私の見ている世界

ある朝のこと。雨戸を閉めなかった窓には細かな結晶のような結露がたくさんついていた。外は雲ひとつない真っ青な冬晴れ。清新な朝の光で結露が一面、宝石のように輝いていた。グラデーションのように消えかかった結露の靄の向こうには茶色く色づいた木々が風に揺れていた。部屋には運良くシガー・ロスがかかっていた。なんと美しいんだろうと、感動した。こんな些細な、日常のありきたりの風景が音楽によって変わった瞬間だった。
シガー・ロスは雪の舞う雪原が似合うと書いたことがあったが、「ああ、そんなことはないんだな、結露でもいいんだ」と笑ってしまった。音楽が恋のように見ている世界を変えてくれることは何度も感じてきたけれど、またあらためてその力の凄さを実感した。
猫が窓辺で外を見ている。その姿を外に出られなくて可哀想だとか、よく飽きずに一日眺めていられるなと思っていた。今朝、そんな猫の姿を見ていたら、その背後に雲がゆっくり流れているのが見えてハッとした。久しぶりに、ほんとうに久しぶりに雲が流れていくのを見た。雲の流れを見ながら、眠たくなったら寝ている猫に、なんだかすごいスケールで生きているなと思った。
小説『あん』の最後に、「私たちはこの世を観るために、聞くために生まれてきた。この世はただそれだけを望んでいた」とか、早くに死んでしまった子供に生まれた意味はないのかという問いに「その子なりの感じ方で空や風や言葉をとらえるためです。その子が感じた世界は、そこに生まれる」とあって、一日中外を眺めて飽きない猫の姿も相まって、不思議にしみじみと心に響いた。
私もブログで書いたことはあったが、「私が見ている世界がこの世界なのだ、世界はそれでしかない」と思えば、やはり音楽をはじめとする様々な芸術の力を借りてでも、見方を修正する必要がある。人は常に心配事や考え事でいっぱいになり、考えることで感性は閉じてしまうらしく、美しいものが美しいと素直に感じられなくなる。
以前に、これから研修に行かねばと面倒な気持ちで忙しく道を歩いていたとき、スーパーの前でおじさんが「あれ、きれいな虹が出てる。ありや、二重だなぁ」なんて口走った。そのとき思わず「なにが虹だよ、暢気なこと言って」と心の中で吐き捨てたことがあった。
精神状態が悪かったのだが、虹のようなめったにない美しい景色を「ホラ」と差し出されても、その時の私には受け取れず何ら響かなかった。私に限らず、おそらく皆がこういう見逃し、聞き逃しの経験はたくさんあるだろう。それでもありがたいことに自然は季節の巡りのように、日が沈んでまた昇るように、何度も何度も繰り返し鷹揚に人間に美しいものを差し出してくれる。人間は頭でっかちで不器用だから、すぐに世界を暗く重たくしてしまう。自分の心で作った世界を見て、その中で自分で生きづらさを感じてしまう。朝日を浴びた結露にだって美しく感じられる感性を持っていながらだ。
ひとたび、自分に言い聞かす。
私は私の見ている世界に生きている、と。その世界は美しくありたいな、と。
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by zuzumiya | 2015-12-06 11:49 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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