やさしいって何?

今日はなんだか人のやさしさについてぼんやり考えさせられた。
先日書いた記事だけど、図書館の児童担当として、0歳児検診の際に保健センターに出向いて行って「小さい子向きのお話会やってますからうちの館にも是非遊びに来てくださいね」と宣伝する役を館長から命じられた。
でも、我が館は2階が児童室なのにエレベーターもなく、乳母車をエイコラッと持って上がるか、赤ちゃんを抱っこして上がるかしかない。トイレにはおむつ替えのベッドもなく、もちろん授乳のコーナーなどない。
先日の研修ではいろんな館のいろんな試みをパネルで見た。全ての館がエレベーターやおむつ替えベッドの完備された理想的な設備だったわけじゃない。それでも、間仕切りとしてカーテンで仕切ってみたり、ベビーベッドを置いたりして、何とか工夫して「赤ちゃんコーナー」を確保していた。
それらはブックスタートのフォローアップとして、実は大切な要素なのだ。
「図書館に来てくれ」と言うわりに「小さい子のお話会もやる」と宣伝するわりに「赤ちゃんにやさしくない設備の図書館」だと思われては口先だけで実質が伴わず、リピーターはいなくなる。この地域にある図書館3館のうち、我が館だけが「おむつ替えが思うようにできない館」になってしまっているのだ。
設備的なことはもうどうしようもない。ただ、努力できるところは努力すべきではないか。3階の事務室横の会議室でおむつ替えをさせてあげてもいいのではないか、もちろん、要望があれば授乳なども。そういう時は「ただ今おむつ替え中です」とか「ただ今授乳中です」の看板をドアにかけておけば済むんじゃないか。そうアイデアを出した。

先日、児童室で「暑いので子供に水を飲ませてもいいでしょうか。何だったら階段のところへ出ますが…」とお客さんに言われた。お話会の常連さんである。
図書館は基本的には館内の飲食は禁止である。そのかわり、足で踏めば冷たい飲料水が出る機械が置いてある。でも、そのしくみだと小さい子供はうまく飲めないものだろう。私は飲食は禁止ということは承知していたが、でも、「階段で飲ませる」というのがどうにも申し訳なくて「他のお客さんもいないし、こぼさないようにしてくれたら大丈夫だから、どうぞ飲んで下さい。熱中症になったら大変です」と言って対応した。
別の日、別の職員がやはりお客さんに子供に水を飲ませていいか、と訊かれたそうだ。その職員も飲食は禁止というのが頭にあるから「階段のところだったらどうぞ」と対応したらしい。館として、対応が違ってしまったことになる。

暑いなか図書館に来てくれて、ソファもあるのに、そのソファに腰掛けて子供にゆったりした気持ちでちょっとの水も飲ませられず、薄暗い階段でこそこそと飲まなきゃならないのかと思うと、子育てをしてきた私としては何とも腑に落ちない話である。杓子定規でやさしくないな〜、と思ってしまう。どうせだったら、もう少し足を伸ばしてもやさしい設備のいい図書館の方へ行きたくなる。
原則はわかっている。でも、母親の介助がなくても飲める子については水飲み機で飲めばいいが、そうじゃない小さな子の水分補給はどうするのか。今年の夏は節電モードもあって館内も暑めだし、そこへきて原則だけで進めていいものだろうか。

「その場かぎりの集客をしてこいというならしてこれますが、赤ちゃんにやさしくない館に来いという気持ちにどうしても自分で納得できないんですよ」
私は館長にそう切り出した。館長の考えはこうだった。水は飲ませるのもOK、おむつ替えは3階でしてもらってOK。ただ職員の昼食中はダメ。本の装備をしてくれる「装備さん」がくる日(週1日)は装備さんに我慢してもらえばいい、というものだった。スタッフはダメで業者は我慢させるのかとも思ったが、まあ、いいや。とにかく館長は私の想いをわかってくれて、「やったらいい」と言ってくれた。私も職員全員の理解と対応統一のために、館内整理日で上記のことを「問題提起」として皆の前で言ってみて、皆の意見も聞いていろんなことを決めて行こうと思う。そしてみんなのOKがでたら、キルティングでおむつ替えシートを作ったり(洗濯は言い出しっぺの私がしよう)、看板を作ったりしようと思う。

