『コレラの時代の愛』と『ほかならぬ人へ』

a0158124_22175889.jpgちょっと独特な純愛?映画だった。でも、いろいろと考えさせられる映画はいつだって好きだ。原作は『百年の孤独』『予告された殺人の記録』などで有名なガルシア=マルケスの同名小説。

若い頃、一目惚れしたお嬢様フェルミナと何とか文通にこぎつけて、さあ、結婚というときに「幻想だった」と心変わりされて振られてしまった男、フロレンティーノ。でもこの男、失恋してもあきらめきれず、彼女に見合う男になろうと社長にもなり、その間、彼女は命の恩人の医者と結婚し、子どもも生み、そんな彼女の人生を胸を痛めながら近くでずっと眺めてきて、なんと51年9ヶ月4日目、彼女の夫が死んだ葬式の日に現れて、これほど長い年月、あなたを想い続けたと告白する。

何かこれだけ書くと、純愛そのものという感じなのだけれど、でも、この男、彼女を忘れるために、51年9ヶ月4日の間、622人もの女性と関係を持っている。ここが奇妙で独特。どんなに女性と肉体関係があったとしても、心は彼女のものであって、だから自分は純潔だという論理なのだ。葬式の日に現れて、とんでもないことを言い出すから、彼女に一喝されるが、あきらめずにまた手紙を送る。詩人気質のフロレンティーノだから、結局その文才にほだされて彼女は彼と再会する。娘に老人の恋を汚らしいと蔑まれ、ふたりは船旅に出る。
その船旅でのフェルミナのセリフが実によかった。
リアリティがあって、結婚の真髄を語っていると思う。

「フナベルはいい夫だった。彼以上の夫は想像できない。でも、振り返ると彼との結婚生活は喜びより問題の方が多かった。口論ばっかりだったわ。怒りの日々…」
「信じられないわ。あれほど長い年月幸せに暮らせたなんて。あまりに多くの問題に悩み、ケンカばかりしながら…。しかも本当に愛しているかどうかもわからないまま。」

結局、ふたりは結ばれる。なんと53年7ヶ月11日ぶりに。

a0158124_22164869.jpg先日直木賞をとった白石一文の『ほかならぬ人へ』を読んだとき、何となく複雑な気持ちになった。お騒がせな小説だとも思った。結婚相手、人生を共にする相手がほんとうに私にとって「ほかならぬ人」なのかどうか、映画のフェルミナのようにわからないまま進んできてしまって、それでも山あり谷ありの夫婦の歴史はできて、振り返ればそれなりに幸せだと思えて、でも、何となくこの疑問はいつまでも心に引っかかってしまう。時に希望のような光さえ帯びて。



「この世界の問題の多くは、何が必要で何が不必要かではなく、単なる組み合わせや配分の誤りによって生まれているだけではないだろうか。これが必要な人にはあれが、あれが必要な人にはそれが、それが必要な人にはこれが渡されて、そのせいで世界はいつまでたってもガチャガチャで不均衡なままなのではないか。」

「ベストの相手が見つかったときは、この人に間違いないっていう明らかな証拠があるんだ」
「それ本当?」
「たぶんね。だってそうじゃなきゃ誰がその相手か分からないじゃないか」
「だからみんな相手を間違えてるんじゃないの」
「そうじゃないよ。みんな徹底的に探してないだけだよ。ベストの相手を見つけた人は全員そういう証拠を手に入れてるんだ」
(中略)
「ほんとは二人ともベストの相手がほかにいるんだ。その人と出会ったときは、はっきりとした証拠が必ず見つかるんだよ。」
「だからさ、人間の人生は、死ぬ前最後の一日でもいいから、そういうベストを見つけられたら成功なんだよ。言ってみれば宝探しとおんなじなんだ。」
                     
                       (白石一文『ほかならぬ人へ』より)

実はこの本を読む少し前、問題のつきない自分の結婚について、思いを巡らしたときに、ふと、もしかしたら私と夫は結婚で家庭を一緒に築いていくペアではなくて、一緒に仕事をやるべきペアだったのではないか、と思いついたことがあった。まさに、白石さんが書いたように「組み合わせが違うのではないか」と思っていたのだった。と同時に、以前、ソウルメイトについて書かれた本を読んだとき、あてはまると思った「この世において共通の問題を一緒に乗り越えるために結婚する運命」のペアのことも思い出してもいた。
そして、また、趣味が合う程度では結婚に至らないという、まさにベストの相手へ向かって選り好みするばかりに結婚が決まらない婚活の現状の話も思い出していた。

53年7ヶ月11日もの人生をかけて、もはや老体となってまでも、ベストと思った相手を慕い求めて、ついには愛を叶えた男、フロレンティーノ。彼にとってはベストなのだろうが、それは彼の側から見た純愛物語であって、フェルミナにとっては果たしてどうなのだろう。その後のふたりは人生の終末に向かって、ほんとうに満足して暮らしていけたのだろうか。「彼以上の夫は想像できない」と言いきった彼女は彼をどこまで愛せたのだろう。純愛というより、実は猛烈なる片恋の物語なのだろうか。人というのは、心が見えないばかりに、結局は、どちらかがより多く愛してしまうような不均衡な関係しか結べないものなのだろうか。(まさに白石さんの言う「配分」の問題)それでも幸せだと思う時、見返りという均衡を求めない愛こそが、純愛なのか。愛されるより、愛することのしたたかな強さを思い知る。

私にもどこかにまだベストの相手がいるような、フロレンティーノのような徹底ぶりに至らなかったという気にもさせられるし、白石さんのいうそのベストの相手のゆるぎない証拠とは何だろうとも夫を頭に描きながら考えるし、そんなことばかり浮ついて思っていたら、実際の日々の結婚生活でなれる幸せにもなれないような、そんな気にもなる。
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by zuzumiya | 2010-02-01 22:27 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
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