恨むということ、許すということ

今日はこれから母の連れ合いの見舞いに行く。
母の話によると彼はもう癌の末期を宣告されて、先は長くはないという。
父親でもなく、夫と5つしか違わない彼のことをいつでもどう接していいのかわからなかった。生きてきた世界も私たち夫婦とまるきし違って、会って話しても話題に困り、話も盛り上がったためしはなかった。ずいぶん長いこと目もまともに合わせられなかったように思う。結果、彼が家にいるときは自然に足が遠のいたし、彼が帰ってくると入れ替わりにそそくさと私が帰った。母が家柄のいい彼と周囲の反対を押し切って再婚する時(母は水商売のママさんで、9つも年上)に、当初私という子供の存在を隠していたというし、バレてからもそんな私がちょろちょろ現れては、財産目当てだと思われるのが心外だった。
今日だって正直に言えば、死に行く人に何て声をかけていいものかとても悩んでいる。ただ、今日はひとつのことをどうしても謝まらなくてはならないと思っている。

母が初婚の彼と結婚式を挙げようとしているとき、体裁を考えて祖父母に出席を頼もうと実家に電話がかかってきたことがあった。
当時小学生だったろうか、私は電話に出て、その話の内容に激怒した。母は私の父と離婚をして私を実家に置いて、再婚して種違いの妹まで作り、その幼い妹(まだ3歳だった)をまた捨て、再々婚の勝手を繰り返してきた。そんな母に対して「何が両親揃っての結婚式だ」「いまさら誰が幸せを祝えだ」と猛烈に腹を立てたのだった。
背後には子供心に祖母が毎日自分の食事を抑えてやりくりし、私を大学まで行かせようと苦労している事実を知っていたからでもある。母とは電話口で大げんかになった。何度かかってきても断固として私は電話を祖父母にとりつがなかった。その後、今度は連れ合いの彼から電話がかかってきた。新婦方の親類が少ない上に晴れの結婚式に両親ともに欠席というのは、あまりにも哀れと思ったのだろう。

私はいびつではあったが根は純な子供だったし、私を置いて養育費も払わずやりたい放題だった母だけが皆から祝福を受けて幸せになろうとするのがどうしても許せなくて、頑になっていた。何度も彼から祖母に電話を替わってほしいと頼まれてもその都度、ガチャンと電話を切った。込み上げてくる怒りと悔しさと悲しさを説明しようにも、子供の私にはうまく説明できず、育ってきたさまざまな想いを他人にわかってもらうには話が長過ぎた。大人にはいつでも「親があって今のあなたがいるのだから、感謝しなきゃ」としか言われなかったし、幼い私は産んでもらった命があるというだけでいつでも言いくるめられた。

私は泣きながら、祖父母に母の結婚式に出ないでほしいと懇願したが、結局、叔母たちの度重なる説得に応じて祖母は私に隠れて式に出た。そんな祖母を後から知り「結局おばあちゃんも母親なんだよなあ」と当時の私は呆れたが、面白いことにあのちゃらんぽらんのユニークな祖父だけは「かずみが可哀想だ」と最後まで言い張って頑として行かなかったという。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のとおりに母への恨みつらみが連れ合いの彼へまで及んだこともあった。私の知るかぎり、子供を何人も置いてきた母を責めたてるまっとうな大人は誰もいなかったし、母のお金に魅せられて寄ってくる友人のように、連れ合いの彼も過ぎ去った過去は過去として見ようとはせず、人間として敢えて母に問うことも過ちに一緒に向き合うこともなかっただろう。それは私にとっては許せないことだった。今の彼が半身不随になったうえ、癌の末期を宣告されて、もうすぐ最期を迎えるようになるのも、もしかしたら私の幼い頃からの積年の恨みや他にいる姉や妹たちがいまだにどこかで母を恨んで、不幸にも自分の人生を生きえていないから、その恨みを彼が一身に受けてしまったのではないかと思えるときがある。母を庇う者や頼る者のいない一人に、孤独にしてしまうことこそほんとうの贖罪への道なのかもしれないのだから。

とにかく、あの幼い日の電話の件だけは謝っておきたいと思う。たしかに私は子供だったが、「母親が幸せになるのがそんなにも嫌なのか…」と沈んだ彼の頃が今も耳の奥に残っている。普通に育った彼には理解できないことだったろう。
今の私は人が幸せになるのを別に羨ましくも妬ましくも思わない。善人ぶってカッコつけるわけではないけれど、みながそれぞれに幸せになればそれでいいと思う。前にも書いたが、いろんなことが許せるようになってきた。カチンと一瞬くることはあっても、それが相手への憎しみや恨みになどにはつながらず、逆に獏たる哀しみや憐れみをつれてくる。人にキツイことを言ってのけれるこの人の背後は、生まれ育ちは、人生には何があったのか、今は果たして幸福なのだろうか、寂しい想いはしていないだろうか、ふっと考えてしまう。

昔は私も「一生恨んでやる」という言い方や思い方を母によくしたものだが、今それを誰かに言われても、憐れみの気持ちしかない。恨むという言葉のほんとうの重みを人生を何十年も費やして知っている私は、ひょいと口に出してしまうその人の軽やかさが哀れでしょうがない。きっと何か別のことでも人生がうまく運んでいないのだろう。でも、非常に憤慨しているということと恨むということの重さは全く違う。恨むということはそのことに対して人生の何かを犠牲にしてでも、極端でなく人生を棒に振ってでも思いを曲げず貫くことだ。年がら年中よくないことがあるたびに思い出し、そのせいにして、その都度激しく憎み、あらためて震えるほど怒り、自分は何も悪くはないのだと棚上げし、そこから反省も学びもせずいっさんに逃げさることだ。それほどまでして、自分と人生を何かに縛られ囚われてもいい覚悟があって、はじめて人に向けて言える言葉が「恨む」という言葉なのだと思っている。

私は肉親を恐ろしい勢いで恨んだり、それゆえに生まれてくる自己否定や自己嫌悪、自暴自棄で苦しんできた人生だっただけに、人を求める強さも人一倍あって、愛されたいと思い、どこかに一人くらいは自分を見捨てずに心を通わすことのできる、わかってくれる誰かがいるはずだと希望を持って信じてきた。それを生きるよすがとして小さな頃から諦めないでいた。それで出会えたのが戦友とも呼べる今の夫だったし、彼と家族とのこのささやかな暮らしのなかから、人生で重要なすべては今も学んでいるのだと思う。人はそんなに多くのことを学べないし、いくら難しい哲学書を読んでも人生訓をいくつ知っていても、自分で行動して得た実感として心に深く刻まれたものしか残らないのではないか。
天国の門のところで「お前は何を学んできたか」と訊かれて目を輝かせて答えたいと思っている最大のことは、だから私にとっては「許す」ということだ。幼い頃たしかに人を恨み、悲しい想いも苦しい想いもしたけれど、夫と家族と生きるささやかな日々のつらなりが結局は幸せというものであり、その繰り返しのうちに何もかもを許せるようになっていたという不思議に今とても感謝している、このことを幸福な人生だと伝えたいと思っている。

話がだいぶ逸れてしまった気がするが、母の連れ合いはいきなり謝る私にどう接するだろう。残された時間のうちには、彼もきっと母のことで私にあらためて話をしてくるだろうと思う。そのとき、ようやく今まで聞けずにいた彼の本心が聞けるような気がする。彼と何もかもとっぱらって、はじめて人として向き合える気がする。死ぬ間際なんて何と遅いことかと思う反面、これほどまでに時間が必要だったのだとも思う。
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by zuzumiya | 2011-02-21 23:43 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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