桑原弘明のスコープの世界

a0158124_23522933.jpga0158124_23534627.jpgつい先だってまで乱歩の『人間椅子』や『屋根裏の散歩者』や『鏡地獄』なんぞを喜んで読んでいたせいか、そんな私に引き寄せられて現れた二冊の本。
アーティスト桑原弘明のスコープ作品に、仏文学者で評論家である巌谷國士が文章をつけた『スコープ少年の不思議な旅』。
そして、桑原弘明のスコープ作品だけを優雅に一点ずつ載せてある『Scope 桑原弘明作品集』。
私はほんとうに桑原さんの作るスコープの虜になってしまった。
こういう世界が実は好きで好きで、たまらないのだ。
本を見ているだけでもうこんなにクラクラしているのだから、実物のスコープを覗き見れたら、その美しいオルゴールのような、妖精の棺のような直方体をそっと手に乗せただけで、脳みそがふつふつ煮えたぎって、顔中の穴という穴からピンクの液体となって漏れ出てしまうのではないかと思われる。
人には趣味嗜好やら性癖やらがあるけれど、私はお金があったら、桑原さんのスコープを桑原さんごと全部買いまくりたい。一つの小さな部屋の壁中に小さな棚を作って桑原さんのスコープを大事に一つずつ並べて置きたい。その壁の前には小さな机とランプと椅子があるだけで、私は日がな一日、寝食を忘れてそこに入り浸り、座って、ありとあらゆるスコープにマグライトを差し込んでスコープを覗き見ているのだ。
そうして静かに微笑んでいるだろう。時にはあまりにのめり込みすぎて、ぽっかり開いた口元から一筋のよだれが光って垂れているかもしれない。時間も空間も超えて、私はスコープの中の眩惑の世界を飽くことなく旅する。私はきっと自分の想像力の底知れなさに自分で度肝を抜くことだろう。ある日ある時の気分によって、残酷にもエロティックにもノスタルジックにも膨らんでいく自分の想像力に酔いしれるだろう。
かつて見た映画や舞台のどんな素晴らしいストーリーより、どんな美しいシーンより、私の想像は更に上を行くだろう。私は私の世界で最高の脚本家であり、監督なのだ。そのうちどちらが現実かわからなくなって、乱歩の『鏡地獄』のようにやがては人格が破綻してしまうかもしれない。
そうして、金持ちの私は桑原さんに頼んで今度はスコープの中にそんな自分の理想の部屋を作らせるのだ。「スコープ偏執狂の部屋」をスコープのなかにひそやかに閉じ込める。そうして私はそれを嬉々として覗き見る。永遠に愉悦の部屋に私自身が存在していることの確認。ほんとうにスコープの中に棲んでしまっていることの至福。
ああ、想像するだに溜め息が漏れる。

a0158124_23551032.jpg二冊の本によれば、桑原さんのスコープは掌に乗るほどの大きさだが、ずしりと重いそうである。写真のように直方体で、表面は真鍮を磨いたり、精巧に浮き彫りが施されていたり、漆や緑青で装飾されていたりする。箱から一本の棒が伸びていて、その先にレンズがついている。そこから覗くのだ。箱の側面や上部に丸窓がついていて、そこにマグライト(懐中電灯)を当てて光を入れると、箱の内部に写真のような不思議な部屋や庭の風景が見えてくる。
別の窓から光を射し入れると、今度は部屋の別の部分が明るくなって、風景が変わるのだそうだ。光の角度と方向で時間が昼になったり、夕暮れになったり、夜になったり、時には閉ざされていたはずの扉が開いたり、存在しないはずの人影が映ったりするらしい。
凄い。まさに摩訶不思議な夢幻の箱である。
a0158124_01245.jpgそれで、箱の中の風景が映像かというとそうではない。それは当てる光の加減で見えてくる物の影によってわかるらしいが、中の部屋の家具はみな極小の物体、きちんとしたオブジェだという(『スコープ少年の不思議な旅』の巻末に桑原さんの爪の半分ほどの椅子のオブジェの写真が載っている)。スコープの箱のなかの部屋の、暖炉や木馬や椅子や机、ランプも本も林檎も頭蓋骨も泉の水も樹木もみな、桑原さんがミリ単位で精巧に作っている。掌に乗る小さな箱のなかにそれらすべてが詰まっているのだ。一つの作品が出来上がるまでは早くて1ヶ月、遅くて4ヶ月かかるという。

