しゃぼんだまとハナレグミ
夕方の買い物帰りの道で、目の前をすいと光るものがよぎりました。何だろうと目で追うと、しゃぼんだまでした。流れてきた方向を見やると、玄関の門の前で、幼稚園ぐらいの男の子がひとり、立ったまましゃぼんだまを吹いていました。コップを持つ左手はギブスで覆われ肩から包帯で吊されています。元気に外を走り回っていた男の子が、その元気さゆえにひょんなことで腕を痛めてしまい、友達と遊ぶこともできないんだなと想像しました。
おそらく昼間は母親が部屋で静かに遊んでやったり、絵本を読んでやったりしていたのだろうと思います。夕方になって食事の仕度にとりかからねばならなくなった母親は、だだをこねる男の子に手を焼きながらも、不憫に思い、台所洗剤で即席のしゃぼんだま液を作ってあげたのかもしれません。
彼はきっと、遊びたくても遊べないつまらなさやひとりぼっちのよるべなさを、吐息と一緒に胸のうちから少しずつ吹きだしては、しゃぼんの玉にしてふくらませていたのでしょう。それでもまわるく虹色ににじんで、ふうわり空に溶けていくしゃぼんだまは、とてもきれいで儚くて、吹いては飛ばし、弾けてはまた吹いてを繰り返すうちに、じぶんもまた空に吸い込まれていくように、こころは静かにおさまっていったのかもしれません。彼は夢中でしゃぼんだまを吹いていました。
小さい子どもには子どもなりの、日々のせつなさがあるものだし、それをやさしく包んでくれる何かが必ず存在するものなのだと、このとき思いました。うす赤い夕空に浮かぶしゃぼんだまはとても澄んで見え、西日をうけるときれいに光っていました。
ハナレグミの「ハンキーパンキー」という曲を聞くと、いつもあのときの男の子としゃぼんだまの情景を思い出します。
どこまでやれるかなんて
無限に浮かぶままの回答
きたるべき日々を
余すとこなく 見据えたいんだ
僕のための 日々のあわ
静かでゆったりとしたギターの音色。ボーカルの永積タカシくんの、ひかえめで、ちょっと鼻にかかった甘やかな声。「日々のあわ」と、つぶやくように歌う彼の、内にひろがる心模様を、たとえば、ささやかな祈りや希望のかけらのようなもの、生きていくことへの痛みや慈しみを、すべてを受け入れようとする澄んで静まった穏やかさなどを、わたしはことばの余韻とともにしんみりとかみしめることができます。
わたしたちが日々生きていくということは、あの男の子のように、道ばたでしゃぼんだまを飽きもせず吹いているようなものなのかもしれません。そのときどきで、さまざまな思いを吹き入れた、さまざまな大きさのしゃぼんだまをふうわりと広い空に放って、生まれては離れていくものを、とどまらずに流れていくものを立ったまま、ただ静かに見送っている。でもそれらはいったん離れてしまうと、儚くもきれいで、せつないくらいにいとおしく、みな輝いて見えるのです。そうやって日々を、吹いては見送り、吹いては見送りしながら、生きているような、そんな気がするのです。
おそらく昼間は母親が部屋で静かに遊んでやったり、絵本を読んでやったりしていたのだろうと思います。夕方になって食事の仕度にとりかからねばならなくなった母親は、だだをこねる男の子に手を焼きながらも、不憫に思い、台所洗剤で即席のしゃぼんだま液を作ってあげたのかもしれません。
彼はきっと、遊びたくても遊べないつまらなさやひとりぼっちのよるべなさを、吐息と一緒に胸のうちから少しずつ吹きだしては、しゃぼんの玉にしてふくらませていたのでしょう。それでもまわるく虹色ににじんで、ふうわり空に溶けていくしゃぼんだまは、とてもきれいで儚くて、吹いては飛ばし、弾けてはまた吹いてを繰り返すうちに、じぶんもまた空に吸い込まれていくように、こころは静かにおさまっていったのかもしれません。彼は夢中でしゃぼんだまを吹いていました。
小さい子どもには子どもなりの、日々のせつなさがあるものだし、それをやさしく包んでくれる何かが必ず存在するものなのだと、このとき思いました。うす赤い夕空に浮かぶしゃぼんだまはとても澄んで見え、西日をうけるときれいに光っていました。
ハナレグミの「ハンキーパンキー」という曲を聞くと、いつもあのときの男の子としゃぼんだまの情景を思い出します。
どこまでやれるかなんて
無限に浮かぶままの回答
きたるべき日々を
余すとこなく 見据えたいんだ
僕のための 日々のあわ
静かでゆったりとしたギターの音色。ボーカルの永積タカシくんの、ひかえめで、ちょっと鼻にかかった甘やかな声。「日々のあわ」と、つぶやくように歌う彼の、内にひろがる心模様を、たとえば、ささやかな祈りや希望のかけらのようなもの、生きていくことへの痛みや慈しみを、すべてを受け入れようとする澄んで静まった穏やかさなどを、わたしはことばの余韻とともにしんみりとかみしめることができます。
わたしたちが日々生きていくということは、あの男の子のように、道ばたでしゃぼんだまを飽きもせず吹いているようなものなのかもしれません。そのときどきで、さまざまな思いを吹き入れた、さまざまな大きさのしゃぼんだまをふうわりと広い空に放って、生まれては離れていくものを、とどまらずに流れていくものを立ったまま、ただ静かに見送っている。でもそれらはいったん離れてしまうと、儚くもきれいで、せつないくらいにいとおしく、みな輝いて見えるのです。そうやって日々を、吹いては見送り、吹いては見送りしながら、生きているような、そんな気がするのです。
by zuzumiya
| 2010-01-28 00:02
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by zuzumiya
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