暮らしのまなざし

B・ENOの『ANOTHER GREEN WORLD』

a0158124_10505310.jpg遠く遠く、天上で風が舞うようなかすかな音から始まって、からころとピアノの単音がゆるやかな風に吹かれた風鈴のようにおぼろげに鳴り、ゆらゆらてらてらとした音と光の波間を作り出していく。そこへ重厚なシンセサイザーの、世界を切り開いていくような圧倒的な強さと広さのメロディーが押し寄せる。
BRIAN ENOのアルバム、『ANOTHER GREEN WORLD』の11曲目、「BECALMED」。
おんぼろのステレオでこれを聴きながら、あのときのわたしは家の中から見えた電信柱の先っぽの三角帽が西日にきれいに輝いているのにうっとり見とれていた。高校1年の頃。傍らには祖母がいて、たしか針仕事をしていた。

「おばあちゃん、きれいなんだよ。ほんと、これを聴いているとねえ、世界がいつもと違って見えるんだよ。ほんとにすごいんだから、わかるかなあ?」
「……」
「あそこに電信柱の先っぽが見えるでしょ。あの何でもない電信柱が、この曲聴いてるとね、すんごくきれいに見えるんだよ。西日が当たってね、やわらかく輝いている感じが、神々しいっていうか、ほんとにきれいなんだよ。何でもない風景が一瞬で変わって見える。音楽ってすごいねえ」
「ふう〜ん、そうかねえ……」
それでも、祖母は手を止め、孫が熱く語るその電信柱の光る先っぽを見ようと腰をあげてくれた。

いま思い出すと少しせつなく、そして笑ってしまう。
なにせ、あのBRIAN ENOの、それも実験的な『ANOTHER GREEN WORLD』を大正生まれの祖母とふたりで聴いていたのだから。あのあと、わたしは大胆にも音楽評論家の立川直樹氏へENOに渡してほしいとファンレターを書いて送ったのだった。たしか、ENOの音楽を聴いているとスーパーのビニール袋が風に舞い上がったのすら美しく見える、とかなんとか書いて。でも、立川氏はちゃんと返事を下さった。ENOの住所はわからない、と。たぶん、ENOにティーンのファンがいることにかなり驚いたと思う。でもそのおかげ、かどうかは知らないけれど、高校3年のときにENOが日本に来て、ラフォーレ赤坂で講演を行った。笑えるけれど、ほんとの話だ。

いまCDでこの「BECALMED」を聴いていると、不思議な感慨を覚える。
あのとき、祖母はどんなふうな気持ちだったろう。音楽を聴いて電信柱の先っぽがきれいに見えるなんて、わけのわからない事を言い出す孫に、何か少しでも不安はなかっただろうか。10代でENOなんかを聴いて、世界が美しく見えるなどと思ってしまったばかりに、あれからわたしは祖母から、家から、従順な子供の時代から、どんどん離れて行ってしまった。あの電信柱の光る先っぽはほんとに人生の分かれ目だったのだ。あんなものが美しく見えてしまったばっかりに、わたしは祖母の望む堅実で安全な人生を歩めなくなった。県内でも優秀な語学の高校に通っていたのに、周囲の反対を押し切って、大学は180度違う芸術学部を選んだ。祖母に高額な授業料を出させ、そして、男に猛烈な恋をし、家へは帰らなくなり、一握りの者しか成し得ないような夢を見て浮き足立ち、しなくてもいい挫折を繰り返した。

それなのに、息子が芸術の道へいま行こうとしている。
そもそも創(つくる)と名付けた息子だ。わたしと夫の血を分けた息子だ。しかたがないと言えばしかたがない。応援はする。しなければならないだろう。
それでも、彼の前には茨の道が続いていることはわたしにはよくわかっている。やさしくて素直な家族思いのあの息子が、これから幾たびも訪れる精神の挫折に耐えていけるだろうか。わたしが味わった、いや40を過ぎた今このときだって噛みしめている苦い思いを息子にも味わわせることになるかもしれないのに、わたしはそれがわかっていて、ほんとに息子にその道を歩ませてしまってもいいのだろうか。背中を押してしまっていいのだろうか。

「俺さあ、インストゥルメンタルの方が好きかも。だって、音楽聴いていて、いろんなイメージが湧いてくるんだもん」

芸術の道へ行くのだからと、健気にも息子はいまあらゆる音楽を聴こうと張り切っている。そんな彼にわたしは、BRIAN ENOのいくつかのアルバムを手渡そうとしている。

「これを聴くとね、世界ががらって変わって、きれいに見えたんだよ。高校1年の頃かな、電信柱の先っぽが西日に輝いてね……」

『ANOTHER GREEN WORLD』の11曲目。
「BECALMED」の風の音が9階の窓辺に、わたしと息子のふたりの世界に静かに流れ出す。目に浮かぶのは、あの日の祖母とじぶんの姿だ。見える世界が変わってしまったように、ここからわたしも変わってしまった。あの日の祖母はたぶん、なにも予想していなかっただろうが、わたしにはわかる。息子もきっと変わっていくだろう。遠く手の届かないところへここから旅立つ。
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by zuzumiya | 2010-02-01 10:53 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(3)
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Commented by Timescape7 at 2015-06-09 20:39 x
becalmedで検索して、こちらのブログ記事を拝見しました。私は20年前の16歳の秋に家族での旅行中にロサンゼルスでEnoのこのアルバムとMusic for Airportsを買ったのが出会いです。旅行中ポータブルCDからのbecalmedとグランドキャニオンへの道中の夕焼けが昨日の事のように思い出されます。先日、このアルバムのリマスタリング盤を中古で見つけ懐かしさのあまり衝動買いして、3歳の娘と聞いています。改めて今聴くと、時の経過の不思議さを思わせ、センチメンタルな気持ちにさせてくれる一曲です。私の娘はまだ3歳ですが、もう少し大きくなった時に一緒に何気なくかけてみたいアルバムです。
Commented by zuzumiya at 2015-06-11 17:24
Timescape7様、コメントありがとうございます。
返信遅れてすみません。今、引越しが迫っていて、しかも今月末までの仕事もあって、もの凄く忙しくなっております。イーノ先生のアルバムを聞いてのんびりしたいところですが、そうもいきません(笑)。3歳の娘さんと聞いていらっしゃるとのこと。凄いですね。イーノの環境音楽が流れる部屋で育児とは、保育士としても素晴らしいと思います。是非、イーノの他のアルバムも聞いて頂きたいと思います。私は声も好きなので、「ビフォーアンドアフターサイエンス」のヴォーカルものなんか、何故か“もう戻れない果てしなく遠いところまで来ちゃった感”がして(?)、涙が出ちゃいます。久しぶりにイーノ先生の話ができて、うれしいです。また覗きに来てくださいね。
Commented by Timescape7 at 2015-06-15 08:25 x
お忙しい中での返信ありがとうございます。
保育士さんでいらっしゃるのですね?
私も頻繁に娘を保育所への送迎したりと、なぜか娘の友達にも人気の父親です。大変なお仕事だと思いますが非常に素敵で素晴らしい仕事だなぁと日々先生方をみて思っています。
イーノは例の2枚とあとパールやディスクリートミュージックなどを愛聴してます。ビフォーアンドアフターサイエンスは未聴なので欲しい物リストに入れておきます(笑
私も雑多に音楽を聴きまくっているので、娘も既に慣れてしまっているようです。またブログ拝見させて下さい。
実は私も恥ずかしながら三ケ月ほど前にブログを始めてみました。
道の駅という非常に偏ったテーマのブログですが、引越し等がひと段落した際には拝見していただければ幸いです。

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
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