a0158124_095243.jpg桑原さんのスコープのなかの部屋には必ずドアがあって、窓がある。鏡があることもある。ドアや窓はほとんどの場合、何かが始まりそうに、あるいはたった今静かに終わったかのように、視線を誘うべく少しだけ開いている。窓の向こうは木々があって、空があって、更に先へ広がりのある丘や山並みまで見える。鏡もいい。小さな鏡に小さく映り込んでいる部屋の反対側の壁。鏡も開かれた窓もドアもそこからどこまでも続いていく永遠を孕んでいる。此処から抜け出てそのまた向こう、更に先へ奥へ続いて行けそうな夢幻を抱かせる。見つめているのは小さな部屋でも必ずどこかが開かれ、どこかへと繋がっていて果てがない。この部屋はあらゆる意味で「入り口」なのだ。
それから、しばしば部屋の手前の床面が広かったり、廊下が奥までずっと長く続いて見えるように作られている。その空間や奥行きにも物語が立ち現れてくるようだ。
目の前の床をカサコソ言わせて一匹の鼠がちょろちょろと通っていく。乾いた木の床を踏みしめる靴音がする。半開きのドアがゆっくり軋んで開く。男の革靴の靴先が見えてくる。
a0158124_05421.jpgあるいはまた、黒白の市松模様の床には真紅の血がぽとりと滴り落ちる。ぽとりぽとり。床にはどんどん血だまりができ、こちらから向こうへぬるぬると床を滑って行く。
あるいは、ビリヤードのナンバーのついた色とりどりの球が跳ねながらこちらから向こうへ転がっていくかもしれない。あるいは、両手を長く吊るされた白猿がタキシードの紳士に連れられて歩いていくのかもしれない。
遺跡か廃墟か、長い廊下の奥からは時折、男の雄叫びが聞こえてくる。幽閉されているようだが、笑っているのか泣いているのかわからない。気が狂っているのかもしれない。廊下の奥の奥の方でこちらを見つめ返している「何か」を感じる。覗き込んでいる自分もまたここで起きている秘密に加担してしまった罪を引き受けなければならない。

そう。覗くことで、もしかしたらこちらも何者かにいつでも見つめられているのかもしれない。くるくるとしきりに動く貪欲な私の目玉が壁いっぱいに見える。
いつかスコープのなかの丸い部屋の目の前に、いきなり部屋の主の男がぬっと立って、それはしばしば映画『シャイニング』のジャック・ニコルソンのような歯を剥き出した狂人の男なのだが、私はまんまと見つかってしまうかもしれない。その想像がいちばん怖い気がする。

一つの作られたセットが想像力とこちらの五官までもを刺激して、ありとあらゆる夢物語を脳内に描かせる。覗き見ることで自分がその世界にあたかもドア一枚越しにすでに存在しているような興奮と緊張を得る。
桑原スコープの魅力。それはそこが入り口で始まり。そしてそこから先に果てはない。想像力が続くかぎり、永遠にひそやかに世界は続く。
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by zuzumiya | 2010-11-15 00:12 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(1)
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Commented by zuzumiya at 2011-04-06 23:48
鍵コメント様へ。申し訳ございませんが、どちらの関係者の方でしょうか。念の為、お聞かせ頂けないでしょうか。告知を控える意味も今ひとつわかりませんが、できればお教え下さい。


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


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