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「郷に入っては郷に従え」

同僚の言葉に頭では分かっていても、気持ちの方がまだ付いていかずに悶々と日々を送っている。パートとしての立場の違いも今の園の保育のしかたも「なんだかなぁ」というあやふやな気持ちでいるから、事故を2件見てしまった。
1歳児がその場でぐるぐる回転していた。膝に子どもを乗せていたので「危ないよ」と声はかけたが、立ち上がることはなく何となく見守ってしまっていた。前の園で「ぐるぐるにゃっこ」だかわらべうたを歌いながら子どものその場まわりの遊びを容認していたため(本当は危なっかしいので好きではなかったが)、やめさせずに見守ってしまったのだった。だが、運悪くその後ドッシーンと正面衝突した。一人がすぐさま泣き出した。怪我はなかったがしばらくたってもグズグズ言っている子に担任のリーダーが「この子はなんで泣いているの?」と声を張り上げた。残った2人の若い担任からは何も声が出てこない。つまり、担任は3人もいるのに誰ひとり見ていなかったのだ。知らんぷりもできず声をあげたが、不覚にもぶつかったことは言えても、後ろ向きになっていた相手の子どもの名前が「○○くんだったっけかな…」とあやふやになってしまった。ちょっと苦手なタイプのリーダーの、見ていなかったことを責めるような強い口ぶりに少しひるんでしまったのもある。私のはっきりしない口ぶりに皆の前で「相手が誰だかはっきりしないと困るんだけど…」とさらに追い討ちをかけられた。見ていなかったくせにいちばん若い担任までもが同調した。残念だがその通りだ。でも、内心、担任のくせに見ていなかったあなた方はどうなの?という気持ちにもなった。
これまでクラスには入ってきたが担任の保育の仕方がなじめず、出ている遊具のお粗末さ(考えなさ)やそれゆえ子どもの遊べない姿に途方にくれていたというのが今回の下地になっている。それから、安全対策や部屋づくりについても疑問があった。食事の支度や掃除のために部屋の中央に柵(木製ではなく、強化プラスティック製?のもの)を使って子どもたちが入ってこれないようにしているが、どういうつもりか担任が見ているはずなのに毎回2、3人は出てきてしまう。柵が柵として機能していない。掃除機や机を運んでいるときにその中途半端さがとても迷惑だ。使い終わった柵は部屋の隅にくねくねと曲げて置いているようだが、その迷路のようになったくねくねの中にも子どもが入っていく。「先生、ここに子どもが入ってもいいんですか?」と尋ねると「ダメといっても入っていくから」と苦笑いする。「先生、この柵は倒れないんですか?」には「倒れます。でも、少しふくらませて空間を作っておけば大丈夫みたい」唖然とした。そういう危険がわかっているのに取り除かずにそこで私たちパートにも保育しろというのかという気になった。それならば、常に子ども見として柵前に大人が一人取られてしまう。
その後、やっぱり事故は起こった。子ども2人が柵に入ったまま、寄りかかった重みで柵が倒れてしまったのだ。怪我はなかったが、園長が飛んできた。「先生の大きな声でびっくりしちゃったのよねぇ」と泣いている子に担任は無事故を知らせるような声をかけていたが、大事はなかったことで何のおとがめもなく、そのまま柵問題は放っておかれた。
安全対策ではもう一つ、空のかごで事故が起きた。登園してきた際の荷物を入れるロッカーがないので、大きな洗濯かごにかばんを入れておくシステムらしいが、降園準備でかばんを移動した後にかごが空になったまま、子どもたちの手の届くところに置いてある。子どもたちが何度か触ろうとして、その都度担任が注意をしている。そんな声を前に聞いたことがあった。先日、私は件の柵の中に子どもが入っていたので、子どもを見ながら柵を押さえるようにして座っていた。気づくと離れた先に一人の子どもが洗濯かごをいじっていて、アッと思った瞬間、かごが倒れ縁が顔に当たって泣き出した。見つけたのと同時に事故が起きてしまった。後ろ姿だったのであの位置だと額にでも当たったんだろうと思ったが、実際は担任によると目の縁が切れたという。危なかった。
