暮らしのまなざし

つい、「丁寧に暮らす」に挫けてしまうあなたへ

たしか、イラストレーターでエッセイストの益田ミリちゃんだったと思う。
どの本だったか忘れたけれど、主人公(すーちゃん?)がだらんと床に寝転びながら<雑誌の『クウネル』を見ると正しい生き方の見本みたいに思える>というようなセリフをつぶやいていた。私もまったく同じで、思わず笑ってしまった。
忙しさに流されて「自分がなんだかちゃんとしてないなぁ」と感じる時がある。そんな時はベッドでそっと『クウネル』を開いて「こういう暮らしがしたいのに」とひとりごちていた。
『クウネル』の人気ですぐに雨後の筍みたいに、同じようなコンセプトと佇まいの雑誌が書店に並び、私も『クウネル』や大橋歩さんの『アルネ』を気に入って読んでいた。その後、COW BOOKSの松浦弥太郎さんがあの歴史ある『暮しの手帖』の編集長になられたりして、若い女性から大人の女性まで、何となく生活意識の中に「丁寧に暮らす」が目指すべき良きこと、まっとうなこととして、位置づけられるようになった。
「丁寧に暮らす」この当たりまえのまっとうさ。実はこれがけっこう難しい。頭ではわかっていても行動に移せない、そういうことが「丁寧に暮らす」の陰には多い。
私も忙しい時は「一食ぐらいいいや」とインスタントやレトルトや惣菜なんかでぱぱっと食事を済ませることもある。『クウネル』には著名な料理研究家さんがたとえインスタントの塩らーめんでもちゃんと野菜と牛乳を加えて美味しくて栄養のあるお洒落な一品にしてみせているのに、私は読んでいても実行しない。食事をおろそかにすることは「丁寧に暮らす」に最も反しているんだろうなと、どこかで反省しながら何も入ってない塩らーめんをすする。
私だけじゃなく、おそらく多くの女性が華やかな女性誌の「シロガネーゼ(←古いか)の装いで素敵にランチ」の夢も叶わないが、真逆にある『クウネル』の「地に足のついた、シンプルで、しっかりポリシーのある暮らし」からも振り下ろされてしまうんじゃないかと思う。『クウネル』や一連の似たような生活雑誌のやってきたことは「シロガネーゼ」の夢物語の代わりに「丁寧に暮らす」のような“当たりまえのまっとうさ”をひとつの流行に押し上げた、ということかもしれない。ちょっと怖いのは「シロガネーゼ」より「丁寧に暮らす」の方がそれができない人は「人格的に残念」な感じを与えてしまうことだろう。だからこそ、反省をしてしまうのである。
「丁寧に暮らす」この地味で当たり前のよき事は、これにとらわれて「丁寧に暮らしてないな、丁寧に暮らさなきゃ」と思うたび、暮らし全体を反省や自己嫌悪ばかりにしてしまう。そこで、私はあえてもう一度考えてみた。ほんとうになんでもかんでも丁寧に暮らさなくちゃいけないものなのかどうか…。
今朝、ちょっと早くに外出する用があって、家事をあたふたやっていて、ようやくできた隙間の時間に遅めの朝ごはんを食べた。昨日の冷やごはんに生姜の味噌漬けのスライスを乗せて、熱湯をかけてサラサラサラ。またもや食をおろそかにしたわけだ。でも、今朝は食卓にラジカセを置いて音楽をかけてみたのだ。
最近、仕事で過労気味の息子はいわゆる“リラクゼーションCD”ばかりを買ってくる。
歯医者さんなんかでかかっているような控えめなBGMで、静かな音楽の背後に小鳥のさえずりや波の音が入っているようなやつだ。私はもともとインスト曲が好きなので、よく机に出ているのを貸してもらって聞いている。今朝聞いたのは『Woodland Harp』というCDで、ハープの演奏の背後に小鳥のさえずりがピヨピヨと聞こえた。朝の明るい光のなかで聞いていると、ハープの音がやさしく心地よく、小鳥のさえずりで辺りの空気が透明に澄んでくるような気がした。茶碗の中の白いご飯が湯気を立ててほろほろとほぐれて、上に乗っている味噌漬けの橙色が目に冴えてとてもきれいだ。ベランダの向こうの空も「今日は何かいいことがあるかも」と淡い期待を抱かせるほど真っ青で清々しい。
