暮らしのまなざし

今日の出来事から学んだこと

今日、派遣の子が無断欠勤した。本人と連絡もとれず、派遣会社も本人と連絡がとれないようで、その後の話ではなんと派遣会社が家を訪問するという。事故や事件性も疑ってのことらしい。少し前にも一人、新入社員として入ってきた子が夜勤を無断欠勤して、やっぱり本人と連絡がとれず、クビになったばかりだったので、職場は「ほれ、みたことか」「やっぱりそうきたか」「(以前クビにした子と)同じ空気を感じてた」などと悪口が飛び交い、騒然となった。
たしかに無断欠勤は悪い。社会人としても、人間としても、救いようがなく庇う余地はない。ただ、気になるのは無断欠勤した本人たちが悪い、運悪くデキの悪い人間に当たっちまったと、皆で人のせいにして終わらせてしまってほんとにいいものだろうかということだ。
こんなふうに直近で二人も無断欠勤のような、投げやりな、捨て身の“不服申し立て”のような方法で去られたということ、それから、そうでなくとも職員が、パートでなく、割と他の職場に比べて手当や時間や待遇のいい職員すらもが何人も辞めていくという事実を、個人の問題じゃなく、職場の問題としてもう少し冷静になって考えてみる必要があるんじゃないかと思う。
辞めていくというのは「ここに残りたいか残りたくないか」の二択としたら、「残りたくない」を選択したことなのである。残りたくなるほどの職場じゃなかった、引き止められるほど職場に魅力がなかった、という厳然たる事実をもっと受け止めるべきだ。いつも個人の話で終止しがちだが(そうだよね、去られた自分たちのせいにはしたくないもの)、ほんとに個人の人格、資質にだけ原因があるのか。職場として魅力ある職場だったか、迎い入れる我々の対応は、準備はあれでよかったのか、もっと何かできなかったのか、声掛けは、笑顔は、励ましは、教え方は…、反省点は全くないと言えるのか。
私は今まで二つの会社の面接で男性上司にこんなふうに訊かれたことがある。
「女性ばかりの職場なんですが、人間関係などいろいろ面倒なこともあると思いますが、大丈夫ですか?」あるいはまた、「女性ばかりの職場ですが、例えば、気の強い口調の激しい人に何か文句を言われたら、あなたならどうします?」。
これまでこう訊かれた職場は二つとも見事に、年配のお局がいたり、複雑な女子の派閥があったりして人間関係のひどく悪い環境だった。仕事を得たくて合格したいがために「大丈夫です」と笑顔でハキハキ答えて合格してきたのだが、今思えば、こんなバカな面接はなかった。
今なら私はこう言い返す。
「ということは、こちらの職場では女性のそういうややこしい問題に今まさに直面しているということですよね?」
「それなら、なぜ、そのおおもとの元凶が誰なのか実態を調査把握して、その元凶たる女性を辞めさせるか厳重注意しないで、やりたい放題の野放しにしておくんでしょう?」
「女どうしの問題は面倒だからと野放しにしておいて、その女性とトラブルを起こさないような控えめで、間違ったことでも何でも言うことをきくコントロールしやすい女性を入れたいとは、上層部として何たる怠慢でしょうか」
「そうやって、新入りの女性が辞めてはまた募集をかけて雇い直しを繰り返してきたのなら、私たちはまるで消耗品ですよね。人材を人の宝“人財”とみないで、消耗品としてこの会社では見ていると解釈してよろしいのでしょうか?」
たぶん、ここまで言い切ったら、私は間違いなく面接を落とされるだろう。でも、今までの経験上、落とされた方がいいのだ。所詮、こういうところは合格して中へ入っても仕事は何ら問題はなくても、人間関係で嫌な目を見て、上司は肩書きだけで何の助けにもならず、結局長くは続かない。
私は今まで、こういう職場で長く働けないのは自分の精神力のせいだと思ってきた。なぜなら、なぜか辞めずに居残れる人もいるから。自分が精神的にタフじゃないから、お局の日常的な誰かを叱る声や嫌味や皮肉や、お局に取り入ろうとする腰巾着の表裏のある態度や、彼女の傲慢さを見て見ぬ振りして許してしまう男性上司らが鼻について仕方がないんだと思ってきた。もっと精神的にタフであれば、どんなにお局が幅をきかそうと、声を荒らげようと右から左に流せたんだろうと思ってきた。すべて自分が不器用でうまく適応できない、辛抱できない弱い人間だからだと自分を責めてきた。
でも、ある時、とても人間関係のいい、居心地のいい職場に巡り合って「あれ?これってもしかして、自分の精神力とか適応能力とかの問題じゃなくて、単にいい人が集まっているだけ?」と思った。その時から、私は自分自身をだめだと思わないようにした。辛抱できない自分が悪いんじゃなくて、職場の方がどうしようもなく悪い場合だってあるんじゃないか。自分の人を見る感性、職場の善し悪しを判断する感性はそんなに間違っていないんだと思うようになった。
そうこうしているうちに世の中も“ブラック企業”という言葉が現れて、“石の上にも三年”とは言うけれど、頑張れない、辛抱できない自分が果たしてほんとうに弱いのか、悪い環境をそのままにして人を使い捨てにする会社側こそ悪いという風潮が出始め、「ほらね、やっぱり」と思うようになった。
今、昔の私のように辛抱できない自分の弱さだと自分自身を責めている人がいるのなら、「ほんとにそう?」と私は問いかけたい。へんな人、性格がひん曲がってる人、意地の悪い人、ちょっとどうかと人間性を疑うような人は確かにいる。その人の言動が職場環境を明らかに悪くしているなら、それをよしと思えない、それに耐えられない自分はだめでも悪いわけでもない。問題はあなたじゃなく、その相手、それからその人を野放しにしている会社側にある。そこをはき違えて、自分はどこへ行っても何をやっても続かない、だめな人間なんだと落ち込む必要はない。
でも、今日ひとつ思ったのは、どんな職場でも必ず“掃き溜めに鶴”のようないい人がいてくれるということ。毎日、気をつけていれば、というかめげずに頑張って前を向こうとしていれば、必ず誰か何か(人とは限らず自然でも)がそんな心の扉をノックしてくれる。ああ、この人に、この花に今日は救われたぁ、という瞬間がくる。ちなみに私は今日、炊事場のおばちゃんの笑顔と「ありがとう」という言葉ひとつに救われた。気持ちがぱあーっと明るくなった。いい人に支えられて、その心根にその消えぬ存在感に励まされて、私はこうやって今の今まで社会で働いて生きてこられた。神様の、その気づきを与えるための見事な配合?に感謝しなくてはいけないのかも…。
そして、大切なのは、いい人に出会えたからこそ、人のいい面を見ようという気になれたことだ。今書いていて、もう一度、ここは自分も反省しなくてはと思った。最近は忙しすぎてイライラして、人の悪い面ばかりが心に残って、自分の気持ちも荒んでいた。そう、人の短所ばかりを見つめているとなぜか自分の心も荒むし、人の長所を見つめていれば、晴れやかないい気持ちになる。そして、そんな晴れやかな自分はきっと誰かの目に「いいな」と映っていることを願いたい。さあ、明日も頑張らなきゃ。最後は晴れやかに追われてヨカッタ。
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by zuzumiya | 2014-09-19 00:56 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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