2017年 03月 05日 ( 4 )

ドテンしてぇ

ももちゃんの妹分であるチビの愛くるしいところは、私が本を持ってベッドに横になると、待ってましたとばかりにベッドに飛び乗って私の太もも辺りに向こうをむいて座り、次の瞬間、ドテンと体ごと私の足にもたれ掛け寝転んでしまうところ、である。そのチビの体の重みと温みに全幅の信頼と深い愛情を感じ、癒され、ぼけっと座っているだけでいつまでもドテンが来ないと待ちわびて「ドテンは?」とつい催促するぐらい好きなのである。おそらくはこちらに背中を向けているチビの心の中では「せーの」という掛け声があってのドテンであるような気がして、その無音の「せーの」がまた健気でうれしいのである。いやはや、かわええ。
[PR]
by zuzumiya | 2017-03-05 22:44 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

生きるよすが

横文字のゲームクリエイターなんぞと言っても安月給なのに、25の若さで借金ヒィヒィこさえて燃費の悪いアメ車を買って飾り立て、19の彼女に入れ込んで千葉まで送り迎いに往復し、甲斐性あるとこ見せようと飲食代は全て持ち、親の顔見りゃ「金がない!」と言いやがる。聞くとクジ運ないのに毎月宝くじなんか買って、数千円も公共事業にまんまと寄付をして、困りに困ってネットの懸賞やらお茶の俳句にまで応募したという。なんでまた息子がよりによって俳句なんだろうとしばし考え、そういえば昔中学の頃、国語で作らされた七夕の俳句が先生に褒められたことがあったなぁとニンマリ思い出した。そうだそうだ、私もあの時うんとこさ褒めたんだっけ。褒めるってやっぱり凄いことなのねぇ、25になっても覚えてたのねぇ、生きるよすがなのねぇと思いつつ、仕方なく息子に一万貸す。
[PR]
by zuzumiya | 2017-03-05 18:29 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

独り者にも春がきた

だいぶ春らしい陽気になった。自転車を出すのもひと頃より億劫でなくなった。毎日、通勤で走る道の脇に古い木造のアパートがある。名前はわからないが、ペンキの剥げた外階段のついた、いかにも昭和の「○○荘」といった感じのアパートで、駅からも遠く、車二台がすれ違えない狭い道路沿いに背の高い竹やぶが覆いかぶさるようにあって、いつでも薄暗くジメジメした所である。窓側を見ると六部屋あるが、そのどれもがいかにも男の独身者か高齢者の一人住まいといった感じの茶色や黒の野暮ったいカーテンを吊るしていて、どの部屋も少しだけ開いたカーテンの隙間から室内干しの洗濯ピンチが覗いている。道路沿いのブロック塀の中、ちょうど一階の端の部屋の窓脇に、背の低い木が植わっていて、冬場はここに木があることすら気づかなかったが、この木に白い花がチラホラついて白梅だとわかった。大家さんが昔植えたものだろうか。よく見るとあまり道路にはみ出さないように剪定した跡もある。一階の端の窓もカーテンがほんの少し開いていて、中にしなびた茄子のような黒い靴下が侘しくぶら下がっている。あそこの住人もカーテンを開けるたび、あの小さな白梅を目にしているはずである。時には窓を開けて、その匂いをそっと胸中に吸い込んだりするのだろうか。そうやってまた今年も春が来たことをなんとなくひとり噛み締めていたりするのだろうか。ああ、春だ。春が来た。


[PR]
by zuzumiya | 2017-03-05 16:14 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