息子が「こういうの聞いてるといろんな景色が浮かんでくるからいいんだよ」と言ったことがうれしく思い出される。私にもたしかにいろんなものが見えてきたのだから。「ああ、何かいい感じだなあ…」手元を見ればお粗末な食事だが、音楽ひとつですこぶる幸せな気分になった。
この時ふと「丁寧に暮らす」ということの意味が私なりにわかったような気がした。
「私、今、丁寧に暮らしているかも…」といううれしい実感があったのだ。たぶん大事なのは、心にふっとゆとりが生まれたってことなんじゃないかと思う。何から何まで「きちんと手作りしたものじゃなきゃダメ」は考えてみれば「どこそこのブランドじゃなきゃダメ」と同じ拘束力を持っている。たとえ、スーパーで買った味噌漬けと残り物の冷ごはんでも、今朝のようなあんなに新鮮で豊かな気持ちで食べられたのなら、今の私は十分「丁寧な暮らし」をしていると言える。朝食に素敵な音楽をかけたこと、ここのところで私は実に“暮らすということに丁寧だった”ということなのだ。何もかもを頑張ってきちんと丁寧にしなくたっていい。そんなに生きることに優等生にならなくても、「ああ、今いい感じだ…」と心から味わえるひとときを持てるようにちょっとだけ工夫する、ってことでいいんだと思う。
「丁寧に暮らす」の語感が与える“当たりまえのまっとうさ“に挫けて、「手作りせず惣菜で済ませてしまった自分」「のんべんだらりとテレビを見てしまった自分」「家ではラクな万年ジャージの自分」に情けなさを感じて自分を責めてしまう多くの女性たちへ、これで肩の力が抜けるんじゃないかと思う。
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by zuzumiya | 2012-12-12 18:30 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)
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Commented by zuzumiya at 2012-12-14 23:18
鍵付きコメント様、ブログを読んで下さってありがとうございます。
白湯がけごはんにハープの音楽で幸せだの、丁寧だのとお恥ずかしいかぎりです。
きらびやかさや憧れで煽る女性誌のひとつの流れに「丁寧に暮らす」のような、地味でまっとうな精神性が出てきて「生き方」の見本として支持されていることが面白い現象だな、と思って書きました。ほんと「生き方」なんですよね。すごく啓蒙的で。
シロガネーゼは無理でも「クウネル」の世界なら真似できると思った女子が、実はそっちの方がハードルが高かったとビックリしてる印象でしょうか。でも、私もドラマでも小説でもない、この日々のいつもの暮らしから探すという気持ちでものを書いてますので、根っこのところでは相通じるものがあります。心にゆとりがないと見えてくるものも見えてきませんから。また、読みにきてくださいね。
Commented by zuzumiya at 2013-08-12 23:35
鍵付きo様。こちらにもコメント頂けてありがとうございます。おっちょこちょいなうえ、PCに疎く、鍵付きなのをあやまって公開してしまい、慌ててすぐに削除しました。すみません。直せる方法を知らなくて…。さきほどあなた様のブログに行ってきました。写真が綺麗で見ごたえがありました。素敵な毎日を送っていらっしゃるようで羨ましいです。私もすべては記事にできません。暮しの手帖の昔の編集長の花森安治さんが「建前を大事に、本音は弱音」と言っておられましたが、同感です。時には建前が面倒に、本音に引っ張られて…ということもなくはないのですが、この言葉はいつも心にとめています。アンバランスなところ、まだまだです(苦笑)。コメントの件、今後は注意します。失礼しました。

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