すごい混んでいるのかな、バルテュス展は

a0158124_175155.jpg有給婚の私は今月も休みをとって15日は夫宅へ行く。先日のしけた結婚記念日のやり直しだ。
さて、今回は何をしようか。上野のバルテュス展を見に行こうか、それとも映画X‐MENの最新作か、両方か。映画といえば、今月の28日から公開のジョニー・デップ主演『トランセンデンス』も面白そうだ。でも、ジョニデの方は来月のお楽しみにしてとっておこう。
やはり、バルテュス展を見ておくべきか。さて、そのバルテュス。「称賛と誤解だらけの20世紀最後の巨匠」と銘打たれているらしいが、私はこの「誤解」という言葉、そもそも芸術に向けて使うべき言葉じゃないんじゃないかと思う。いかにもバルテュスの絵をちゃんと理解した人間が「バルテュスの絵を誤解しないように」と注意を促しているみたいな言い方がとんちんかんに思える。
日曜美術館という番組内でバルテュス自身の言葉として「私は自分の絵を理解しようとしたことはない」と紹介していた。あれは、私が思うに「理解なんてしてもらわなくて結構、そもそも芸術に理解という言葉はふさわしくない」っていうふうに捉えたんだけれど。理解の対語として誤解があるのだから、誤解なんて言葉、そもそもそういうバルテュスに使っては失礼だと思うんだが。
バルテュスの絵は、いわば挑戦的だ。人間の心の内には清らかで聖なるものを好む部分と俗で邪悪なものを好む部分が混在している。そうであるから人間は非常に複雑でそれゆえ愛しくて憐れむべき存在なんだが、その相まったところを揺さぶってくる、揺さぶってゆらゆらと浮き出てきたものを突きつけてくるのだから、挑戦的な絵だと私は思う。絵から何が見えるか、どう見えているのか、見て感じたままがあなたなのだから…と深層心理のテストを受けてるようにも感じてしまう。
バルテュス自身が理解しようとしないと言うのだから、感じたままでいいではないか。どう感じてもよい、どう受け取ってもよい、そのありとあらゆる正解のない自由さが芸術の醍醐味なのだから、誤解もへったくれもない。そう思うから、私はバルテュスの絵が好きだし、バルテュスの絵に限らず、芸術というもの全般に惹かれる。作品は作者のものであって、同時に受け手のものである。もっと言えば、バルテュスの絵であって、でももうどうしようもなく私の絵であるということ。凄いよね、そういうのが許される世界って。
言語でない絵画芸術の世界だからこそ、そのぶん縛りは溶けて、あらゆる人のあらゆる絵になっていく。しみじみと芸術は人間に許された感性の解放、カタルシスだと思う。
私がときどき、美術館へ出向くのも日常の縛りから逃れて、感じたままをよしとする自由さ、自分のこの生きている感性を自分で確認して味わいたいから。「アートを日常へ」なんていうのと真逆な気持ち。そんなアートはたちまち商品になってしまう。非日常だから、ズドンと効く。そう思う。
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by zuzumiya | 2014-06-08 17:56 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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