2017年 04月 02日 ( 2 )

アーティストのドキュメンタリーが好き

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新年度が始まった。園長が読みを誤って辞めた人間が予想外に多くて、残った人間で保育をやりくりせねばならない状況になった。私は難しい子が多くいるクラスの手伝いに今週いっぱい入ることが決まっていて残業することになっている。お金にはなるがうまく務まるか非常に不安である。自分は保育士の資格と経験があるから仕事はしているが、適性は疑わしいといつでも思っている。だから、正職を辞めて、パートでのんびり無理せず身の丈でやろうと決めたのに、何故か仕事運が私をより難しい方へ、悩める方へと導いてしまう。休日もクラスのことを考えたり、図書館から紙芝居を借りてきて読みの練習なんてやっていたら、まるで正職の頃と変わらないじゃないかと思い、せめても最後の週末だけは自分らしさを取り戻して楽しもうと好きなドキュメンタリー映画を1本見た。『マドモアゼルC ファッションに愛されたミューズ』という作品。以前にもhuluで『ファッションが教えてくれること』という邦題のアメリカの『VOGUE』の編集長アナ・ウインター(映画『プラダを着た悪魔』のモデルになった女性)のドキュメンタリーを見たが、今度はフランスの『VOGUE』の元編集長セリーヌ・ロワトフェルドの話である。
私の中のある部分はファッションや写真や音楽やアートのようなクリエイティブな世界をこよなく愛している。日芸に進んだのもいずれ日本でMVが盛んになると見越して、作れるようになりたかったからだ。だから、写真家やアーティストたちの伝記や仕事のドキュメンタリーを観ているとなぜか無性に心が弾んできて血が騒ぐ。「こういう世界っていいよなぁ」と50を過ぎても少女のように目をきらめかせて憧れがまだくすぶっている。
フランスの『VOGUE』の編集長だったセリーヌ・ロワトフェルドが10年間の編集長の座を捨てて、自分の頭文字をつけたオリジナルなファッション雑誌『CR』を新たに完成させ世に送り出すまでを追ったドキュメンタリーなのだが、『ファッションが教えてくれること』もそうだったが、もはやアートと呼べるような見事なファッションページを作り出すアイデアが斬新で奇抜でユニークで、観ていて面白くて胸が高鳴る。服を売りたいがための服がメインの宣伝ページではなく、もはや主役の服を超えて、ある物語のワンシーンを作っていて、たしかに服がそれを彩ってはいるが服がすべてを担っていないというようなアートフォトを生み出しているのである。それを仲間内でああでもないこうでもないとやりながら作っていく様はすごく刺激的でスリリングで、でものめり込むくらい楽しそうで、映画を観ながら「私だったらどういう物語、シチュエーションを考えるかなぁ」なんてワクワクする。そういえば、常盤新平さんのエッセイにもアニー・リーボビッツがローレン・ハットンというモデルのヌードを撮りたかったが断られたので、体に泥をかけて「泥を着せた」という話が出てきたが、アートにはそういう自由な発想、心の解放があるから、ムラムラと元気が出てくるのだ。保育を含めて日本の教育のような何かの型にはめたり、個性を重んじるとは口先だけで「みんなで、みんなで」と集団から外れることを良しとしないような世界で日々がんじがらめになっていると、こういう人とは違う斬新さが求められるようなアートの世界の映像を見ると、ほんとに心がスカッとする。だから、時々、私はこういうアーティストたちのドキュメンタリーを見て、「こういう世界を好む自分が好き」と生きる力をもらうのだ。作品を観た直後は「明日から金髪にして保育園に行ったろか!」と一瞬とんでもない気合が入るところもいい。






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by zuzumiya | 2017-04-02 22:21 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

私の吉田さん

朝からカランコロンと金属の触れ合う音がする。うちのバカ息子がデートに乗っていくアメ車をまたいじりまわしているのかと思って窓から覗くと、朝日に照らされた吉田さんのハゲ頭が見えた。
「吉田さん、頑張ってるな」
吉田さんがスタッドレスタイヤを外していた。それだけで季節感のわかるいい旦那様と私の中でポイントが上がる。シジュウカラが高らかにさえずっている。
吉田さんは向かいの家のご主人である。よく気づく働き者で、毎朝、洗濯物は干すわ、ゴミは出すわ、庭に出て草むしりはするわ、年末なんぞ隣近所でどこよりも早く網戸を洗っていた。私が引越してきた当初、あまりの働きぶりに奥さんが病弱なのかと思ったほどだ。
朝、出勤する時間が私と重なっていて、お互いが玄関の扉を開けて目が合うと、ほぼ間違いなく吉田さんの方から笑顔で「おはようございます」と挨拶してくれる。腰の低いいい人だ。年は60代の中頃か。小柄で痩せていて頭は見事に禿げ上がっているが、まるで福祉関係にでも勤めていそうなおっとりとした物腰で優しい声音で話す。
しかし、しばらくして奥さんは対照的にものすごく気の強い人だとわかった。しょっちゅうガミガミと小言を言う声が外まで聞こえてくる。吉田さんは何やら抗弁しているようなのだが、気が弱いのか小さな声でモゴモゴと喋っていて、聞き耳を立てている私はいつも歯がゆい。「吉田さん、頑張れ!もっと大きな声出せ!」なんぞと心の中で応援している。
去年の夏は酷かった。吉田さんが庭で植え替えをしていて、その姿をリビングから仁王立ちした奥さんが見ていて何やら指示を出している。
「だから違うでしょ、そこに植えてどうすんのよ、もっと右よ右っ!」
しゃがんだ吉田さんがせっせこ言われた通りに直し、これでどうでしょうかと後ろを振り返ると
「だからさ、言われないとわからないわけぇ?いっつもそうじゃん」
と言い放って窓をピシッと閉めた。奥さんのあまりの剣幕に私は「ひょええ~」と仰け反ったが、子どものようにしゃがんでいつまでも土をいじっている吉田さんのハゲ頭に「何を思っているのやら…」と哀れに思った。しかし、次の瞬間「吉田さん、今はあんな風だけど、ありゃきっと、昔浮気でもして、よっぽど奥さんを怒らせたんじゃないか」と思えてきた。私にとっては毎朝、出勤前にベランダに洗濯物を干す天気予報がわりにもなる見上げたご主人でも、もしかしたら奥さんにとっては過去に酷い仕打ちをされたどうしようもないダメ亭主なのかもしれない。そうでなきゃ、あんなに隣近所にまる聞こえの大声で夫をなじるわけがない。「吉田さんとこは奥さんが頂点のカースト制なんだな。あれが世に言う“モラハラ妻”というやつで、うちとは逆だな…」と妙に感慨に浸ったのだった。
うちは吉田さんとこみたいに夫婦の一方が大声でなじるということはなく、やり合う時には日頃のストレスが爆発して、双方が大声を出し大喧嘩になる。夫は女のように口の立つ理論派で、すべて自分が正しいと思って譲らない自信家なので、情というものや「人間だもの」のゆらぎやしょうがなさを認める私のような感情的な人間は歯が立たない。正しさには情の入る隙間がなく、そのうち自分の方が悪いという気にさせられてしまう。
私は妻にうまく言い返せない吉田さんをひそかに配偶者のモラハラと闘う同志とみて、何か事あるごとに二階の窓から覗いては、いつでも優しいまなざしと声援を送っているのである。
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by zuzumiya | 2017-04-02 10:43 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)


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