夜の音

冬がいい。冬じゃなきゃだめかもしれない、と思うほどだ。
夜の音の話である。空気の澄んだ冬の夜に一段とよく聞こえる、漠然とした夜の音のことである。私はときどき、夜更けのベランダに立つ。と書くとまるで幽霊のようだが、単に昼も夜もベランダにいるのが好きなだけだ。昼はベランダからよその庭の花を見たり、布団を叩いてはぼけーっと雲を眺めたりしているのだが、夜は断然、夜の音を聴きに出ている。そのついでに月が出ていればうっとりと月を見て、星が出ていれば「おお、こんなに」と感動する。

土曜日の夜、子どもを寝かしつけてから、夫とちょっと無理をして遅くまでかかって借りてきた映画をみる。丑三つ時と言われる時間にようやく見終わって、夫が洗面などをしている間に、ふらりとカーディガンを羽織ってベランダに出る。
夜の音がする。目の前の視界全部からごーっとわきあがってくる音がある。耳をすますと同時に息も止めてしまい、血流に乗ってぐわんぐわんと響いてくる。この夜の、闇全体から地響きのように一様ににじみ出てくる音。たしかに存在する音。何にたとえたらいいだろう。そう、夏場に辺り一面じいいと虫が鳴いている、そんな曖昧で茫洋な響き方に似ている。単調すぎて気がつかないような存在音。

夜の音が大地から空高く宇宙まで放たれていくような、そんな心持ちになって見上げると影を含んだ神秘的な雲が遥か彼方へ吸い寄せられるように一様に先を向けて並んでいた。何となくあの遠い彼方から音が湧き出ているのではないかと想像して、少し前のめりになる。時折、遠くでぶおおおんとバイクが走り去る音がする。バイクが行ってしまえば、あとはただ、ごーっと夜が音をたてて存在しているだけだ。

最初に夜の音に気がついたのは、中学の頃だった。夜遅くまで受験勉強をしていて、気分転換にベッドの上の窓を開けた。すると、しんとした冬の冷気と一緒にごーっという音が流れてきた。じっと耳を澄ませた。静寂という音を聞いていた。この夜の夜中に一人で起きていること、そして夜を見つめていること、問題集が予定通り進んでいること、すべてに満足していた。一人ぼっちが案外気持ちいいものと感じたのは、あの時が初めてだったと思う。だからなのか、どこか夜の音には懐かしさが混じる。聴いているとあの頃と同じ夜の懐に抱かれているような、でもそれは遥か原始の昔から人を包んできたもののような、そんな不思議な安心感がある。実のところは、遠くを走る車の音、街全体から発せられるすべての人造音なのだろうとわかっていても、私には夜そのものの気配、夜の存在音なのだ。

夫がびっくりして「どうしたの。寒くないの?」と顔を出す。「夜の音を聞いているの。夜の音って昔から好きなんだ」夫ははてなという顔をして、じっと耳をすます。はてなという顔のまま「寝るよ」とひとこと言って首を引っ込める。夫に「寝るよ」と言われると、とたんに寒さが強烈に身に染みてきて、もう一時も立ってはいられないという気になる。一人ぼっちもいいものだと思ったあの頃は、今よりずっと一人だった。部屋に戻ると夫が子どもの布団をかけ直していた。

※毎年冬になると空気が澄んでくるので、音までもがよく聞こえてきます。清少納言流に 言えば、私は「冬は夜の音」だと思っています。うんと初期のHPに載せていた文章で すが、今でもお風呂上がりにバスタオルを干しながら、夜の音に耳を傾けています。
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by zuzumiya | 2010-11-17 19:37 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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