無敵な長靴
女性たちの間でお洒落な長靴(「レインブーツ」とも言う)が流行り始めた頃に飛びついて買った長靴は、丈は膝下までで、グレーの地に水色の小花模様という可愛らしいデザインだったが、出始めというのはまだいろいろと改良がなされていず、やたらにゴムが厚くて、履いていてどうにも重くて疲れた。
結局、さほど履かずに玄関の棚に置かれ、新たに丈が短くて軽いタイプを買うはめになった。
売り場の棚には雨の日用の長靴なのに、晴れの日にでも街に履いて行けるようなブーツっぽいお洒落な長靴がたくさん並んでいた。丈の短いものは材質さえ除けばまるでショートブーツだ。ジーンズに合わせたらかっこいいワークブーツのタイプもあった。
でも、実際私が合わせるのはジャージである。雨の中、歩いて20分ほどの職場へ行くために、いちばん大事なのはお洒落さより軽さである。ということで購入したのが、ほんとうにシンプルで何の飾りもない、つま先がつるんとしたおでこのように丸い、ただの短い長靴だった。
あの、2歳か3歳ぐらいの幼児が雨の日だろうが晴れの日だろうが、公園に履いて出る、子持ちの家の玄関に必ず片足がぺろんと倒れているような、あの短い長靴と言えばわかってもらえるだろうか。それの、色は一応、大人らしく茶色のを買ったのである。
それで、実際、雨の日に履いて出ると、足元だけ子供に戻ったみたいになった。
まずは音。長靴らしく踵を引きずるたびにズコッズコッと腑抜けた音がする。それと共に足の甲やら土踏まずから生あたたかい空気が動いて、くるぶしの薄いゴムを震わせて外へと抜けていく。その感じがあまりに懐かしいのでつい、うれしくなる。足元を見ると、並んだ丸いおでこにうずうずとした幼い愛嬌があって、年齢不詳の他人の足を眺めているように不思議だった。
憂鬱な雨の日のはずなのに、「これさえあればどこへでも歩いて行ける」と思う。
実際、大の大人がニカッと笑いながら、わざわざ水たまりに足を入れて歩いたりする。
そうして「ああ、そうだった、そうだった」と思い出す。子供の頃の、お気に入りの黄色い長靴を履いて歩いた時の、あの万能感を。世界に対峙する時の揺るぎない勇気を。
子供の頃は自然に触れて、自然と遊んで、自然がもっと近かった。雨の日には池のような大きな水たまりに、雪の日には雪そのものに、台風の日にはおちょこになった間抜けな傘と体が浮いてさらわれそうな大風に、楽しみを見出して興奮したものだった。いつだって長靴を履いていれば無敵で(だからこそ、長靴から水が侵入することはしおしおとうなだれてしまうくらい完全敗北で)自然の厳しさから守られて、その厳しさをぜんぶ遊びに変えてくれた。長靴が自然との仲を取りもってくれたのだった。
大人になるとかなりの雨の日でもみな意地になってヒールや革靴を履いて、通勤の迷惑だとしかめっ面をして歩く。長靴を履かない大人は、自然になぶられてバカみたいに弱い。
そんなことを歩きながら考えている私は足元だけじゃなく、心まで子供がえりしていた。
あの時、売り場で「レインブーツ」と呼べるようなお洒落な長靴を買っていたらどうだったろう。気持ちはお洒落に引っ張られて、ウインドーに自分の姿なんか映しちゃって、雨のなかを大人らしくスマートにすまして歩いていただけだろう。ここまで心が無邪気に子供がえりしていなかったんじゃないか。こんなふうに世界を味方につけて、水たまりに入っていくことなんてしなかったんじゃないか。
おでこの丸い長靴を選んで、実に私らしく正解だった。下駄箱を開けるたび思う。
大丈夫。世界はまだ私のものだ。やったるでー、と。
結局、さほど履かずに玄関の棚に置かれ、新たに丈が短くて軽いタイプを買うはめになった。
売り場の棚には雨の日用の長靴なのに、晴れの日にでも街に履いて行けるようなブーツっぽいお洒落な長靴がたくさん並んでいた。丈の短いものは材質さえ除けばまるでショートブーツだ。ジーンズに合わせたらかっこいいワークブーツのタイプもあった。
でも、実際私が合わせるのはジャージである。雨の中、歩いて20分ほどの職場へ行くために、いちばん大事なのはお洒落さより軽さである。ということで購入したのが、ほんとうにシンプルで何の飾りもない、つま先がつるんとしたおでこのように丸い、ただの短い長靴だった。
あの、2歳か3歳ぐらいの幼児が雨の日だろうが晴れの日だろうが、公園に履いて出る、子持ちの家の玄関に必ず片足がぺろんと倒れているような、あの短い長靴と言えばわかってもらえるだろうか。それの、色は一応、大人らしく茶色のを買ったのである。
それで、実際、雨の日に履いて出ると、足元だけ子供に戻ったみたいになった。
まずは音。長靴らしく踵を引きずるたびにズコッズコッと腑抜けた音がする。それと共に足の甲やら土踏まずから生あたたかい空気が動いて、くるぶしの薄いゴムを震わせて外へと抜けていく。その感じがあまりに懐かしいのでつい、うれしくなる。足元を見ると、並んだ丸いおでこにうずうずとした幼い愛嬌があって、年齢不詳の他人の足を眺めているように不思議だった。
憂鬱な雨の日のはずなのに、「これさえあればどこへでも歩いて行ける」と思う。
実際、大の大人がニカッと笑いながら、わざわざ水たまりに足を入れて歩いたりする。
そうして「ああ、そうだった、そうだった」と思い出す。子供の頃の、お気に入りの黄色い長靴を履いて歩いた時の、あの万能感を。世界に対峙する時の揺るぎない勇気を。
子供の頃は自然に触れて、自然と遊んで、自然がもっと近かった。雨の日には池のような大きな水たまりに、雪の日には雪そのものに、台風の日にはおちょこになった間抜けな傘と体が浮いてさらわれそうな大風に、楽しみを見出して興奮したものだった。いつだって長靴を履いていれば無敵で(だからこそ、長靴から水が侵入することはしおしおとうなだれてしまうくらい完全敗北で)自然の厳しさから守られて、その厳しさをぜんぶ遊びに変えてくれた。長靴が自然との仲を取りもってくれたのだった。
大人になるとかなりの雨の日でもみな意地になってヒールや革靴を履いて、通勤の迷惑だとしかめっ面をして歩く。長靴を履かない大人は、自然になぶられてバカみたいに弱い。
そんなことを歩きながら考えている私は足元だけじゃなく、心まで子供がえりしていた。
あの時、売り場で「レインブーツ」と呼べるようなお洒落な長靴を買っていたらどうだったろう。気持ちはお洒落に引っ張られて、ウインドーに自分の姿なんか映しちゃって、雨のなかを大人らしくスマートにすまして歩いていただけだろう。ここまで心が無邪気に子供がえりしていなかったんじゃないか。こんなふうに世界を味方につけて、水たまりに入っていくことなんてしなかったんじゃないか。
おでこの丸い長靴を選んで、実に私らしく正解だった。下駄箱を開けるたび思う。
大丈夫。世界はまだ私のものだ。やったるでー、と。
by zuzumiya
| 2014-03-23 07:32
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by zuzumiya
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