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2017年 05月 07日 ( 2 )

私の吉田さん2

詩人のくせに花が嫌いと言ったのは白石公子だったか。あれは切花だったかもしれないが、花の捨てどきがわからないというのが嫌う理由の一つだったと記憶している。
昨日、恐ろしいものを目撃してしまった。
以前に我が家の隣人としてブログにも登場したことのある心やさしい腰の低い吉田さん。彼がまたしても朝早く(連休なのに寝ていられない人なのだ)庭にしゃがんで何かしている。見ると咲き終わったチューリップを葉がまだ青々と勢いづいてとんがっていたにも関わらず、端からバシバシ引っこ抜いていた。球根の類のものは上手に育てれば翌年も咲いてくれるものとは知っていたが、私もめんどくさがりで咲き終わったヒヤシンスを数日迷った挙句、ついに先日、みんな引っこ抜いて見ないようにしてゴミ箱に捨ててしまっていた。同じことをしている吉田さんの姿を見て「ああ、吉田さんも翌年まで育てられないタイプなのね」といつにも増して親愛の情を深く抱いた私であった。
しかし、翌朝、とんでもないことが発覚した。いつもの出窓から何の気なしに吉田家の庭を見ると、咲き終わったチューリップだけでなく、昨日までわんさか咲いていたはずのパンジーまですべて引っこ抜かれ、更地化していたのである。
「なんでまた、パンジーまで!」と思わずつぶやいた。
実は我が家の玄関脇にもパンジーの鉢植えがある。そういう種類なのか、パンジー専用の肥料が残ってもしょうがないと園芸素人の私はやたらにあげていたら、ぐんぐん背丈が伸びて、伸びたからにはだらしなく垂れ下がり、たしかに花は付いているのだが葉がぼうぼうですこぶる見栄えが悪くなっている。時々、忙しさにかまけて水やりを忘れると、色が紫だけにまるで「花のお岩さん」のような恐ろしい姿になる。おそらく吉田さんは毎朝、我が家のパンジーの有様を見て「ああはなりたくない」と思っていたのかもしれない。それとも、チューリップ前夜にあの気の強い奥さんに何か酷い言われ方をされて、とてつもなく悔しい目にあったのかもしれない。あの優しそうな吉田さんがきれいに咲いているパンジーまでむしり取る(何故か表現がキツくなっている)とは、どうしても思えないのである。そうせざるをえない何か大きな事件があったに違いない。それとも、去年の夏に花壇がいつの間にかナスときゅうりとプチトマトの菜園化したので、強引な奥さんの命で、咲いているにも関わらずパンジーを泣く泣く(今度は泣いている)抜き取らされたのかもしれない。それとも、それとも、吉田さんは私が思っているような善良な吉田さんではないのかもしれない。実はそう考えるのがいちばん、わくわくするのである。
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by zuzumiya | 2017-05-07 16:21 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)

