暮らしのまなざし

アイロンの絆

たいていは、日曜の夜10時すぎになってはっと気づくのである。
子ども達にせがまれて『世界の民話』の中から短いお話を二つ読み、背中をとんとんしてこちらもウトウトしかけたその時「あっ」と思い出す。アイロンがけを忘れていたのだ。明日学校へ持っていく給食の白衣のアイロンをまだかけていない。私はあわてて立ち上がる。

息子が小学校へ上がって、初めて給食当番の白衣をランドセルの横にぶら下げて持ち帰ってきた時は、嬉しいような、懐かしいような温かい気持ちになった。洗濯をするため、袋から白衣の上っ張りと中国の人民帽のような白帽子を取り出すと、かすかにカレーとあげパンの混ざったような懐かしい匂いがした。その白い小さな上っ張りに初めてアイロンをかけたとき、あの甘えん坊で、家では牛乳だって自分で注がない子が、お玉を握りしめてみんなのお椀に均等になるように、こぼさないように真剣になって注いでいる姿が見えて、鼻の先がつーんとした。きちんとやれたのだろうか。アイロンをかけながら、ちょっぴり心配したことを覚えている。

小学校の給食当番といえば、いつだったか私にも失敗があった。
給食当番は白衣を着てマスクをするので、それだけでみんなとは違った特別な気分で、ちょっぴりわくわくしてしまう。衛生のためとはいえ、女の子は前髪を帽子の中に全部入れておでこを見せるのが恥ずかしく、向き合ってお互いの前髪を数本垂らして、上手くごまかせたか調べっこをした。何を担当するか仲間うちで相談し準備が整うと、待ってましたとばかりに食欲旺盛な男子からだだだっと並んで、アルマイトのお盆に先の割れたスプーンを握りしめ、サラダの小皿を受け取り、おかずの椀を受け取り、コッペパンを受け取り、デザートのバナナを受け取っていく。

白衣を着てマスクをし、おでこを晒しているせいか、相対すると照れくさい。照れくさいところへもってきて男子が「サービスしろよな」と調子よく声をかけてくるので、ついその手に乗ってしまって最初からたっぷりと豚汁をお椀に注いでしまう。あとで足らなくなり、友達とふたり青い顔をしてぺこぺこ頭を下げてはみんなのお椀から少しずつ掬って返してもらったりした。両隣のクラスにも私のような間抜けがいて「すいません。豚汁余ってませんか」とからっぽの寸胴鍋をぶら下げて、か細い声をかけてくることもあった。

給食準備の廊下はせわしい。担任の先生が手を貸してくれることもあったが、大きな汁物の寸胴鍋は子ども二人で持っても重く、うまく息が合わないと汁がこぼれて廊下を汚したりした。調子づきの男子チームが浮かれておかずを廊下に全部ひっこぼしたことがあり、こっぴどく担任に怒られたこともあった。その後、我がクラスのおかずはどうなったか。給食室や職員室や学年中の教室を担任の先生と頭を下げて、巡り歩いて寄せ集めたのだろう、食べられなかった記憶はない。

もう一つの失敗もやはり小学生の頃だった。友達と学校帰り、ふざけて給食袋を手にぶらぶらと振って歩いていたら、何かの弾みで手からすっぽ抜けて、近くのラーメン屋のトタン屋根にひょいと乗っかってしまった。これにはびっくりして「どうしよう」と顔を見合わせた。ところが、友達の困った顔とトタン屋根にくったりと乗っている給食袋を交互に見ていたら「よくもまあ、あんなところに乗ったもんだ」と可笑しくなってきて、思わずふたりで吹き出してしまった。

しばらく笑った後「これはまずいことになった」と事の重大さに気づき、真面目に相談して、今度は今にも死んでしまいそうな心細い顔をしてみせ、店主に屋根の上の給食袋を取ってくれるよう頼んだ。ラーメン屋の店主はすぐさま何処からかはしごを持ってきて、給食袋を取ってくれた。可笑しなことに、今でも真っ白な給食袋が青空をバックにスローモーションで宙を飛んでいく映像が目に浮かぶ。トタン屋根は赤かった。

アイロンをかけながら、いつも不思議に思うことがある。
どんなに洗濯をしても前の人がつけたアイロンの折り目の筋が消えていないのはどうしてだろう。それぞれの子どもの母親が前の母親のつけた折り目に、忠実にアイロンを当てているからだろう。何度も何度も繰り返されたアイロンがけ。どなたか知らないが、最初にきちんと折り目を作ってくれたから、サラリーマンでない、ワイシャツを着ない夫を持つ妻の私でも簡単に仕上げることができるのだ。

申し訳ないが、PTAなど人前に出る活動には臆してしまって、子どものためにと言われても役員になるのを避けてきた。
それでも夜なか、子どもらの寝息を聞きながら、クラスの母親たちが繰り返し繰り返しつけてきた折り目に沿って、ゆっくりアイロンを当てていると、子を愛おしむ母親どうしの無言の絆のようなものが感じられて、なんだか心温かくなるのである。
[PR]



by zuzumiya | 2010-11-25 20:48 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://zuzumiya.exblog.jp/tb/11616797
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
by zuzumiya
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

※このブログの無断な転載はご遠慮願います。

最新の記事

最新のコメント

検索

ブログジャンル

画像一覧