暮らしのまなざし

『海美』の子守歌

a0158124_1401081.jpg子供の頃、祖母と寝ていた私はよく子守歌を歌ってもらっていた。今の季節だったら、それは「浜辺の歌」だった。祖母が私の背を軽くたたいて「あした、はまべを、さまよえば〜」と掠れたような声で歌うと、目の前にはいつも誰もいない砂浜が見えてくる。そして打ち寄せる波をただ見つめているうちになんだかもやもやと体がだるくなってきて、すーっと意識が遠のいていくのだった。

その感じが子供心にとても気持ちよかったので、夏が来るたび私は自分の子供にも子守歌として「浜辺の歌」をよく歌った。なつめ球の薄暗がりの中で、ぼんやり扇風機の回るのを見ながら、私は祖母のことを思い出して歌った。やがて目の前に祖母と私がふとんに横たわっているのが見えて、祖母が小さく丸まった私の背中をやさしく叩いている。そんな二人の安らかな光景がなぜかいつでも俯瞰で見えてくる。その光景がせつなく滲むまえに、慈しむように、胸の中のいちばん奥に静かに落ちていくように、私はゆっくり娘の背をたたいた。いつまでも「浜辺の歌」は私のための子守歌だった。

先日、友人のHが一枚のCDを送ってきてくれた。
「これを聞いたら、泣いてしまいました」手紙にはそう書かれてあった。彼女は自分で買ったCDが気に入ると私にわざわざもう一枚買って送ってくれたり、私がようやくMDを買うとMDにおこして送ってきてくれたりする。彼女のおかげでありがたいことに貧乏な私でも音楽生活はいつでも充実している。

ジャケットは不思議な絵だった。海の底に藻が揺らめくような、青と緑の世界の真ん中に真珠のような小さく白いものがまあるく光っている。よく見ると緑は海亀のようにも見える。上部から日の光だろうか、光の筋が差し込んでもいる。亀の向こうにもなんだろう、なにか白いまあるいものがぼーっと光っている。その不思議な絵に手書きの文字で「海美」と書かれてある。

裏面を見ると「島唄/朝崎郁恵、ピアノ・キーボード/高橋全」と書かれてある。曲は3曲しか入ってなかった。1曲目が「おぼくり〜ええうみ」2曲目が「よいすら節」3曲目が「千鳥浜(ちぢゅりゃはま)」ジャケットを取り出して読んでみると、どうもこのCDはピアノと「奄美の島唄」のコラボレーションのようだった。

CDをかけてみてびっくりした。朝崎さんの声は何を唄っているのかわからないほどめためたな方言だし、結構な野太い声だ。ピアノのような繊細な美しい音とはまるっきり異質の、民謡を唄う人間の、おばあさんの(ご本人はおばあさんじゃないのだけれど)かすれたような、つぶれかかったようなだみ声の、はっきりした肉声がまっすぐに響いてくる。

いや、まっすぐというのは正確じゃない。絶えず細かく震えて、揺らいで、力強く張っては翻って、消えかかり押し戻ってくる。自然に目をつぶってしまった。目を閉じて聞いているとまるで波のようだ。波のように朝崎さんの声が力強く、時にやさしくうねって私の中心に打ち寄せてくる。高橋さんの繊細なピアノが波打ち際で弾けて消えていく泡のようにぽろぽろと鳴る。シンセサイザーがぼーっと取り囲んでくるといつのまにか海の中に深くゆっくりと落ちていくような感覚になる。

朝崎さんがまるで海に帰っていく私の魂のために、祈って唄ってくれているような安らかな気持ちになってくる。ピアノのソロ部分ではなぜか遠い懐かしい記憶に出会ったように、胸の奥からじわりじわりと言いようのないせつなさがこみあげてきて、涙がこぼれた。何度きいても耳や胸が慣れてしまうことはなく、頭の後ろが痛くなるほど泣けてくる。

何の涙かは説明するのは難しいのだけれど、たぶん、人の想いのつまった素朴な嘘のないいのちの肉声で「静まりよ、お忘れよ、お眠りよ」と子守歌を歌ってもらったような、そのとき深いところからどうしようもなくあふれてくる人間の純粋なやさしさ、魂のやわらかさ、それを思い出す涙じゃないかと思う。

歌詞はよくわからないし、読んでもそれでイメージが湧いてくるというものでもない。今までだって歌詞に左右されない、しかし、あきらかに言霊のようなものが漂っている音楽を聞いたことがあったが、このCDだけはなにかもっとぐっと深みに響いてくる。

人が人であることのせつなさ、母なる豊かな海に背中をむけて陸を歩いていってしまったときから背負わなければならなくなった孤独や寂しさを鎮めよう、許そうとしているような、海そのものの深く包み込むやさしさがある。涙は不思議に海の味がする。

ほんとうは大人にこそ子守歌が必要なのではないか。
携帯を切って、メールも切って、誰かに自分の弱さを押しつけることなく、誰かを涙で傷つけることをしないで、自分のために自分だけの子守歌を聞けばいい。子守歌を聞きながら目を閉じて、深く静かに眠っていこう。

私は私のために、夜風に吹かれてふとんの上でヘッドフォンで『海美』を聞く。月明かりのきれいな静かな海に小舟を出して横たわるよう。波が揺すぶり、風がやさしく体を舐めていく。もういいよ、もういいんだよと朝崎さんは唄ってくれる。

※『海美』朝崎郁恵/高橋全
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by zuzumiya | 2010-10-08 23:55 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
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