでもらえるように、そんなプレゼントは効果的だと思います。
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by zuzumiya | 2011-07-20 00:48 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

暑中お見舞いに素敵な立体カードはいかが?

メッセージカードというのでしょうか。娘が私に「これ、お母さん、好きそうだから買ってみた」と素敵な立体カードをプレゼントしてくれました。まるで、しかけ絵本のような、紙でできた小劇場のような、手の込んだカードです。
昔、バースデイカードやクリスマスカードで、ボタンを押すとメロディが流れるものがありましたが、娘の買ってきてくれたカードも同じようなしかけがあります。
手前に木の柵(おそらくは橋の柵なのでしょう)があって、中央に川が流れていて、向こうにも小さく木の橋があり、明るい月夜の晩、橋の上で浴衣を着た女の子が団扇を持って、いちめんに飛び交う蛍を追っているという絵柄です。手前の橋の奥に草むらが左右に二つずつ段々にあって、たくさんの蛍が止まっています。夜空にも蛍が舞っています。
ボタンを押すと川の流れる水音がして、草むらと橋の上の蛍のいくつかがやんわりと黄色く光ります。同時に鈴虫など虫の音も静かに聞こえてきます。
ものの十数秒ですが、目は和み、涼やかな川音に癒されるひとときです。こういうカードはいかにも日本情緒という感じで、暑中お見舞いには最適だと思います。
最近はロフトや東急ハンズなどの文房具の売り場で、洒落た立体カードがたくさん売られるようになりました。藻や金魚の配置を工夫して奥行きのある金魚鉢のカード、水族館のウインドウのカード、ボタンを押すと花火の音がするカード、すぐに吊るせるモビールのカード…。楽しいものがたくさんあって、自宅だけでなく「児童室に飾ったら素敵だろうなあ」とつい買いたくなってしまいます。でも、児童担当なのだから、まずは自分で製作しなければと思い直し、今度は作り手の目線になっていろんな角度からチェックしはじめる私です。
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by zuzumiya | 2011-07-05 23:15 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

小さな幸せを探しながら

ここ2日ばかり、通勤や帰宅途中の公園で同じ女性を見かけます。年は30代から40代の大人の女性。何か考え事をしているように頬に手をあて、俯きながら公園の原っぱをゆっくり歩いています。ときどき歩みを止めてしゃがみ込むと、シロツメ草の表面を撫でているので、何かを落としてしまったのかと思いました。どうしたものかと遠巻きに見ていたら、ある時、はっと気がつきました。「彼女はもしかしたら、四葉のクローバーを探しているのかも?」そう思ってあらためて眺めてみると、俯く彼女の顔にもう悩ましさは飛んで、少女のような可愛らしい熱意が満ちています。だとしたら、四葉のクローバーは何に使うのでしょう。押し花ならぬ押し草にして、青々としたクローバーの素敵な栞でも作るのでしょうか。「見つけたら、絶対叶う」と信じたいような、何か願い事でも心に秘めているのでしょうか。まさに今、小さな幸せを探しながら歩いている彼女を思うと、なんだか胸が温かくなりました。
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by zuzumiya | 2011-06-23 21:23 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

公共施設に団扇はいかが?

東京は梅雨の中休みなのでしょうか。天気予報でも「今年一番の」がつく暑さになりました。これからは晴れるたびに最高気温が更新されてゆくことでしょう。本格的な夏へ向けて、街では節電が呼びかけられています。我が図書館でも冷房は気温が28度以上でないと原則的にはつけられないことになっています。そうはいっても、お客様の体調を十分に考慮しなくてはいけないので杓子定規でなく、臨機応変に対処していくつもりでいます。冷房がなかなか使えないなかで、考えついたのが団扇です。家庭に余っていたり、道端で宣伝にもらう団扇を集めて、色紙を貼ってきれいに装飾して、図書館の館内専用に使ってもらおうと始めました。児童室でも朝顔や可愛い動物の絵柄を貼ったものを作って、閲覧テーブルの上に「どうぞ、ご自由にお使い下さい」と書いて置いてあります。暑いなか、お母さんが赤ちゃんをだっこしてきて、「よっこいしょ」とソファに座るとき、団扇で少しでも涼めたら助かるでしょう。ちょっとぐずった赤ちゃんに「いないいないばあ」とやっているお母さんも見かけました。児童室だけでなく、一般の部屋の方にも団扇を置こうと考えています。美しい切り絵でもいいし、スタッフやお客様から募集した「節電川柳」などが面白く書かれたものもいいでしょう。
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by zuzumiya | 2011-06-22 00:06 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

