なりたい大人になれなかったけれど〜『海よりもまだ深く』
是枝裕和監督の最新作、『海よりもまだ深く』を見てきた。
すごく良かった。監督の作品の中でも『誰も知らない』に次いで好きな作品となった。なりたい大人になれなかった大人たちが、こんなはずじゃなかったという人生をそれでも懸命に生きていこうとする話。
阿部寛演じる15年前に文学賞をもらったきり、鳴かず飛ばずの自称作家という設定やら、ロケ地が当時別居状態の夫がひとりで住んでいたK市の公団団地という縁やら、音楽を好きなハナレグミが担当しているやらで、個人的に強い思い入れがあって公開後すぐに劇場に足を運んだ。
団地の部屋や外回りが映るシーンでは、撮影隊が来ると言ってはしゃいでいた一昨年の自分たち夫婦(当時は有給を夫の休みに合わせてとり、夫の家に泊まりに行っていた)が思い出され、物語の阿部寛と真木よう子演じる元夫婦と重なって切なくなった。台風の夜にたまたま元家族が樹木希林演じる祖母の住む団地で過ごすはめになって、台風一過と共に親子や夫婦や家族のいろんな思いが収まるべきところに収まっていくという筋書きになっている。
阿部の演じる良多という男は妻に見限られ離婚したにもかかわらず未練タラタラで、自分の状況は何も変わっていないのにやたらと家族の修復を望んでいて、でも妻の響子の方は新しい恋人もできて息子と共に新しい家庭を築いていこうと未来に目を向けている。そのどうにも噛み合わない男女の気持ちのずれが切なかったし、良多の母親である樹木希林演じる祖母が最後までダメな息子を思って夫婦の修復を願っていて、それら各々の気持ちの渦巻く感じが閉じ込められた台風の夜にあって、最後の情のぶつかり合いのような、確認のし合いのようなものが台風の雨風とともに流されて、晴天の翌朝には、それぞれがそれぞれの自分の日常に戻っていく。そこがうまく出来ているなと思った。
あの頃、私も夫とのこじれた関係をどうしたらいいものか、このまま別居を続けていたらその先にあるのは離婚なのだろうと漠然と思っていて、それで本当にいいのか自分の気持ちがわからなくて不安で、子どもたちの待つマンションに帰るためにバス停で団地を見上げる度に(バス停まで夫に見送ってもらうと余計悲しかった)、まるで映画のセリフのように「なんでこんなことになっちゃったのか」と思ったものだった。今では母の計らいで夫と離婚することなく母の買ってくれた一軒家にのうのうと住んでいるが、あの頃のあのやるせない気持ちを映画を見て思い出した。映画の夫婦は正式には離婚した元夫婦だったが、夫の方はそのことを未だ受け入れられず、迷い多く前へ向かいきれていないところが、なんだか当時の私に似ていた。私たちも離婚こそしていないが、思い描いた理想の夫婦像からかけ離れた意味で元夫婦だった。遠くにぼんやり離婚を見据えながら始まってしまった別居を続けて、うまくいかなかった結婚生活という哀しいしこりを胸にかかえて、結論を先延ばしにしながら仕方なく毎日をただ生きた。あの頃の私の切なさは、未来には何も描けないけれど、それだからこそ捨てきれない過去への慕情であって、良多のくすぶる思いや未練と何らかわりない。だからこの映画に惹かれるのだ。
希林の演じる祖母がもう夫婦の修復はありえないと嫁に聞いて分かった時点で、大事に持っていた孫のへその緒を返すシーンがあったが、年老いた母の思い描いた老後もまた叶えられずにあそこできっぱり終わってしまったんだなと涙が出そうになった。と同時に長野の義母のことも思い出した。きっとあんなふうに私たち夫婦の仲を最後まで(今でも)心配しつづけていたんだろう。
今のこの気持ちを3日もたてば生活の忙しさでまた忘れてしまうのだろう。どうして同居したのか、本当に夫と最後まで添い遂げるつもりなのか、そもそも愛しているのか愛されているのかとまた不毛にも悩み込んでしまう日々がくるだろう。でも、今日は、今日だけはあの頃のあの切なさを抱えた自分を覚えていたい。あの頃からたしかに人生は動いて、そして今があるのだけれど、この今でさえあの頃思い描いていた未来だったか分からないでいる。ただ、ふたりが離れていた時期のあの心の揺らぎだけは手放したくない尊いもののように感じている。
すごく良かった。監督の作品の中でも『誰も知らない』に次いで好きな作品となった。なりたい大人になれなかった大人たちが、こんなはずじゃなかったという人生をそれでも懸命に生きていこうとする話。
阿部寛演じる15年前に文学賞をもらったきり、鳴かず飛ばずの自称作家という設定やら、ロケ地が当時別居状態の夫がひとりで住んでいたK市の公団団地という縁やら、音楽を好きなハナレグミが担当しているやらで、個人的に強い思い入れがあって公開後すぐに劇場に足を運んだ。
