カテゴリ:ちっちゃい器で生きていく( 39 )

『老妻だって介護はつらいよ 葛藤と純情の物語』にため息

先日、NHKの番組でノンフィクション作家の沖藤典子さんの亡き夫の介護のお話を知った。
沖藤さんは結婚以来、あることがきっかけでずっと夫を恨んできた。夫の方も「顔も見たくない」とはっきり罵るほどで、妻だけでなく子どもにも冷淡で、家庭そのものを毛嫌いしていた。何十年も互いにただの同居人のように過ごし、夫婦仲の冷え切った老夫婦の片割れがある時、病に倒れたとしたら、その老夫婦はどうなるのだろう。これまでの恨みつらみが爆発して「あんたの面倒なんか見るもんか!」とこの時とばかりに離婚するのだろうか。目の前で痛みに顔をしかめている病人に離婚届を叩きつけることができるだろうか。実はこの問題は今すごく私自身が将来を見据えて深く考えていることなのだ。沖藤さんは長年憎み嫌っている夫の介護を老妻として引き受けた。子どもをアテにできない老老介護である。夫婦の介護の話は心温まる美談が多いなか、沖藤さんのところは大嫌いな夫の介護をする葛藤する老妻という立ち位置で始まるのでひどく興味が湧いた。私も今のままでは沖藤さんのようになるだろう。沖藤さんの葛藤の中身が詳しく知りたい。結局、沖藤さんの夫は亡くなってしまうのだが、その後の心境を彼女はどんなふうに説明してくれるのだろうか。で、『老妻だって介護はつらい 葛藤と純情の物語』を読んだ。読んでいて「何故、熟年離婚を選ばなかったのだろう」と何度も思ったが、実は60歳の時点で一度離婚していたが、3年後に復縁しているらしい。どうやら「出て行く」と啖呵を切った夫の方が出ていかなかったようだ。でも、惜しいことにその辺の詳しいことは書かれていない。同居人のようだとはいえ、一緒に夕飯を食べたり、テレビを見ては政治家の悪口を言いあったり、買い物にも行ったり、時には孫も連れての家族旅行にも行っていたと書いてある。おそらくは日々の暮らしというレベルでは、互いに自室を持ち逃げ場があったので、同じ屋根の下に住んでいてもさほど苦にはならず、それぞれが仕事の忙しさにかまけていれば問題にならなかったのだろう。長年連れ添えば、ある程度の諦めが普通になり、一人同士という感覚が育ち、気楽だと思えていたのだろう。マンションでなく戸建てとなってからは、我が家も家庭内離婚がスムーズにできるほど見事にすれ違える。このまま離婚して、夫が出ていける貯金ができるまで同居人でもいいかと何度も考えた。沖藤さんの本の存在を知る前から、はやく離婚の決心をしないと夫が倒れてからは離婚できなくなるな、となんとなく思っていた。目の前で苦しむ人を足蹴にはできるほど鬼ではない。夫に助けられた恩情もある。しかし、それだけで微笑んで慈しんで介護できるほど自分の結婚生活と妻としての人生に納得ができてない。私にも沖藤さんのように夫に言ってやりたい、言わねばならないことがあるのだ。『夫婦いとしい時間』という本が足枷になって書くこともできない鬱屈した想いが実はある。若い頃のように大っぴらに喧嘩ができたらいいのに。いや、もうそうなったら本当に終わりのような気がする。
沖藤さんは書いている。〈問題の根は、自分の力で突き進むべきことを、夫に頼り、それがかなえられなかったと、一生恨んだことだ。〉これは大いに私にあてはまる。でも、これが分かったからとて今、夫が生きている今、自分の罪として贖罪の意識から目の前の暮らしや今後の人生がぱあっとひらけていくものだろうか。グジュグジュしたこの悩みや葛藤はなくなるものだろうか。正直、そうとも思えない。そこにはやはり沖藤さんが書くように“死”という〈永遠の不在〉だけが〈胸の荒野をあの世に持っていく〉ものなのではないか。
切ないのは沖藤さんが夫の病気を契機として〈人生最後の夫婦の日々〉があると望みを持っていたことだ。たぶん、そこがタイトルの“純情”なのだろう。私も前に書いた。若い頃は結婚に憧れ、中年になると仲睦まじく歩く老夫婦に憧れるものだと。女とはこれほどまでに純情なのだ。介護のなかにも穏やかさを見つけ、人生最後の夫婦の日々をひそかに心に描いていた老妻、沖藤さん。この言葉にこんなに揺さぶられるのだから、私の心の何処かにもまだ薄ら明るい希望があるのだろうか。
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by zuzumiya | 2017-02-04 23:20 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

