暮らしのまなざし

私の吉田さん

朝からカランコロンと金属の触れ合う音がする。うちのバカ息子がデートに乗っていくアメ車をまたいじりまわしているのかと思って窓から覗くと、朝日に照らされた吉田さんのハゲ頭が見えた。
「吉田さん、頑張ってるな」
吉田さんがスタッドレスタイヤを外していた。それだけで季節感のわかるいい旦那様と私の中でポイントが上がる。シジュウカラが高らかにさえずっている。
吉田さんは向かいの家のご主人である。よく気づく働き者で、毎朝、洗濯物は干すわ、ゴミは出すわ、庭に出て草むしりはするわ、年末なんぞ隣近所でどこよりも早く網戸を洗っていた。私が引越してきた当初、あまりの働きぶりに奥さんが病弱なのかと思ったほどだ。
朝、出勤する時間が私と重なっていて、お互いが玄関の扉を開けて目が合うと、ほぼ間違いなく吉田さんの方から笑顔で「おはようございます」と挨拶してくれる。腰の低いいい人だ。年は60代の中頃か。小柄で痩せていて頭は見事に禿げ上がっているが、まるで福祉関係にでも勤めていそうなおっとりとした物腰で優しい声音で話す。
しかし、しばらくして奥さんは対照的にものすごく気の強い人だとわかった。しょっちゅうガミガミと小言を言う声が外まで聞こえてくる。吉田さんは何やら抗弁しているようなのだが、気が弱いのか小さな声でモゴモゴと喋っていて、聞き耳を立てている私はいつも歯がゆい。「吉田さん、頑張れ!もっと大きな声出せ!」なんぞと心の中で応援している。
去年の夏は酷かった。吉田さんが庭で植え替えをしていて、その姿をリビングから仁王立ちした奥さんが見ていて何やら指示を出している。
「だから違うでしょ、そこに植えてどうすんのよ、もっと右よ右っ!」
しゃがんだ吉田さんがせっせこ言われた通りに直し、これでどうでしょうかと後ろを振り返ると
「だからさ、言われないとわからないわけぇ?いっつもそうじゃん」
と言い放って窓をピシッと閉めた。奥さんのあまりの剣幕に私は「ひょええ~」と仰け反ったが、子どものようにしゃがんでいつまでも土をいじっている吉田さんのハゲ頭に「何を思っているのやら…」と哀れに思った。しかし、次の瞬間「吉田さん、今はあんな風だけど、ありゃきっと、昔浮気でもして、よっぽど奥さんを怒らせたんじゃないか」と思えてきた。私にとっては毎朝、出勤前にベランダに洗濯物を干す天気予報がわりにもなる見上げたご主人でも、もしかしたら奥さんにとっては過去に酷い仕打ちをされたどうしようもないダメ亭主なのかもしれない。そうでなきゃ、あんなに隣近所にまる聞こえの大声で夫をなじるわけがない。「吉田さんとこは奥さんが頂点のカースト制なんだな。あれが世に言う“モラハラ妻”というやつで、うちとは逆だな…」と妙に感慨に浸ったのだった。
うちは吉田さんとこみたいに夫婦の一方が大声でなじるということはなく、やり合う時には日頃のストレスが爆発して、双方が大声を出し大喧嘩になる。夫は女のように口の立つ理論派で、すべて自分が正しいと思って譲らない自信家なので、情というものや「人間だもの」のゆらぎやしょうがなさを認める私のような感情的な人間は歯が立たない。正しさには情の入る隙間がなく、そのうち自分の方が悪いという気にさせられてしまう。
私は妻にうまく言い返せない吉田さんをひそかに配偶者のモラハラと闘う同志とみて、何か事あるごとに二階の窓から覗いては、いつでも優しいまなざしと声援を送っているのである。
[PR]



by zuzumiya | 2017-04-02 10:43 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://zuzumiya.exblog.jp/tb/23763957
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
by zuzumiya
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

※このブログの無断な転載はご遠慮願います。

最新の記事

検索

ブログジャンル