母の凄さ

昨日、母の家に息子カップルと一緒に行ってきた。母の部屋をぐるりと見回すと、つくづく母はほんとにすごいセンスの持ち主だと思った。母は植物を育てるのに長けているので部屋中に大小様々な観葉植物がある。しかも「これって何?」と名前を訊きたくなるような葉の形が不思議なものがあって、いつも行くたびに新種が増えていて驚いてしまう。母がすごいと(自分の母親自慢をしているようで申しわけないが)思うのは今のように「エバーフレッシュ」や「モンステラ」がファッション雑誌のページを飾って流行るうんと以前に家で大きく育てていたことだ。もしかしたら今人気の「フィカス」あたりも前に育てていたかもしれない。植物だけでなくとにかく何でも、流行になる前に母は自分で気づいて暮らしの中にお気に入りとして取り入れる先見の明のある人なのだ。なにせ、ディスコが火のつくうんと前に神奈川の246沿いで今では伝説となった某ディスコを始めたママさんなのである。
母の家のインテリアは凄い。鏡張りの部屋でTVの取材も来たこともあったが、とにかく和洋折衷どころの話じゃない。外国旅行が趣味だった時期もあり、部屋はあらゆる国の土産物と雑貨で埋まっている。あっちの棚には仏像が、こっちの棚には天使とベネチアングラスが、壁にはエジプト柄の絵皿も北欧っぽいのも並んであり、トルコのタイル壁画に、バリ島の目をひん剥いた鬼のようなお面も飾られている。午年の人だから馬の像がいたるところにあり、そこへ「できるだけ苦労をしたくない」と梟が加わり、好きな猫となぜだが成金趣味の豹と象まである。息子が「あれ、何?」と訊いた先には水牛の角が2本おったっていた。縁起がいいからとインド旅行で蛇を首にまいた写真を自分の油彩の絵の隙間に飾っている。ベネチアングラスや江戸切子、アンティークっぽい紅茶のカップ、様々な瓶、バカラのような高そうなグラスの類が鏡ばりの壁一面に並べられ、間接照明にもこだわるタイプなので足元にはアジアンっぽい籐や絵柄のフロアライト、棚にはステンドグラスやガレとかアールヌーヴォー調のテーブルランプ、そうかと思うと女神が筒状の電灯をもたげているようなえらくヨーロピアンなフロアランプもあり、本も新聞も読まないくせにアルコランプがにょっきりぶら下がっていたりする。昔、母から「これ、高かったんだよ~」のふれこみで貰った寝椅子が、めったやたらに猫に爪とぎされて邪魔になり粗大ゴミに出したところ、あとからル・コルビジェのシェーズロングだったとわかり、愕然とした。どうも母という人間の性格が胡散臭いせいで、持っているブランドがすべて偽物、まがい物のような気がしてしまい、娘の私は粗末に扱ってしまう。今でも必ず母に思い出され怒られるのは、母から貰ったプチダイヤのネックレスが幼い娘が遊んでいた庭の砂場に無造作に放られていたことだ。価値のわからない私にくれるものはどうせ偽物だろうと勝手に思い込んでいて、娘の遊び道具になっていたのだった。今思えばそういうわけで娘はブランド好きなのかもしれない。母はアクセサリーや腕時計の類もごまんと持っていて、うん百万する腕時計もアンティークっぽい猫脚のキャビネットにそれらしく飾ってあるのだが、価値の分からない私はいつでも素通りである。
とにかく母はありとあらゆるテイストの家具や雑貨や照明が観葉植物とともに部屋中にごっちゃに飾り立ててあるのだが、それが不思議と違和感がなく、どれかひとつが浮き立つこともなく、全体が調和してシックに見えるのだから凄い。アジアンもアンティークもレトロもインダストリアルも北欧もアメリカンもみんな一緒こたなのにきれいに収まって、例えていえば、インテリアショップや雑貨屋さんの様相なのである。そういう中でアイランドキッチンのカウンターにこしかけてインスタントラーメンをすすっていたりする。凄い。私はそういう母の遊び心というか、感性を血の半分は引き継いでいるので、たしかに母に似てインテリアや植物、映画、音楽、アート好きだが、センスはまだまだ母の足元に及ばない。あんなにあらゆるテイストのものを置きながら、ごちゃまぜ感を出さずにオシャレにまとめている配置能力が自分にはない。
私も照明が好きで、下心を持ちながらベッドにあったガレの黄色いランプを褒め、アジアンにも和にもレトロにもなれそうな陶器のテーブルランプをちらちら眺めていたら、なんと母がくれた。聞くと母の自作のランプだという。一時期、母は陶芸もやっていたのだ。意外といいものを作るのでマジに驚いた。離婚を繰り返し、子供は誰ひとり育てず、仕事は水商売一筋で、今ではお客や従業員にカリスマと言われている母。置いていかれた子供としては人間性はハテナだが、美意識、センスだけはおおいに褒めてあげられるのである。
で、そういう母であるからして母の日のプレゼントほど悩ましいものはない。何をあげても既に持っているか、ダサいと言われるかしかない。でも、柄がネッシーの長い首の形になっているカラフルなお玉を「これ、かわいいでしょ」と見せてきて、「ほら、鍋やると鍋からネッシーが…」と子供のように喜ぶ母なので、変わったものならなんでもいいのかもしれない。しかし、帰り際、母から「母の日は観葉植物ね」と催促されてしまった。何をあげていいのか、母が喜びそうな変わったものがあるのか、値段は手頃か、これからネットで探しまくりの日々である。
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by zuzumiya | 2017-05-07 15:00 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)