暮らしのまなざし

丁寧にくらすコツ

今日、こんなことを思った。
今、エッセイを二冊、並行して読んでいる。荒野さんの方は小説家の素顔を(素顔なんてものは、なにせ嘘話を作る小説家なんだからものの数パーセントかもしれないが)垣間見る感じで読み進み、飽きると千ちゃんのふだんの日常を読む。本を読んでは、家事に立ち、そのついでに猫の遊びに付き合ったり。眼鏡を遠いのと近いのと、両方共を丸眼鏡にしてしまい、居眠りをして起きた時には、取り違えてかけてたり。
ふと、「丁寧にくらしたい」のならば、よいエッセイを読むことじゃないか、などと思い立つ。
しかも、そのよいエッセイというのは、なるべくなら日々雑記の類である。
どちらのエッセイもまだ途中なんだが、荒野さんのエッセイはお父様との思い出や旦那様との暮らしぶりなどいわゆる「小説家の素顔を覗く」楽しみでしかないように思うけれど、石田千ちゃんのエッセイは、予想していたとおり「日々の暮らしから見えてきたことども」だった。いわゆる「日々雑記」の類である。たまったアイロンをかけてたらいつのまにか季節が変わっていただの、菜っ葉をゆでて春を見ただの、散歩で冬の木々から励まされただのである(あまりにざっと書きすぎて味わいがないが)。でも、小説家が講演の旅をして美味しいものを食べてどうだったとか、どこそこのパーティーではっちゃけたとか、そういう話はあまりに自分とかけ離れているし、本来小説家である人がエッセイを書くときに使う「裏話」のような持ちネタを見せつけられているような気がして、そのうち「ふうん」と飽きてくる(荒野さんが、というのではないですよ)。反対にエッセイで売ってる(立ってる)作家さんたちは、「目のつけどころ」が勝負だったりするわけで、ふだんの日々雑記の類でも、ハッとさせられることが多い。それで、なにせ書かれてあるのがふだんの暮らしなので、事件も事故もない。ただゆっくり時間が淡い色合いで流れていく。一篇読んでも、一文心に残る際立ったものがあればメッケもの(失礼!)。何もなくても、書き手と一緒にのんびりと時間を過ごして、ただそこに暮らしている感じ、ゆったりした息使いばかりが残る。
千ちゃんのエッセイを立て続けに何篇も読んで、本のなかでは季節が移り変わり、私の枕元の朝の光が濃くなって、ゴミ出しに行かねばと起き上がる。9階の共用廊下に立ち止まり、街を遥かに見晴かすと、桜にかわって、けやきの緑が目立ってきた。眺めながら、ふっと「こういうことか」とわかった。この心持ち、このゆとりは千ちゃんのエッセイの呼吸だったと思い出す。「丁寧にくらす」コツはここにもあったか。
日々雑記を「つまらないもの」「とるにたらないもの」とバカにしてはならない。みんなの足元だからこそ、日々雑記を書くのは、書き続けるのは、難しい。
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by zuzumiya | 2014-04-19 10:15 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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