暮らしのまなざし

2017年 03月 09日 ( 1 )




暇つぶし

読書や映画鑑賞や文章書きが好きだが、それを暇つぶしだと思ったことはない。じゃあ、自分にとって暇つぶしとは何だろうと考えたら、あったあった。小さい頃から好きだったのはチラシの不動産広告を見ること。あの部屋の間取り図を見るのが好き。ここは何の部屋にしてどういう家具を置こうか想像するのが楽しかった。今はネットで不動産屋さんのサイトを見て、住みたい街で検索をかけると間取り図だけでなく部屋の写真や動画が出てくるので、楽しくて時間を忘れて見入ってしまう。そして、はたと気づく。私にはもう一生住むべき家が決まってしまっているんだと。今の家は税金の関係でまだ母のものだが、いずれ私のものになるはず(相続で揉めなければ)。私は病院や老人ホームへ入る以外はもうここを離れることはないのだと将来が決まりきってしまっていることは、なんだか贅沢だが安心なようでつまらない。私はほんとうを言えば、西荻窪や阿佐ヶ谷あたりに一度暮らしてみたかった。だからネットの検索にもそのへんの町を入れてみる。すると家賃の相場がわかり、「ふんふん、今の給料じゃ1Kもきついのか…」などとわかって暗くなるのだが、それで想像がおしまいになるのはつまらないから、あてもないのに一緒に暮らす誰か(あえて同性とも異性とも決めないで、深く考えないでおく)がいることにして、すると部屋の選択範囲がぐっと広まり、想像上の相手と部屋の割りふりなんかを考えたりして、また楽しくなってくる。あえていえば、これが本にも映画にも見放され、なあ~んにも書く事が見つからない時の暇つぶしである。
それからもうひとつ。雑誌の街紹介の特集号を買って眺めること。
今日も『HANAKO』の吉祥寺の特集を買ってきた。先だっては『OZ』の雑貨の特集号でいろんな街の雑貨屋さんが出ていたのでつい買ってしまった。で、ページをめくって眺めては「いいなあ、コレ欲しいな」「こういうとこで食べてみたいな」「ここ、行ってみたいな」と思っている。思うだけで、実際はまず行かない。先日の内田樹さんの『困難な結婚』に母親というのは行動範囲が狭くなって、娘がその範囲から遠くに出て行ってしまえば追いかけることはないと書かれてあったが、私も若い頃に比べて行動範囲がえらく狭まっている。渋谷や池袋なんてのはもちろん、電車一本で座って行ける新宿にすら行こうとは思わない。面倒なのだ。なので、本当は雑誌に紹介されている吉祥寺も自分ひとりでは行かないし、せいぜい娘か友人を誘って行くかどうかだが、娘を誘えば飯を奢らされるし、友人はオバサンで疲れやすく、喫茶店でだべるだけなら別に地元でいい。でも、「もしかしたらいつか行くようなこともあるかもしれないから、その時のために買っておいてもいいかな」という思考がつい働くのである。この「いつか」の夢や希望のために私は何度も出費してきたし、事実、どこへも行くことなく雑誌は資源ゴミに出され続けた。でもやめられないのである。自分でも面白いなと思うのは、同じ街特集でも京都や沖縄、ハワイなんて号には絶対手を出さないのである。想像上で街歩きすればいいのだが、「もはや完全に行くことはない」とわかりきっている場所ゆえに気持ちが乗らない。


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by zuzumiya | 2017-03-09 13:36 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

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