最近の読書から

井上荒野 『結婚』 角川書店
詐欺師の宝石商の男と不倫関係になり、夫と別れたるり子。今は男の気持ちが離れたにもかかわらず、腐れ縁のように女を次々と紹介しては詐欺の片棒を担いでいる。彼女の愉しみは朝食後に読む新聞の投書欄や生活面の素人エッセイ。

「ひとは嘘しか書かない。るり子はそう確信している。だから投稿エッセイを添削する。きれいごとの向こうにあるものを引きずり出す。この手の文章を守っている嘘は卵の殻みたいに脆いから、ちょっとつつけば事実がとろりとこぼれ出てくる。
(中略:ここでるり子は具体的にエッセイの嘘と思える箇所を挙げてみるが、それはそもそもるり子の想像でしかない)
そんなふうに考え巡らしていると、あっという間に中野駅に着く。満足感といくらかの自己嫌悪を携えて、るり子はアーケード街を通り抜けた。」 (本文より)

このるり子の他人のエッセイへの心情を読んで、少し複雑になった。
「エッセイは所詮、自慢話だ」と書いたのは誰だったか。
るり子に倣って今朝の朝刊を開いてみると、あるある。60代の老女が綴った短いエッセイ。ここに転載することはできないが、いつもと変わらぬ一日の終わりに、夫と並んだ布団の中で過ぎていたことに気づいた41年目の結婚記念日。
たしかにその文章には平凡で慎ましやかで、でも穏やかで安らかで、といった夫婦の日常が見えてくる。お日様の香りのする布団、結婚してからずっと夫に切ってもらっている髪、近くの温泉でのんびり手足を伸ばしたこと、結婚以来続いている夫の作った無農薬野菜で作る弁当など、幸せのキーワードがこれでもかといわんばかりに、短い文章の中にいくつも散りばめられている。あまりにまばゆく幸せすぎて、なるほど、るり子のように“嘘”を暴きたくもなる。
でも、と書き手でもある私は思う。
写真だってそもそもいい時しか撮らないではないか。喧嘩しているときに家族の写真など撮ろうとも思わない。心に触れたいい時を残しておきたくなる、エッセイもそういうもんじゃないか、と。自己満足。書き手はそれで貫いてもいい。
だが、読み手にとって、時に他人の文章は鏡のように予期せぬ自分というものを強烈に映し出す。読み手は、嘘だの何だのアラを探さずに自分の中に湧き上がってきた心情こそ直視すべきなのだと思う。るり子のように、幸せのどこかに隠れている嘘を暴こうとして得た満足感といくらかの自己嫌悪の両方を味わっている今の自分というものを…。
私もこのるり子の話と新聞の老女のエッセイを読んで、心の中の奥底に澱となって沈んでいた不安がほんの少しばかりかき乱されたような気がする。
それがどんな不安であるかはわかっている。けれど、私の中でどうすべきかの答えは出ていない。うやむやにしたまま、もう何年も心の奥底に沈めていた。
「ひとは嘘しか書かない」の言葉がまたよみがえる。私の書いてきたものは果たして何なのだろう。何を書いて、何を書かずに呑み込んできたか。呑み込んだものは果たして死ぬまで呑み込んでい続けられるものだろうか。嘘とは何だろう。希望かも、あるべき理想かもしれないと思うと、ぞっとした。
[PR]
by zuzumiya | 2012-11-26 22:25 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://zuzumiya.exblog.jp/tb/16869080
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

※このブログの無断な転載はご遠慮願います。

最新の記事

私という有限
at 2017-08-16 20:44
こんな体たらく
at 2017-08-14 19:30
「more records」..
at 2017-08-12 06:24
生まれ変わっても会いに行く
at 2017-08-07 20:48
夏休みはクーラーの中でひたすら
at 2017-08-05 08:28

最新のコメント

検索

ブログジャンル

画像一覧