あんなにACが流れていても…

3月11日の震災の日の直後、すぐに感じたのは、マンションの住人たちが互いに挨拶をしだしたことだった。180世帯もある大規模マンションだから、今まではみんないちいち挨拶らしい挨拶をしていなかったが、地震があって、かなりの人が1階の集会場へ避難したというから、その時の共通の恐怖体験が絆や団結心を呼び起こしたのかもしれなかった。そんなふうに思って、私も会釈だけじゃなく、声にだして挨拶をしだした。ちょうどその頃から、テレビで商品CM自粛の穴にACの「思いを行いにして表そう」だの「やさしい言葉をかければやさしい言葉が返ってくる」だの「挨拶すれば仲間が増える」だののCMがとめどなく流れだした。あれほどのオンエアー量で、ウザイほど(最初はキャッチコピーにすこぶる感動したものだ)流れれば、かなりの刷り込み効果があって、特に思いやり篇の高校生の男の子などタレント並みに顔を覚えられ、ほんとうに電車の座席におちおち座っていられないんじゃないかと心配したほどだったが、世の中の人々は少しはあのCMの通りに人に優しく、気遣いをもって善良に近づいていくのではないかと思われた。
ところが、である。
ここ数日、マンションですれ違う人が誰も挨拶してくれない。会釈もなしである。また以前のように、戻ってしまっている。地震の直後、挨拶をしながら、あんなにも不安な気持ちを寄せ合って、全身から「怖かったわねえ、あなたの部屋はだいじょうぶだった?」と心配の気を発していたあの優しさが住民からすとんと抜け落ちている。
先日も電車のなかで、抱っこをせがんでぐずる小さな子供に母親が困り果てていたが、前に座った人々が誰も席を替わろうとしなかった。あれだけACのCMがじゃんじゃん流れているのに、刷り込むどころか誰も何も変わっていないのだ。そのことに「あーあ」と思ってしまった。CMの流し過ぎが感覚の麻痺を起こしたのかと考えたいところだが、マンションの挨拶の話など、所詮、更なる地震の心配が無くなって「喉もと過ぎれば」なのかもと思ってしまう。あれだけのCMを流し続けて、見る方に嫌気がさして反発されたということでもないだろう。だとすれば、人は結局、ああいうカタチのある種の美しい表現では芯から動かせないということなのだろうか。「それはそれ、これはこれ」の意識の分断に少々複雑である。
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by zuzumiya | 2011-04-05 20:38 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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