灯油代金、なんでこんなに違うんだろう

寒くて灯油の減りがハンパない。毎週末、赤い灯油タンクを1缶(18ℓ入り)車のトランクに入れて買い物に出る。行先は近場のガソリンスタンドだが、これがおかしなことにスタンドによって値段が大いに違うのである。今、車で玄関先に灯油を売りにくる場合の値段は18ℓで1580円である。ガソリンスタンドでは普通、配達の手間賃がないからこれより安いはずだ。ところが、うちの近くのコスモ石油のスタンドでは、なんと1620円とデカデカと電光掲示板に出ている。「こりゃ、高い!」と別のスタンドを探すと、大きな街道沿いのエネオスでは1512円。しかし、その反対側のエッソでは1368円。「それならもっと安いところがあるかも」と欲を出して車を走らせると、あったあった!さきほどのエッソの近く、二つの街道の交わる角に同じくエッソの看板があって、灯油の値段はなんと1332円であった。今まで見て回ったガソリンスタンドで最も安い。昨年暮れのジョイフル本田の980円は驚異的な安さだったが(現在は1278円)、ガソリンスタンドでは最安値である。しかし、スタンドの距離的にはそう変わらないのに、なんでこうも値段の幅が生じるのだろうか。このからくりを知っている人がいたら教えて欲しい。
夫はあまりの安さに興奮して手が震え、1000円札を機械にうまく入れられず、機械の音声がそのたびに「お金を、お金を、お金を、入れてください」と繰り返し、「安いからって、がっつくな」と機械を叱っていたので笑ってしまった。後で「“お金”、“お金”って卑しいだろ? ふつう、“料金”だよな」と言うので、その通りだとまた笑ってしまった。
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by zuzumiya | 2017-01-14 23:26 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

私のイライラ・落ち込み撃退法

イライラしたり、失敗して落ち込んだりした時に自分をどう立て直すか。
私の場合はスーパーへ行って好きな食べ物を買い、腹いっぱい食べる。そして眠たくなったら即、寝る。それに尽きる。
先日、スーパーで自転車をとめていたのがたまたま宝くじ売り場の横だった。看板の「オータムジャンボ5億円」の文字が目に入った。で、気分を変えるために買ったかというと、私は買わない。くじ運がないことがわかっているので今まで宝くじを買ったことがないのである。恥ずかしながら、買い方だって知らない。でも、この宝くじで5億当てる人が確実にいるのである。「人生ひっくり返っちゃうだろうな」などと想像する。何とかジャンボなる宝くじはいっぱいあって、年中誰かしっかが大金を当てていて、そう考えると世の中億万長者だらけじゃないか、と思ったりする。
で、妄想が始まるのである。5億あったらどうするか…。
まず私は「5億なんていらないよ」と慎ましやかに思うのである。「そこまで欲はかきません」と一応遠慮する。「でも、当たっちゃったんならしょうがないか」とすこぶる鷹揚な気分で思考を進める。で、肝心の金の分配が始まる。「1億は娘にやろう。1億ありゃ、マンションだって戸建だってローン組まずに買えるよな」。今住んでいる家はゆくゆくは息子にやるつもりなので「この際、あいつが欲しがってた車庫付きの家にどーんと建て直すか」となり、おっと名義が母なのを思い出し、「ハワイ旅行でも連れていって親孝行してやらなきゃな」と進み、「いやいやヨーロッパだろ」となり、「長野の両親も連れてかなきゃな」と申し訳なく思い、さらには「お義兄ちゃんからの借金を倍返しできるな」と過去の悪事の精算へ移っていく。所ジョージが宝くじのCMで「金があれば世の中の面倒なことのだいだいが片がつく」みたいなことを言っていて、そのとおりだと当時も思ったが、今ものすごく実感している。で、七福神の乗った宝船の船長にでもなった気分の私は更に思うのである。「今まで世話になった園に100万ずつ寄付しよう」。所詮は棚ぼたの金である。宝くじは買ったことがないのに気持ちの上で昔から「もし当たったら、寄付はしますからね」と誓ってきた。「だから、神様、私に当ててね」とも添えたが。
で、自分ら夫婦はどうするか。「金を渡して離婚するか。老後が困らないほどの金があるなら夫婦別れずバリアフリーのマンションにでも引っ越すか」。これが不思議と大金を持っていると離婚には傾かないのである。小金じゃダメなのである。大金だと所ジョージっぽく「まあ、いっか」と相手への不満も憎しみも精算できるようである。なんだかすべて金で片がついて、すべてがまあるく収まって、気づくと自転車をこぎながらニンマリしている。腹を満たす前なのに。
で、思った。イライラしたり落ち込んだりしたら、とりあえずスーパーへ向かう、は変わらない。が、自転車は必ず宝くじ売り場の真横につける。ウン、これで決まりである。
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by zuzumiya | 2016-10-01 10:36 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