クラスには2人の若い担任と私を含めたパートが2人。充分な大人の頭数はいたが、私以外はまた誰も見ていなかった。今回の場合もなぜか私が“発見者”となった。発見者であって“ぼうっと見ていた”わけではないので責められることはなかったのだが、その場の空気が発見者の私の証言頼りになっていく。私としては見ていたわけでなく、見つけたのと同時に事故なのだが、見ていたのに止められなかったかのような空気が流れ始めた。担任が報告に行ったのですぐさま園長が飛んできた。私の状況説明と苦言で意を決したらしい。「昨日も柵が倒れたでしょ。倒れるなら、調乳室にでも入れておいたらいいじゃない」「それからかごだって、『いけない』と言ってもやるのなら、どこか別の場所に置くしかないでしょう」園長の鶴のひと声で若い担任がサッと動いて柵も洗濯かごも片付けた。スペースがないない言っているが、実は片付けられるのである。
いくらパートとはいえ、事故を発見するわりに止められなかったという保育者としての負い目は誰に責められなくてもここ数日、私を暗い気持ちにしている。パートである(しかも日中、長くいるパートではない)という立場の中途半端さによって、保育にどこまで関わっていくべきかわからないでいる。前の園はどちらかというと保育自体にパートは関わってほしくない、担任が全責任を負えというスタンスだった。でも、今の園はパートの数も多く、その分、パートに雑用だけでなく子ども見もお願いするスタンスなんだろうが、パートが入れ替わり立ち替わりクラス固定でないために担任や子どもとの関係、コミュニケーションがより中途半端な感じになっている。まだ6月という時期ではあるが、どのクラスに入っても、担任が声を張り上げていて、ワサワサとした空気がある。
前の園では大人が一緒に遊びすぎると全体が見えなくなるし、子どもが大人を頼って自分で遊べなくなると注意をされた。不用意な声かけ、発達を飛び越した大人からの発想、アイデアの提供も厳しく注意された。牛乳パックの靴を洗濯バサミで挟んで電車に見立てたことが「今、この子らにとってそういう洗濯バサミの使い方を知るべきことだろうか」と主任に注意を受けた。“見守る保育”をすすめるにあたっては何と言っても遊具の充実(高価なもの、キャラクターのあるなし、数ではない)、発達に即していて、子どもの自由な発想を促すいろんな見立てができる幅のあるものであることが必要不可欠だ。そしてそれらの遊具が子どもの手に届く場所にあって自由に遊べること。大人がことさら力んで遊んであげなくても、子どもの方から自由に見立てて子ども自らの発想で遊び込む。たしかにそういう姿を見てきた。でも、今の園では遊具が発達に即してない。井型のはめ込みブロックが1歳児の6月という時期に平気で出ているのだ。子どもらはスプーンすらうまく握れないのにブロックなどで遊べるはずはないのだ。結局、箱の中身をジャラジャラやるか、大人が幾つかつなげて「電車よ」とか言って渡してやるにすぎない。大人の援助なくしては子どもが自分から遊べないこと、それゆえクラスがなんとなく落ち着かないことを担任はどの程度気づいているのだろう。遊びの中からも心だけでなく身体や指先など機能訓練、すなわち発達も促せるというのに。園の保育の違いからくる戸惑いや疑問やパートという出過ぎたまねができない立場がわだかまりのようにあるから、保育中も心身が動かず上に書いたような事故を発見はしても防げないのだろうと思う。
先日、パート全員と主任、園長で行う会議があったが、その席で一人ひとつずつ、現在困っていることを言うように言われたので、立場のこと、発達に即した遊具が出ていないこと、先生方の声が大きいことを告げた。発達なんて言葉を出して「偉そうに」と思われたかもしれない。「パートのくせにうるさい人」と目を付けられたかもしれない。でも、私がたとえ1年でも正規としてあれだけ嫌な思いまでしてみっちり保育に携わり学んだことが次に生かせないというのは一体どういうことだろうとも思ってしまうのである。
「郷に入っては郷に従え、よ」と新人の同僚は笑って言う。そうだろうと思う。こんな話も半年もたてば出なくなるだろう。「パートなんだから」「出る杭は打たれるから」と自分に言い聞かせるうちにパートらしく身をわきまえ、“うまく立ち回れる”ようになるんだろう。でも、それでいいの?と問う自分がいる。そういう自分がいるかぎりは、付き合ってやるしかないようだ。
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by zuzumiya | 2016-06-11 08:36 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)