暮らしのまなざし

誰かが助けてくれたから、誰かを助けられるのかも

夜になってひとり「今日はどんな一日だっけ? 何があったっけ?」と思い出してみると、まず浮かんでくるのは情けないことに今日の仕事の失敗。「ああ…なんでもっと」と後悔して、しばし反省します。そして、次に浮かんでくるのはいつでも人から助けられたこと。不思議と毎日、誰かしらに助けられている(研修生だからというわけでもなく)ことがわかります。たとえば、お客さんの笑顔。こちらがカウンターから「こんにちは〜」と声をかけます。この挨拶だけは私の得意分野。まず誰よりも先に声を出しています。そうするとほとんどのお客様が「こんにちは」と返してくれます。頭を下げるだけでなく、言葉を返してくれることは思ったよりずっとうれしいものです。挨拶の大切さは、この言葉の行き交いの晴れ晴れとした気持ちよさなのでしょう。

それから、絵本を借りに来てくれる子供たちの笑顔。失敗しちゃったなとか、また素早くできなかったなと、しゅんとしている時に子供の顔がカウンターから覗くとホッとします。幼い彼らは決して文句を言わないし、苛つく態度もとりません。そうできないからではなく、何だかこちらの心を静かに見抜いてわかってくれているような気がします。保育所の時もそうでした。初めて先生になって、泣かれたらどうしようとドキドキしながら教室に入ってきた私を、慣れないところに来たか弱い動物のように子供たちが私の周りをそっと囲んで笑顔で迎えてくれました。あの瞬間、私は立場が逆転して子供に心を見抜かれ、判断され、仲間として許され、迎い入れられたのだと思いました。子供にはそういう不思議な感性があって「癒される」というより、私には「助けられる」と思えます。いつもは「子供なんてあんまり好きじゃない」なんて言うくせに、気弱になっている時は電車の中でも街中でも、必ずどこか不思議と子供の存在を目にして、ふっと温かな気持ちになります。助けられてるなあと思います。

それから、見るからにやさしいオーラの出ている先輩。気をつけて聞いているとやっぱり彼女も「だいじょうぶ」をよく口にしています。焦ったり、不安だったり、悩んだりしている人に一拍置くような「だいじょうぶ」という言葉。私はいいなあと思います。たぶん「落ち着いてね」と同じニュアンスなのでしょうけれど、「だいじょうぶ」と言われる方がずっと心が落ち着きませんか。そして、「だいじょうぶ」の言葉の奥には「私はだいじょうぶだから心配しないでいいのよ」の肯定の気持ちも入っているんですね。相手を苛立たせてない、困らせていないという気持ちがこちらの胸をどれだけホッとさせるでしょう。私も「だいじょうぶ」と周りの人に言って、安心させてあげられるようになりたいと思います。毎日誰かにこうやって助けられてるから、いろいろあっても最終的にはこんなにも心は穏やかで、そして穏やかであればこそ、家族にもやさしく接することができて、そんな私の笑顔が今日も家族の誰かをきっと少しくらいは助けてもいるのじゃないかな、なんて思えます。なんでもそうでしょうが、ぐるぐるまわってるんですね。
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by zuzumiya | 2011-03-02 22:47 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)
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