『困難な結婚』読んでも気楽になりませぬ

a0158124_23505628.jpg
なんども書いてきたが家庭内でいろいろあって、もうひと月以上も夫と口をきいていないし、顔も見ていない。そんな中、写真家で『かなわない』や『家族最後の日』の著者でもある植本一子さんが好きだと書いていた本『困難な結婚』(内田樹・著)を読んでみた。それなりの発見も確認もあって、読んでみてよかったと思う。とはいえ、今の家庭内離婚の危機的状況がすぐに解決に向かったというわけではない。「どうしよっかなぁ」はいまだ続いている。
内田さんは本書で<それをすることがあなたにとって、ほんとうにたいせつなことなら、それに相応しい「勢い」があります。>と書いているから、グズグズしている今はまだ結論を出すべき時ではないということだろう。
さて、本書では驚くべき発見があった。<配偶者が変われば、あなたは別の人になる>というところ。ここは読んでいて「嘘でしょ?」と思った。私は今の夫と別れたら、もう誰とも結婚しないだろうと思っている。夫という他人と暮らして家族を作って、もうすぐ子どもも巣立とうとするところでなんだかひどく倦んでしまって、もうこれ以上他人と暮らすのは面倒だと感じている今となっては、私が再び別の男と結婚して嬉々としてその暮らしを楽しむなんてことがあろうはずがないと思う。
内田さんによると<人間の中にはいろんなタイプの「配偶者特性」が潜在的には眠っているということです。だから、どんな人と結婚しても、「自分がこんな人間だとは知らなかった」ような人格特性が登場してきます。いってみれば、配偶者が変われば、結婚しているあなたは別人になるんです。どの人と結婚しても、そのつど「その配偶者でなければそういう人間ではなかったような自分」になります。それはいわば配偶者からの「贈り物」みたいなものです。>ということらしい。
いくら新しモノ好きな私でも、25年以上も結婚生活をした後じゃ「出てくる自分なんてもうないよ、出し切ったよ」とボロ雑巾のように卑下したくもなるが、夫ではない別の男とまた一緒に暮らせば、「え?これがワタシなの?」と瞬きしたくなるようなまだ見ぬ新しい自分が顔を出すのだろうか。スルメかだし昆布のように。でも、なんとなく行く手に希望の光がチラチラ見えてくるようで、悪い気がしないのも事実だ。反対に夫が新しい配偶者を得たとしたら、彼にも「新しい自分」が出来て、それはついぞ私がどんなにこの人生で努力しても出会うことができなかった彼ということで、そう思えばなぜだか少し哀しい気にもなる。
で、あとひとつ。夫婦の倦怠期の話で、内田さんは書く。<自分自身の人生が楽しいと、倦怠期が起きても、それほど致命的なものにはなりません。「倦怠している」人たちというのは、ある種の自己倦怠を病んでいるからです。自分で自分自身のありようにうんざりしている。そして、その倦怠を自分の周囲の人間関係全体に拡大している。自分自身が日々新しい発見にわくわくしながら暮らしていたら、選択的に配偶者についてだけ「倦怠する」ということにはなりません。>
なんかこの<倦怠とは自己倦怠にほかならない>というのは今回いちばんグサッときた。たしかに自分の感じ方なので、自分の心の持ち方のほうに責任がないか、不調はないか、夫婦ともに更年期なのだ、注意すべきところである。この文章の少し前に内田さんはこうも書いている。
<危険なのは、自分自身が社会的にうまくいかないことを結婚関係とリンクさせて説明しようとすることです。「この人と結婚さえしていなければ……」と仮想して、配偶者の無理解や無能を自分自身の不幸の原因にすると、もうダメです。だって、たしかにあらゆる自分の不調は配偶者の無理解と無能で「説明できる」からです。(中略)ほんとうは自分の心身の不調には配偶者以外にもいろいろな原因があるんです。(中略)でも、そういうさまざまな微細な「不調」が加算されて、水がコップのふちからあふれそうになったときに、「最後の一滴」となるのが、だいたい家の中のいさかいなんです。(中略)僕の経験から申し上げるなら、自分の心身の不調は無数の微細な不調の算術的総和によるものです。だからひとつひとつほぐしてゆくしかありません。(中略)配偶者のことは脇において、自分はそれ以外のどういう条件がクリアーされると機嫌がよくなるか、それを考える。そして、それが実現するようにこつこつ努力して、「心ない一言」で「コップから水があふれる」ような危険水域に自分を持ってゆかないことです。>
内田さんは、風邪で寝込んでいる妻に夫が自分の夕飯は支度しないでいいと言ったことで「私のご飯はどうなるのよ」とブチ切れて離婚した知人の話を引き合いにだして上記のことを説明している。妻の腹具合にまで気がつかなかった夫の想像力の欠如はたしかに不愉快ではあるけれど、妻の方がある程度自分の体調を予測して動いていたら、夫を当てにせずに自分の非常用の食料を自分で用意しておくことをデフォルトにして暮らしていたら、離婚に至るような致命的なダメージにはならなかったのではないかと書いている。
うーん、そうだろうか。このあたりは、自分のものは自腹で買って記名してストックしておく今の我が家のやり方みたいで、「まあね、自分が食べるんだから理にかなっているわね」とは思うけれど、ほんとはそうスパッと割り切れない侘しさがある。正しいのだけど正しさにはどことなくやさしさがない、にじむ情がないのだ。男の人はどうも正しいことには気づきやすいが、やさしいことを第一優先にしない。きっと世の中の多くの妻は「風邪で熱があるのに、結婚していて一人暮らしじゃないのに、なんで台所に立ってレトルトお粥をチンしなきゃいけないのよ」と思うんじゃないか。病気なのに気にかけてもらえていない寂しさを「これが私が思い描いていた結婚生活?」と悔しく虚しく思うに違いない。心から納得してそういう準備万端な自立の生活をデフォルトにできていればいいのだが、通常でなく、いざという時に一緒に暮らしている人を当てにしない、できないっていうのはやっぱり女には堪える。「大人らしく自分のことは自分で」という正しさと「それでもやっぱり相手に甘えたい、頼りたい」という情の依存の矛盾が結婚生活には渦巻いているから難しい。
どんなに本を読んでもドラマや映画を見たとしても、自分の結婚にすべてが当てはまって「ああそうか」と思えるものはない。正解が見えてこない。内田さんじゃないけど葛藤のネタが増えただけである。<「葛藤すること」のうちに、最も現実的なソリューションがあるんです。>の言葉を信じて、まだまだ頭を抱えるしかないようだ。ふぅ~。



[PR]
by zuzumiya | 2017-03-05 00:10 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

プロフィールを見る
画像一覧

※このブログの無断な転載はご遠慮願います。

最新の記事

恐るべきシーリングライト
at 2017-08-20 09:25
私という有限
at 2017-08-16 20:44
こんな体たらく
at 2017-08-14 19:30
「more records」..
at 2017-08-12 06:24
生まれ変わっても会いに行く
at 2017-08-07 20:48

最新のコメント

検索

ブログジャンル

画像一覧