時間貧乏

よく「5分前行動」という言葉をきく。
「5分前には行動を開始して、次にやることに遅れないように備えなさい」という意味だが、私は最近になってこの言葉の意味をはき違えていたことに気づいた。
5分は恐ろしい。5分は侮れない。特に朝の出勤時間前の5分は「ほんとに5分あったのか?」と魔法にでもかかったみたいに時計の針と自分の目を疑うほどすばやく経つ。
オバサンの私は出勤する時刻にあと5分あるから「最後にやっぱりトイレに行っておくか」となるのだが、出てきて時計を見上げると「ややっ!もう出る時間を2分も過ぎてるじゃん!」とおののく。この「あと5分あるから」の5分の余裕にほんのちょっとの家事なりトイレなり、なんとなく感覚でそれに見合う動きをしてしまうのだが、私の体内時計の5分と実際の時計のなさる5分がピタリとかち合わないので困っている。
「せっかく早く起きてるのに、毎日なんでこうなるんだよう」と半泣きで慌てて自転車に飛び乗り、「これも老化現象か」と落ち込んでいたら、同僚に「だからさぁ、『5分前行動』ってのは『あと5分あるから』じゃなくて、その5分は何にもしちゃいけないの。もう出るの、出発するの。何かしようとするから、時間が足りなくなるんじゃん」と笑われた。目からウロコが落ちた。
「ならば私は『10分前行動』にすればいいんだ」と言うと「バカじゃん」と更に笑われた。
いやしかし、若い頃はきっと正しい「5分前行動」ができていたんだと思う。結婚して主婦になって子どもを育てているうちに「5分前行動」がいつの間にか「あと5分あるから何かしなきゃ」の欲に替わり、あくせく動いて本来ある5分のゆとりを消し去ってきたんだろう。たしかに「貧乏暇なし」とはよく言ったもんである。自分がこうもせせこましくなっていたとは驚きである。
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by zuzumiya | 2016-09-23 13:13 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

