暮らしのまなざし

玄関読書

暑さにうなされて目を覚ます。タオルケットからはみ出た足を冷気にさらされ、朝方いったん冷房を切ったのだった。見上げると遮光カーテンの裾から恨めしくも白い日差しが漏れている。サッシの向こうではミンミン蝉のけたたましい合唱。日曜日。朝の八時半。
寝室からよろよろと出ると猫が待ち構えていた。見ると、玄関の扉が少し開いている。夫はリビングのソファに移動して二度寝をしていた。網戸に扇風機だけだが、玄関からの朝風のおかげで思いのほか部屋は涼しい。猫がいるのに大丈夫だろうかと、念のため扉の開き加減を見に行く。慎重な夫らしく猫の頭が出ないほどの隙間を作ってあった。
新聞を取って食卓に戻り、足元にまとわりつく猫に餌をやる。新聞を開きかけたが、思い直して新聞を持って再び玄関へ。廊下の端にどたんと腰掛けて新聞を広げる。「猫は家の中でいちばん涼しいところを知っている」と思い出した時、後ろからそろりと猫がやってきた。脇の下から小頭を出すと、そのまま広げた新聞にダイブした。どこであっても飼い主に新聞は読ませるつもりはないらしい。怒ると声に驚いて、居慣れない玄関から一目散にリビングへ駆けもどる。それでも新聞の擦れる音に引き寄せられ、やってきてはまた怒られて逃げる。そのうち、新聞ダイブも飽きてきて、そこらに脱ぎ散らかしてある家人の靴の匂いを嗅いだり、下駄箱へ飛び移る距離を見測ったりして、知らぬ存ぜぬの風情を漂わせながら、それでもしっかりお目当ての扉の隙間に近づいている。でも、自慢の長いしっぽは見事にしなびて垂れている。マンションの前の街道を走る車の音が怖いのだ。
僅かな隙間からは街道の向こうの遊歩道を行く自転車やウォーキングする人々がちらちら見える。そよそよと流れてくる風は薄暗さも手伝って冷たくて気持ちいい。扉を全開できればどれほど電気代の節約になるだろうと思う。猫は鼻先を風に向けて目を細めながら、そのまま地べたにぺたんと伏せた。どうやらここが気に入ったようだ。
急に思い立って、本を取りに行く。平松洋子のエッセイで『小鳥来る日』。図書館で借りたが、数ページめくってすぐに購入することにした。休日で、家族はまだ寝ていて静かで、場所はあろうことか薄暗く狭い玄関で、投げ出した足で息子の靴を踏んづけたりしているが、朝の涼しい風を一人占めできて、なんだかすごく幸せな気分だ。こういう時はチャンスである。日頃、大事に読みたいと思っている本を読むのがいい。
平松さんといえば、今まで料理関係のエッセイが多かった。最近になって書評も素晴らしいことが分かって賞もとった。料理について書いている頃から、この人はごくごく日常の身の回りのことを書いても上手いだろうと思っていた。そういう本が出たら、迷わず買おうと思っていた。
はじめの一篇、「八角蓮ふたたび」の冒頭七行は石田千を思わせるやけに古風な語り口で借り物のようだと引っかかったが、そこを超えればスムーズに読めた。「○○といえば△△を思い出す」エッセイの書き手には豊富な知識を引けらかすように詩歌やら小説の文章やらを引用してくる人は多いが、あれもひとつのエッセイの“型”なのだろうな、などとあらためて思いながら、有名すぎる在原業平の桜の歌を読む。
良かったのが二番目の「五月の素足」。足の裏は季節の移り変わりを捉えるから、実は足の“表”ではないかという視点、面白いと思った。しかも、素足でいることは五月をすぎればしだいに普通になっていくから「素足がうぶなのは五月、青嵐の吹き渡るわずかないっときだけである」という感性、この結び方、マイッタと思った。
日常のなかの個人的な些細な気づき。でも読み手には、言われて初めて気づく、つまらない何でもない日常がひっくり返ってハッとする瞬間だ。この日常に生き飽きるにはまだ見足りていない、聞き足りていない、感じ足りていないんだ、そんな気にさせる。些細であれば些細であるほど、そこに気づいた感性に驚かされ、人としての豊かさに惹かれていく。だから、エッセイは面白い、などと感激していたら、いつの間にかもう風は止んで、目の前の猫もいなくなっていた。
「お父さん、風が止んじゃったよ」
暑さで白く靄った遠くの空を眺めながら、サッシを閉め、冷房のリモコンを押す。時間にしておよそ三十分。たった三篇。
休日といえども、主婦の私にはあんな満ち足りた時間はもう巡ってこない。
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by zuzumiya | 2013-08-11 16:15 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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