団地の部屋や外回りが映るシーンでは、撮影隊が来ると言ってはしゃいでいた一昨年の自分たち夫婦(当時は有給を夫の休みに合わせてとり、夫の家に泊まりに行っていた)が思い出され、物語の阿部寛と真木よう子演じる元夫婦と重なって切なくなった。台風の夜にたまたま元家族が樹木希林演じる祖母の住む団地で過ごすはめになって、台風一過と共に親子や夫婦や家族のいろんな思いが収まるべきところに収まっていくという筋書きになっている。
阿部の演じる良多という男は妻に見限られ離婚したにもかかわらず未練タラタラで、自分の状況は何も変わっていないのにやたらと家族の修復を望んでいて、でも妻の響子の方は新しい恋人もできて息子と共に新しい家庭を築いていこうと未来に目を向けている。そのどうにも噛み合わない男女の気持ちのずれが切なかったし、良多の母親である樹木希林演じる祖母が最後までダメな息子を思って夫婦の修復を願っていて、それら各々の気持ちの渦巻く感じが閉じ込められた台風の夜にあって、最後の情のぶつかり合いのような、確認のし合いのようなものが台風の雨風とともに流されて、晴天の翌朝には、それぞれがそれぞれの自分の日常に戻っていく。そこがうまく出来ているなと思った。
あの頃、私も夫とのこじれた関係をどうしたらいいものか、このまま別居を続けていたらその先にあるのは離婚なのだろうと漠然と思っていて、それで本当にいいのか自分の気持ちがわからなくて不安で、子どもたちの待つマンションに帰るためにバス停で団地を見上げる度に(バス停まで夫に見送ってもらうと余計悲しかった)、まるで映画のセリフのように「なんでこんなことになっちゃったのか」と思ったものだった。今では母の計らいで夫と離婚することなく母の買ってくれた一軒家にのうのうと住んでいるが、あの頃のあのやるせない気持ちを映画を見て思い出した。映画の夫婦は正式には離婚した元夫婦だったが、夫の方はそのことを未だ受け入れられず、迷い多く前へ向かいきれていないところが、なんだか当時の私に似ていた。私たちも離婚こそしていないが、思い描いた理想の夫婦像からかけ離れた意味で元夫婦だった。遠くにぼんやり離婚を見据えながら始まってしまった別居を続けて、うまくいかなかった結婚生活という哀しいしこりを胸にかかえて、結論を先延ばしにしながら仕方なく毎日をただ生きた。あの頃の私の切なさは、未来には何も描けないけれど、それだからこそ捨てきれない過去への慕情であって、良多のくすぶる思いや未練と何らかわりない。だからこの映画に惹かれるのだ。
希林の演じる祖母がもう夫婦の修復はありえないと嫁に聞いて分かった時点で、大事に持っていた孫のへその緒を返すシーンがあったが、年老いた母の思い描いた老後もまた叶えられずにあそこできっぱり終わってしまったんだなと涙が出そうになった。と同時に長野の義母のことも思い出した。きっとあんなふうに私たち夫婦の仲を最後まで(今でも)心配しつづけていたんだろう。
今のこの気持ちを3日もたてば生活の忙しさでまた忘れてしまうのだろう。どうして同居したのか、本当に夫と最後まで添い遂げるつもりなのか、そもそも愛しているのか愛されているのかとまた不毛にも悩み込んでしまう日々がくるだろう。でも、今日は、今日だけはあの頃のあの切なさを抱えた自分を覚えていたい。あの頃からたしかに人生は動いて、そして今があるのだけれど、この今でさえあの頃思い描いていた未来だったか分からないでいる。ただ、ふたりが離れていた時期のあの心の揺らぎだけは手放したくない尊いもののように感じている。
by zuzumiya
| 2016-05-22 22:56
| わたしのお気に入り
|
Comments(1)
Commented
by
soworld
at 2017-04-26 17:17
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海よりもまだ深く大好きな作品の一つです。
通りすがりですがこの記事の言葉もとてもよくコメントさせて頂きました。
通りすがりですがこの記事の言葉もとてもよくコメントさせて頂きました。
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ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
by zuzumiya
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