しゃがんで喋って

何気なくネットで占いを見ていたら、なんと天秤座は今年9月9日を以て12年に1度の幸運期に突入したらしい。天秤座はもともと社交的で平和主義者だというが、いつにも増して社交的であれば夢まで叶う勢いだそうである。社交的ねぇ。夢ねぇ。
私は人にはなるべくよく思われたい。「人に悪く思われてもいい」「世間を敵にまわしてもいい」だなんて、よっぽど何かに狂って正常な判断ができていないとしか思えない。普通になるべく外面よく、揉め事なく、世間を渡ろうとするのが人情のはずだ。そうしてきたつもりだが、いかんせん“社交的”とはいいがたい。私にはわがままをきいてくれる家族がいればじゅうぶんで、思いつく友人もわずかである。実は人づき合いが面倒なのだ。
私は完全なるインドア派で休日は寝っ転がって好きな本を読むか、大画面で自分の見たい映画を見ていればそれでいい。休日に皆で誘い合ってボーリングに行くとか、山登りに行くとか、「よくもまぁ、好きこのんで疲れに行くねぇ」としか思えない。自分の買い物には女友だちとも娘とも夫とも行かずに一人で行く。その方があっちへ行ったりこっちへ行ったり、あれやこれやと悩み、果ては何も買わずに帰ってくるなんてことが誰にも気兼ねせずにできる。人によっては女友だちにいろいろと相談事を持ちかけるらしいが、私はそれも学生時代で卒業した。無意味だとわかったからだ。相談といってもほとんどが愚痴で、相談事はすでに8割がた自分の中で結論が出ているものなのである。ただ会って、ダラダラと話して、思いの丈を“聞いて”もらいたいだけなのだ。女同士の話はだいたいが“ああ言えばこう言う”と“同じ話の繰り返し”であり、こちらのまっとうな意見やアドバイスなど聞いていない。いらないのだ。残念ながら私は誰かの話の聞き役に徹するほど我慢強くはないのである。外面はよくしているつもりだが、誰に対してもニコニコして話をするのはやっぱり疲れる。疲れるということは無理をしているということであり、なるべくしたくはない。
うちの斜め前の家の奥さんなんか、その点、ものすごい社交的である。まず、うちが引っ越してきてすぐの時、草ぼうぼうの庭に手を焼いていると、向こうから見ていたのかわざわざ鍬みたいなのを貸してくれた。朝から家の前で大きな声で近所の人と笑って喋っている。訪ねてくる人が多く、玄関先がいつも賑やかである。人柄がよく、近所の人気者のようだ。でも、いちばんすごいと思ったのは、友人でも近所の人でもない工事の作業員たちとやたら至近距離でにこやかに話をしているのを見かけた時である。
先日、仕事から帰るとアンテナの工事かなにかでトラックがとまっていて、例の奥さんの家で作業員たちが出入りしていた。見ると、庭先で一人の作業員が電線のコードを切っていて、その横になんと奥さんがしゃがんでにこやかに喋っている。まるで仲良しの小学生が頭を付き合わせて地面に絵を描いているような感じである。「作業員は知ってる人なのだろうか?」と疑うほど親密な雰囲気であった。
私にはああはできない。引越しの作業員とかエアコンの工事人とか(ああそうだ、考えてみれば娘のスナックを手伝った時もそうだった)まったく知らない初対面の男とあんなふうに親密に笑ってお喋りなんてどうしてできるものか。私はいつでも工事人が作業している時にどの位置にどうやっているのが正しいのかがわからない。そばで見ているのがいいのか、どこかへ行っちゃってぜんぜん見ていなくてもいいのかがわからないので、たぶん挙動不審である。夫は作業のよしあしがわかりもしないのに疑りぶかい男なので、作業員のそばに立ってその手元をじっと見つめている。私にはなんだかその監督するような態度が作業員に対して横柄で失礼なような気がしてできないでいる。作業している手元をじぃーっと見られているのって嫌なもんじゃないか。お店で包装を頼む時も私は店員の手元を見ないようにあらぬ方向を見ている。余計に緊張させるのって可哀想だろう。
なので、私が一人の時には作業員からちょっと離れたところで、「はやく終わんないかな」と思いながら、やってもいいがやらなくてもいい家事(流しまわりの拭き掃除など)をしながら、時どきチョロッと見るだけにしている。でも、所詮やらなくてもいいようなことなのですぐに終わってしまい、身が持たない。手持ちぶさただと人間は余計なことを考え「あの男は実は工事人なんかじゃなくて強盗だったりして」とか「いやいや強姦犯だったりして」といらぬ妄想が始まり、「どこをどう逃げるか」「包丁を持ったりしたら逆効果か」などと心の中で身構えたりする。そんなんだから、話しかけるなんてもってのほかである。でもシーンとしてしまうのも息がつまるので、一度は作業員が来る前からラジオをかけておいた。そうしたらそのラジオからたまたま電気工事の際に盗聴器が仕掛けられていたというニュースが流れて、さらに気まずくなった。
だから、例の奥さんが作業員の横にしゃがんで喋る、という馴れ馴れしさがもう信じられないくらいの驚きなのである。つねづね社交的だとは認めていたが、そこまでとは思わなかった。
だが、予想外の驚きは防衛反応で脳を反対方向に引っ張るものである。突然、奥さんの「フフフ」「いや~だあ、もう」というしなやかな声が媚を含んで艶っぽく聞こえてきた。
「工事人ごときにイチャイチャして、いやらしい」
人柄のいい人気者の奥さんが、私の中で誰かれとなく社交的に笑顔で近づく浅ましい女、いやらしい女に変化した。人間というのは自分にないものを持っている人に惹かれたり、反発して嫌ったりする。実はそれは相手の長所をカチッと把握しているということなのである。
ならば、私の深層心理はただひとつ…“うらやましい”だ。くそっ、そういうことか。

こんな私がほんとうに12年に1度のスペシャルな幸運をつかめるのだろうか。
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by zuzumiya | 2016-09-10 16:54 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

