春の木琴

暖かな陽気に誘われて住宅街を歩いていると、庭先からいきなり木琴の音がコロコロと転がり出てきました。木琴といっても幼子の遊ぶ玩具ではなく、大人がオーケストラで演奏するような本格的な“シロフォン”です。弾むような軽やかな調べから、奏者のすばやい手さばきが目の前に見えてくるようです。
木琴とは珍しいと思いました。季節は春ですが、音は転がる木の実のようにも、膨らんだ花のつぼみがぽんぽんと弾けるようにも聞こえます。「夏に聞く木琴の音はどんなかな?」「冬に聞く木琴の音なら?」とひとり想像しながら楽しく歩きました。
いつの頃から住宅街を歩いていても、ピアノの音や音楽の調べが漏れ聞こえてくることがなくなりました。ピアノを習う子が少なくなくなったのでしょうか。私が小さかった頃は習い事といったらピアノかそろばんかお習字でした。近所を歩けばどこからかピアノの拙い練習の音が聞こえて「あ、この子もまだバイエルだ。私とおんなじところでつっかえてる」と笑いながら歩いていました。
演歌好きの祖父は気が向くと冷蔵庫を横に倒したぐらいの大きなステレオで、“古賀政男メロディー”や美空ひばりのレコードをかけていました。休日にアパートの住民の部屋から掃除機の音と一緒に聞こえてくる外国のポップスに「英語の歌だぁ」とほのかな憧れをもった憶えもあります。
昔は音を流す方もそれを聞く方もおおらかで、“誰かの今のいい気分やしあわせ”にもっと寛容だったように思います。今ではそれらがすべて騒音として忌むべき音として、デリカシーのなさとして片付けられてしまいます。
好きな音楽は自分が好きなだけだから、ひとりでイヤフォンで聞けばいい。ピアノの練習は聞くにたえない練習だから消音機能でヘッドフォンで。なんだか、合理的で個人主義的で、たしかにその通りなのですが、住宅街を歩いていて、ふと耳にしたピアノの音や音楽でちょっといい気分になる、思わずほほえみ和んでしまう、遠い昔に思いを馳せる、なんてことも少なくなくなってしまうのは寂しい気がします。耳にした時に「しあわせをおすそわけしてもらった」くらいの心持ちの豊かさ、ゆるやかさ、ゆとりが持てなくなったのは残念です。とはいえ、ひっきりなしに木の実が転がり続けるような木琴の音は人によって、気分によってはうるさいものかもしれません。何事もかげんが大事なのでしょう。
これからもここで季節ごとの木琴の調べに出会えたらいいな、と思いながら帰ってきました。
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by zuzumiya | 2013-03-07 14:20 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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