短冊に見るドラマ

もうじき七夕です。今日、窓の外を軽トラックが荷台に大きな笹を一本積んで走って行くのが見えました。近くの幼稚園か保育所にでも届けにいくのでしょう。行った先の子供たちの笑顔を想像すると何とも微笑ましくなります。
我が図書館の児童室もすでに七夕飾りを始めています。色とりどりの短冊に書かれた願い事の数々。いちばん最初に吊るされたものが「被災地の人々に笑顔が戻りますように」だったことがとてもうれしく思いました。中学生の仲良しグループがよく勉強にかこつけてお喋りにきて困りものなのですが、彼女らにも短冊を渡すと恋愛トークに花が咲いてしまい、もう逆効果。「男子に見つかったらバレるからイニシャルにしなきゃ」とか「思い切ってキスしたいとか書いちゃえば?」とか、ああだこうだと大変な騒ぎ。でも、あの頃の気持ちが懐かしく思い出されて、つい、にこやかな顔になってしまい厳しい注意ができませんでした。後でこっそり見た短冊には「両想いになって、手がつなげるように」だったので、「なあんだ、こんな程度でいいのか」と吹き出してしまいました。
間違いを塗りつぶして必死に書いたひらがなの拙い短冊。「宿題が少なくなりますように」「テレビがもっと見れるように」「お菓子がもっとたくさん食べれるように」「サッカーせんしゅになれるように」…。いつの時代でも子供の夢は可愛らしいまま。
そして、毎年必ずどこかで見かけるものに、子供が自分のことより誰かのことを思いやるやさしい一文。「パパのからだがはやくなおるように」
胸がしんとなり、やがて暖かくなりました。小さな胸にこんな心配事を抱えて生きているのですね。私も願いましょう。パパのからだがはやくよくなりますように。
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by zuzumiya | 2011-06-20 11:07 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

あなたのまわりの「やんわり自慢する人」

例えばこういう人はいませんか?「最近、こういう仕事を任されちゃって参っちゃうよ」と始まる人。話を聞いていくと、表面的には面倒さや迷惑さを装いながらも、実はそういう厄介でちょっと困難な役目を「自分に任された」ことをスゴイだろ?と言わんばかりで、「でも、悔しいからなんとか頑張ってやり遂げてやったんだけどね」という話に落ちつきます。
私はこういう話を聞くと、すぐに誉めてあげます。それもかなり大げさに誉めます。
「そんなスゴイこと任されてやり遂げられるのは、やっぱり○○さんしかいないよ。私なんかダメだなあ。大変だったけど、そういう仕事は誰がやり遂げられるか、意外と上司はちゃんと見てるものなんだね」という具合に。そうすると相手はもう照れながらも満面の笑みで喜んでいます。さらにモチベーションが数段上がったかもしれません。
なぜここまで言うかというと、そういう話を普通に仕掛けてくる人というのは本人が意識しているいないに関わらず、誰かに「認めてもらいたい」「誉めてもらいたい」と強く飢えている人だと思うからです。仕事でも、おそらくプライベートでもそうじゃないかと想像できます。きっとあるがままの自分にはどこか満足できない劣等感や思い込みがあって、たとえどんな場に置かれても「私には○○がある」という自分勝手でもいいからゆるぎない価値を心に持てて来られなかったのかもしれません。その場その場で他人と比べることでしか自分の価値を得られなかった可哀想な人のような気がします。相手が喜んで満たされて、モチベーションが上がり、さらに前向きに頑張れるなら、誉めることなどなんでもありません。ただ私はその人の真の器というものがわかって、少し残念に思うだけです。
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by zuzumiya | 2011-06-15 08:08 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

笑顔が育てるものは

公共図書館に勤めていますが、この仕事は司書としての専門職というより、つくづく接客業だなと思うことが多いです。以前、益田ミリちゃんの『すーちゃん』本だったか、「接客業をやっていると、今度は自分がお客さんのときに店員さんが困らないようにちゃんと気をつけて注文する」という内容のセリフがあったと思うのですが、最近では私もそれと全く同じ気持ちで店員さんに接するようになりました。特に自分でも面白いなと思うのは、店員さんに向かって笑顔が出てしまうところ。「ありがとうございました〜」と言われると自然とこちらも笑顔になっています。「○○をおつけしましょうか?」と言われると「だいじょうぶですよ」と言ってまた笑顔になっています。考えようによっては愛想笑いが板についてきたのかもしれませんが、別の意味ではやはりいいことだと思っています。
仕事で日々「おはようございます」「こんにちは」と声に出して挨拶しているとお客さんも会釈ではなく、声に出して挨拶してくれるようになったと以前書きました。
とにかくいつでも笑顔を心がけ、「暑いなか、ありがとうございます」と時にはちょっと会話をしかけてみたりすると、お客さんも笑顔で言葉を返してくれます。司書としての専門知識もなく、偏った読書経歴で、検索にもいまだにもたつくオバサンの私がカウンターに立つ時には、お客さんのやわらかな笑顔だけが心の拠です。言葉を交わせたり、笑顔で帰られたときはほんとにホッとします。お客さんの笑顔を心底求めているからこそ、自分がお店でお客さんになった時に笑顔がすっと出るのでしょう。つまりは、私の笑顔は図書館のお客さんみんなが育ててくれた、そういう笑顔なのです。
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by zuzumiya | 2011-06-14 00:08 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


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