穴を掘る私

暮らしの中でささやかでも心打つ美しいもの、素敵な事柄を拾い集めたいと清らかな心掛けで始めたブログであった。だが、どうだ。年をとるごとに心掛けとは正反対の愚痴や悪口ばかりを書いている。もともと面と向かって他人にバンっと意見を言えない弱気な人間である。昔、編集者に「自己評価が低すぎますね」と冷たく言われたこともある。ほんとうだ。ずっとふらふら生きてきたから、他人に何かを言えるほど自分に自信がないのである。でも、腹の中ではいろいろと考えに考えているのだ。最初は“王様の耳はロバの耳”の話のように、地面に穴を掘ってその中に私は喋っているつもりだった。でも、ひょんなことから暗い穴は水道管のように四方八方に繋がっていることがわかってびっくりした。ネットは穴ではなかったのだ。当たり前だが。でもきっと、今だに多くの人がネットは自分一人が掘った何処にも通じていない暗い穴だと思っている。じゃなきゃ、あんなにいろいろブチまけない。私は言うべき人に言うべきことを言うべき時にきちんと言えないから、仕方がないから穴に吐いてきた。きれいな心掛けでいなきゃと思いつつ、体面や見栄ばかりじゃなくそういうエッセイや文章がほんとに好きなんだよと思いつつ、弱さに負けて全く反対の素敵じゃないことを書いてきた。でも、どこかでこれが人間的なんだよと知りながら。
で、前置き(言い訳)が長すぎた。わけがわからなくなる前に書いておこう。うちの斜向かいの家のオヤジが毎朝、5時頃にシャワーを浴びる。朝早いのはまあ、いいだろう。私も早い。嫌なのは必ず大きな咳をして必ずガラガラと痰をからませるのである。それも何回もだ。腹の底から、いや肺の底から、いや気管の壁のヘリから身体全体を震わせて粘りつく痰を「ガラガラぺッ」と剥ぎ取り吐き出している感じで、私はそのやけくそとも思える力強い咳が大嫌いなのである。なぜだかその度に「ああ、今出たな」と吐き出された痰のことが浮かんでしまう。水に流しているのか、ティッシュに取っているのかまで考えてしまう。気持ちが悪い。そして、奥さんや家族のことを思いやる。ああいう男の、ちょっと野卑な、ああいう咳にいつものことと慣れてしまっているのだろうか、と。私は絶対、慣れないな、と。たぶん、うちの風鈴がうるさいと言ってきたのはあの家である。たしかに大風の日に風鈴をぶら下げっぱなしにしていたのは悪かった。だが、あんたの家の亭主の咳も耳障りなもんだよと言ってやりたいが、言えないので今日も穴を掘ったしだいである。私は何処へ向かうのだろうか。









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by zuzumiya | 2016-08-14 09:35 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

ああ、ブルーハーツのラブソング

ブルーハーツの、夕暮れ、泣かないで恋人よ、ラブレター、君のため、ロマンチックなんかを聞くとあたたかい気持ちになって、いつの間にか元気が出てる。
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by zuzumiya | 2016-06-23 22:52 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

秘密の暮らし

憧れの人と同じ町に住んでいるってどんな気持ちなんだろう。
朝、起きた時、窓を開けて、この先にあの人が住んでる、同じ空気を吸ってるなんて、
ほんと信じられない。
でも、すごいシアワセな、うれしい気持ちなんだろうな。
今日もお互い頑張ろうね、なんて、胸の内でつぶやいたりして。
憧れの人の家の前を通って駅へ向かうなんて、もうほんと考えられない。
チラリとガレージを見ては車があるな、なんて安心したりして。
この同じ時代に同じ日本の東京に、じゃなくて、同じ町内にっていうんだから、もう、羨ましいな。
そんな小さな秘密を胸にそっと抱えて生きてるのって、それだけでシアワセだ。
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by zuzumiya | 2016-05-18 00:05 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

