今あるこの私は誰が作ったか

うまく書けるかどうかわからないけれど、とにかく考えながらでも書いてみようと思う。
夫婦にはいくつものステージがある。恋人同士の二人が結婚して、新婚時代があって、やがて子供が生まれて、子育てに躍起になってる時代があって、なんとか子供が社会へ出て働けるようになって、子供の自立とともに子育てが終わる。そしてまた夫婦二人だけに戻る。
今、私たち夫婦はどの辺にいるのかといえば、子育てが終わって、また夫婦二人だけに戻った時点だ。でも、この子育てが終わって二人に戻った夫婦というのは、ほんとうのところ、もとの夫婦の何に戻れているのだろう。
戻ったというのは形態だけのことで、長い時間を経てきて、夫婦のそれぞれの中身の話となると、決して“戻った”というわけにはいかないんだろう。
私たち夫婦は、いや、私たち夫婦だけじゃないかもしれないからこそ、こうして書いているのだけれど、この子育ての時代にやはり多くのエネルギーを費やしたと思う。
子供を家庭の中心に据えて、良き父、良き母であるために、答えのない道を、はじめての道を迷いながら、悩みながら、傷つけ合ってそれでも懸命に走ってきた。
いつのまにか子供たちは両親や家庭より自分で見つけ出した友人を、恋人を優先して家にいなくなり、気がつけば夫婦二人だけが家に取り残されている。子供はいないのに、互いに呼び慣れた「お父さん」「お母さん」とだけは呼び合って。
子供がもういないのなら、「お父さん」「お母さん」と呼ばなくたっていいはずなのに、長年の癖は治らない。呼称だけの話じゃなくて、もうすでに相手のことを「お父さん」「お母さん」としか見られなくなっている。「あなたは私の妻」であり、「あなたは私の夫」であるという響きが醸し出すほのかに甘い感覚ですら、長年の義務や責任に塗り替えられて、失われている。欧米のように若いベビーシッターを雇って、夜、夫婦でいそいそと出かけるなんていう習慣のない真面目な国、日本では、子育てに何よりも犠牲(強い言葉だが、敢えて言う)になるのは「夫婦ふたりの時間」「夫婦ふたりの愛」なんだろう。
子育てが終わって、夫婦二人に戻ったときに、「わーい!また新婚時代に戻れた!」と叫ぶか「はてさて、我々はどうしたものか」と困惑するか、結局は二者択一になる。
私たち夫婦は、子育てとそれに伴う厳しい家庭運営に実は疲弊していたんだと思う。
夫はもはや呼称のとおり「お父さん」でしかなくなり、夫にとっても私は何より「お母さん」になってしまっていたんじゃないか。それほど頑張ってきたということだけはよくわかるし、いいチームだったと手を取り合って互いをたたえ合うこともできる。
でも、もう子育ての時代は終わった。これからは何を目標に、何で手を取り合って協力して生きていけばいいのかを、なんと、“考えなくては”いけなくなった。「お父さん」「お母さん」ではなく、何て呼んでいいのかも既にわからなくなっている相手というものに愕然としながらも、もっと真摯に“考えなくては”ならなくなった。
「それぞれが好き勝手にやりたいことをやって生きていけばいいのよ」と笑い飛ばす人もいるだろうけど、私はそれはそれでもう、無自覚なのかもしれないが、夫婦として何かが失われている、終わっているとしか思えない。
だから、今は別居してみて、「お父さん」でなくなった夫のことを、「夫」ですらなくなるかもしれないあの人自身そのものを、見つめ直している。私は馬鹿で不器用だから、そしてたぶん変に恵まれてもいて、夫とわざわざ別居するという大胆な方法をとらなくては、それができなかった。
ここには詳しく書けないが、最近は私にもいろいろとあって、離れてしまえば関心も薄れていくと思う時期もあったけれど、その出来事がまた夫を“一人の男”として浮かび上がらせ、考え直すきっかけにもなった。夫もたぶん、私と子供たちと離れて独身生活を送っているわけだから、自分にとって家族とは何だったんだろうとか、私を「お母さん」でも「妻」でもなく、一人の人間として、女として、捉え直していることと思う。もっと言えば、自分にとって必要な人間なのかどうか、考えていると思う。

思えば、私を書くことへ誘ってくれたのは私ではなくて(自分自身だとばかり思っていたが)夫だった。どんなものであれ、書くことで私は「お母さん」や「妻」だけでなく「私」でいられる場を持てた。私の好きな映画や音楽や本や芸術のすべてのチョイスも、あの宮本浩次に至ってさえも、夫はすべて自由に、好きなようにさせてくれた。実に寛容だった。
考えてみれば、私は自分で、自分だけで、今あるこの私を作ってきたと思い上がっていたのかもしれない。でも、ほんとうは夫との共同作業で作ってきたのだった。夫がいたからこそ、夫でなければ、今のこの私にはなれていなかった。しょうのかずみだって生まれていなかった。そのことの価値と幸福を、そしてそれはとてつもない愛だということを今、少しずつ思い出している。
同時に私は、今ある夫という人間をほんとうに一緒になって作ってきてあげられたのだろうかと不安になる。今ある自分をそれでもなんでも「好きだ」と彼は肯定できているだろうか。私はいつでも否定してきてしまったんじゃないか。私が私であろうともがいている間に、押し通すうちに、そんな恵まれた環境であることも知らずに、彼を独りにしていたんじゃないか。彼にだけは「お父さん」であり、「夫」である役目と責務を、この私が、いつまでも押し付けていたんじゃないか。

不安や後悔や反省はいくらでもあるけれど、とにかくいちばんに伝えたいことは今見つかっている。それだけは伝えなくちゃならないと思っている。そして、今、夫がどこへたどり着こうとしているのか、ゆっくり話を聞いてこようと思う。



※追記
私が今朝、気がついたことは、私の夫だけでなく、もっとみんなに知ってほしいと思う。
あなたが今ここにあるのは、決してあなた自身の努力の結果だけじゃない。
必ず、誰かがあなたの気がつかないところで、気がつかない方法で、あなたをずっと支えてきた。誰かの愛で今のあなたの良さはあなたの中でむやみに摘み取られずに、大事に今の今まで育まれてきたことをどうか忘れないでほしい。人生で人にそういう愛を捧げられることこそ、何かで成功したとか、お金持ちになれたなんてことより、ずっと尊いことなんだと思う。
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by zuzumiya | 2014-01-04 10:38 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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