ところが昼休みに館長とのやりとりを聞いていた独身の同僚が「私は水を飲ませるのはやっぱり反対」と語気荒く言い出した。日頃から他人の失敗ばかりを公表して事荒立てて、気がキツくて有名で、私の仲間内では煙たがられている彼女だが、やっぱりあっさりとそう言い切った。口論はしたくないので彼女の意見を黙って聞いていたが、結局は「トラブルになるのが嫌」ということだった。「トラブルにしない対応をみなできちんと考えて決めよう」とするのでなく、まず「面倒はごめん」というシャットアウトの考えは実にやさしくない。ある意味、努力を放棄していると思う。いずれ、最愛の人と結婚して最愛の子供ができたときに、まわりに杓子定規にされて、どうしてあのとき私がこんなにも拘ったのか、じんわり思い出す日がくるのだろうか。

「子育てをしていないとわからない」と言えばそれで終わりなので言いたくないが、自分が母親になったとして、「もしそうだったら」の想像力をどれだけ働かせられるか、それが人間として大切なことじゃないか。「きっと大変だよなあ」「可哀想だよなあ」「何か助けてあげることはないのかなあ」と困って、考える人であってほしい。
お客様あっての図書館であり、ブックスタートの話じゃないけれど、ただの「本の配布」だけで済ませてしまうか、絵本とともに応援の気持ちと具体的支援をプレゼントするかで大きくその意義が分かれてしまうように、図書館も心構えひとつで単なる「本の貸借場」になりさがるか、「人とのつながりを育むやさしい場所」になるか、道は別れてしまうんじゃないか。

                   *
駅の階段を降りていたら、下に地べたにぺちゃんと座って、前のめりにぐったりうなだれている若い女の子を見つけた。私の目の前にはOLっぽいお姉さんが先に降りて行ったが、彼女のことは横目でちらりと見たきりで無視して行ってしまった。私は以前、テレビの番組で心理実験の様子を見ていて、「倒れている人には誰も声をかけないが、一人が声をかけると何人か集まってくる」というのを知っていたので、声をかけた。すると女の子は真っ白な顔をしてか弱い声で「貧血です」と答えた。すぐさま「駅員さんを呼んでくるから」と言って階段を駆け上ろうとしたら、上から駅員さんが降りて来てくれた。
男性の駅員に体を触られるのが嫌だろうから、私が脇の下に手を入れて立たせて、駅員さんと二人で肩を貸しながら階段を昇った。途中で「やっぱりだめです」とよろよろ座り込む彼女に「担架はないですか、担架を持って来て下さい」と指示して、駅員さんが取りに行った。その間、階段の途中で倒れている彼女に扇子であおいで介抱している私の様子に階段を下りて来たサラリーマンやオジサンが「大丈夫ですか?」と声をかけてきた。
まさしくテレビとおんなじだ。やれやれ、人間というのは、なんとこズルい生き物なのかと思ったが、無視されるよりいいので「だいじょうぶです。今担架を持って来てもらっています」と答えた。担架に乗せて無事、彼女は救護室へ。彼女から携帯を渡され、事情をお家の方に説明して、20分で迎えに来てくれることを彼女に伝えて、私は救護室を出た。

善いことをした自分に酔いしれて、自慢して書いているわけじゃない。
もう少し、人が倒れていたら、声をかけようよと言いたいのだ。飲み過ぎてベンチで夜を明かしたオジサンじゃなく、若い女の子じゃないか。なんで、みんな無視するんだろう?なんで同じ女性が見て見ぬ振りして通りすぎるんだ? そういう女性が彼氏の前や家族や友人の前では気の利くやさしい子なんだろう? 
私はすぐさま娘のことを思い出した。娘がこんなふうに外で倒れてしまったら、誰かにやさしく「大丈夫ですか?」と声をかけて助けて貰いたい。いや、娘じゃなくても新聞配達している息子でも、夫でもそうだ。自分の家族が外でそういう目にあったら、と想像すれば、声をかけずにいられないはずだ。こんなに疑り深いやさしくない社会なんて!、と思わずにはいられなかった。
[PR]
by zuzumiya | 2011-07-15 23:22 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://zuzumiya.exblog.jp/tb/13085351
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

※このブログの無断な転載はご遠慮願います。

最新の記事

男たちの話
at 2017-10-16 17:16
よだかがここにもいた
at 2017-10-15 17:15
休んでも忙しかったってどうい..
at 2017-10-10 21:37
ネコメンタリー、いいよ。
at 2017-10-09 16:00
フケ顔読書
at 2017-10-09 08:05

最新のコメント

検索

ブログジャンル

画像一覧