いつまで続く?中年夫婦の意地の張り合い

実はもう4、5日になるのかな、夫と派手に喧嘩して口をきいていない。
マンションじゃなく戸建てになってから、上と下のテリトリーにわかれているから、台所やリビングや風呂場に行かないかぎり、お互い相手の動きに耳を澄ませて気をつけていれば、家の中でかち合うこともない。
お互いが仕事のストレス、いや、人生の積もりに積もったストレスなのだろうか、ものすごい憎しみの塊になって暴言のぶつけ合い、怒鳴り合いになった。恥ずかしいが「このバカが」「死ね」とまで出るしまつ…。
そんでもって、この週末も修復するきっかけも意欲もなく、過ぎてしまった。
私なんぞ、階下の台所へ行かずとも2階の自部屋でお茶やコーヒーが飲めるように自分用の電気ポットとミニ食器棚を買いに行った。こんなことならテレビも2階に取り付けておけばよかったな。
実はいちばん困っているのが、そのテレビなのである。うちには食堂とリビングに1台ずつテレビがあるが、音信不通だった母がいきなり4Kの80型テレビ(横幅がなんと188cmもある!)を「目が寄っちゃう」という理由でぽーんっとくれたのだ。それで先週は喧嘩前だったために「ジュラシック・ワールド」を家族で見たのだが、ほんとシアター並みに大迫力ですごかった!で、リビングにあるテレビを2階の私の部屋に持っていくかな、ということになっていた。そして、ひょんなことから盛大な夫婦喧嘩になってしまったのだ。
せっかくの80型なのに、置き場所が夫のテリトリーである階下のリビングなためにどうにも見に行けないのである。もう来週からは週末は週案や月案を考えなきゃいけないので忙しい。正職の保育士は月初めしか暇ではないのだ。せっかくの2連休の週末なのに好きな映画も見られなかった。しかたがないので、久しぶりにひとりで電車に乗って買い物に出て、雑貨や益田ミリの漫画や井上荒野や吉田修一の小説なんかを購入してきて気を紛らわしている。リコン、さぁ、どうしたものか。4月から少し休んで気持ちをリセットしてからまた仕事に就こうと思っていたが、リコンするなら、金の稼げる正職しかないのかなぁなんて思う。息子はフォードが日本から撤退するというのにローン組んでアメ車の「マスタング」なんて買っちゃう酔狂だし。娘は若いのにお店のママサンやって自分のことで精一杯だし。
考えてみると、いつでも私の買い物って、自分が機嫌よくなれるように、自分で自分にごまするようにそればっか考えて小金を使っている気がする。みんなそういうものだろうか。
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by zuzumiya | 2016-03-06 23:20 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

エライ人の嘘

ついに3月に入った。出勤しない分の土曜日や日曜日、祝日を外せばあと19日で退職できる。思わず、「あと○日」という日めくりカレンダーを作ってしまった(笑)。そしてカレンダーに「よく頑張った、あともう少しじゃん!」なんて書き添えてもいる。

今日も大変だった。ペアを組んでいるクラスリーダーがワクチン打ってたのにインフルになっちゃって昨日から休み。産休代替も来ないギリギリのスタッフの人数で回している上に休まれて、体制が大変なことに。主任でうちの園の保育のリーダーがうちのクラスに入ってくれるんだが、彼女どういう了見か子ども見しかしない。どんなに職員が大変でもおむつも替えないし、着脱もしない。もちろん、食事の世話も。唯一、コットという簡易ベッドを敷いてくれるだけ。んでもって、必ず朝は園長とバトルしててクラスに入るの遅れるし。相方に休まれると、つまり、保育の育児行為のすべて&日誌を自分ひとりでやらねばならず、休憩だって30分しかとれず、ものすごい大変なわけ。それなのに私の前で「ああ、こんな大変なことが金曜まで続くのか」なんて苦笑しながら愚痴を言ってるから「なんだ、この人は!」って呆れた。だって、昨日はやんちゃ坊主が2人休んでて楽な方だったの。毎日そんな手のかかる子どもと闘って、やれ「ここがダメ、、あそこがダメ」と上から目線で言われ続けてきたんだよ、こっちは。1日程度でよく言うよ。

そんでもって今日、その主任の彼女が育児をせずに純粋に子ども見だけでクラスに入ってるくせに、目の前でやんちゃ坊主に女の子が突き飛ばされたの。頭を打ってすぐに冷やしたんだけど、彼女が遅番で親に伝えなきゃいけなかったんだけど、こうきた。「この子(女の子)の親はどんな感じ?遊んでいて、つまづいてころんだことにしようと思うんだけどどうかしら」だってよ。おいおい、エライ人がそういう嘘つくんだ。頭を打ってるから後々怖いので、親に言わないわけにはいかないんだろうが、随分な嘘だよね。そうやってその場をしのいできたから今の地位があるんだな。以前に話をしたことがあるけど、ああ言えばこう言うタイプの人だったが、やっぱりこういうトップの悪さをまともに見ると幻滅するよ。こうだから、先日の会議の資料も個人攻撃だったのにok出したし、いろんなこと見て見ぬ振りするんだな。やっぱり、トップが尊敬できなきゃ、ついていけないや。
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by zuzumiya | 2016-03-03 21:30 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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