ゴンチチと栗コーダー

a0158124_964129.jpg私が随筆を好む理由に「日常の本当を描きつつ、日常を慈しむコツのようなものをそっと教えてくれるから」というのがある。音楽にもそれがあてはまり、平凡な日常の生活を何一つ変えることなく、でも浮き立たせて見せて「そうだったのか」と、ささやかな幸福に気づかせてくれる随筆的なものを好んでいる。
たとえば、休日の午後。
ベランダの洗濯物の家族のパンツや靴下がゆるく風に揺れている平凡きわまりない風景も、そこにゴンチチのギターが流れてくれば、のほほんとして微笑ましい幸福の風景に変わる。BGMというと、音楽そのものが独り立ちできない、力がないかのように受け取られがちだが、実はそうではない。
これぞ、音楽のマジック。音楽をメロディと歌詞の総和として、その世界にどっぷりはまって聞き込んでしまうような音楽を「音楽がメイン」の音楽とすると、ゴンチチは、窓をあけたらリビングに吹いてくるそよ風のように、日常生活にすっと入り込む「日常生活がメイン」の音楽だろう。前者にはリアルな日常を超えてここではないどこかへ瞬時に連れ去ってしまう力があるけれど、後者は、このリアルな日常の見え方をちょっとレンズをいじくって変えてくれる力がある。どちらもすごいが、「パンツ=幸福」に見させてしまう音楽の力、肯定感は、もっともっと評価されるべきだと思う。

a0158124_9125853.jpg「栗コーダーカルテット」のCDに出会った。
小学校の音楽の時間に練習させられたあのリコーダー(唾臭かったな)を大人のおじさんたちが懸命に吹いて、懐かしくも愉快で愛らしい音楽を奏でている。聞き込んでどうのこうのと論評したくなるような「音楽がメイン」の方の音楽ではないけれど、栗コーダーの音楽をかけてみれば、あっという間にこの日常がやさしく、いとおしいものに様変わりする。ゴンチチにしてもこの栗コーダーにしても、映画音楽で使われているのには、そういう「空気をやさしく演出する」ような、ちゃんとした理由があるからなのだ。
街や電車のなかで、若者達が聞いている音楽のほとんどがおそらく「音楽がメイン」
の方の音楽だろうと思う。そういう音楽しか生きていくための助けやエネルギーにならないと思っているのなら、だまされたと思って、たまにはこの手の「日常生活がメイン」の音楽をiPodに入れてふらりと出かけてみてほしい。サラリーマンの寝顔も八百屋の店先も道端の名も知らぬ赤い花も愛しさにあふれて見えるだろう。そういう世界に本当は私たちは暮らしているんだってことがしみじみとわかるはずだ。そして、なんだかうきうきとしあわせな気分になって、この日常の、この人生の主人公は音楽を聞きながら今歩いているこの自分なんだって思えてくれば、この世界も自分もあるがままに肯定して、生きていくエネルギーはもう充電されたってことだ。


※栗コーダーカルテッド『アンソロジー20songs in early 10years(1994-2003)』
 ゴンチチ『GUITARS』
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by zuzumiya | 2010-01-16 00:40 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
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