暮らしのまなざし

すべては均衡を保っている、或いは保とうとしている。表面張力のように微妙なところで

今朝、仕事中にふと、そんなことを考えた。
例えば、大阪に行っている娘の身に何か起きたとする。考えたくないが、そういうニュースは毎日飛び交っている。警察に呼ばれていろいろ訊かれるだろう。でも、私は娘についての質問にどれだけ答えられるだろう。
いつだって、「大丈夫だ」と信じる気持ちと、どこかで「もし、そうなったらもう仕方がない」と諦める気持ちで生きてきた。そうするしかなかった。行動的な、と言えば聞こえがいいが、娘はかなりやんちゃな思春期を過ごしてきて、よく今まで無事で生きてこられたと思う。彼女がまだ小学生くらいの頃、私が見た夢に、幼い彼女がジェットコースターの何かに挟まれて身動きがとれず、私が名を呼びながら懸命に揺すぶるも、目の前ですうーっと息を引き取っていくという衝撃的なものがあって、いつまでもこうして忘れられずに憶えている。夢から醒めても暗示のように、心のどこかで「もしかしたら、この子はいつかすうーっといなくなるんではないか」という儚さと不安が残った。
思春期の無鉄砲さに「もし、このまま帰ってこなかったら」と思う夜はいくらもあって、いつでもその夢を思い出したし、ただ旅行に行っているだけの今だって「もし携帯が使えなくなれば、もう連絡の取りようがない」という情けない事実に、こうして思い出してしまっている。
目の前にコップに注がれた溢れんばかりの水が見える。
考えてみれば、何も大丈夫なわけがないのだ。人生はいつだって、平凡で明けても暮れても同じ、「つまんない」なんてぼやく安穏なんかじゃなく、ただわずかばかりの運命の表面張力のようなものに支えられ、助けられているだけかもしれない。知らないだけで、ギリギリのところを生きているのかも。
多くの映画や小説を見てきた私の想像力は、へたをすればここぞとばかりに悪い妄想へ走り、自分でも驚くほどの悲惨な物語を脳内に作りだす。そのシナリオの中で、私はやっぱり、やんちゃな娘の死を「もし、そうなったらもう仕方がない」「いつかがついに来ただけ」なんて諦められるほど、平気じゃなかった。無責任で臆病で馬鹿で情けない親だが、それでも母親としか呼びようのない生き物になっていた、と自分を思う。
っていうか、こんなこと深刻に考えちゃうほど、実は心配で寂しいのかな(笑)。
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by zuzumiya | 2014-09-01 13:14 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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