暮らしのまなざし

Go Home

いつか行こうと思っていて、そして、いつでも行けると思っていた。
常磐線が地下鉄千代田線につながり、千代田線が小田急線につながる。小田急線に乗れば、その先には私の生まれ育った町がある。だからこの線路はずっとずっと先の、私の育った家の前の線路に続いているんだ、松戸の駅のホームで私はそう思った。

私が生まれて、両親が離婚して、祖父母と暮らすことになった町。勉強したり恋をしたりの学生時代をすごし、大学卒業まで暮らしていた町。大好きだった祖母が死に、祖父を置いて私が恋人の元へ去った町。夫と結婚し、一度は家族で戻ったものの祖父とけんかして再び出ていった町。そして、それきりの町。

出ていってもうすぐ8年になるその町へ行ってみようと今朝、思い立った。ベランダで秋晴れの澄んだ空を見ていたら、急に行きたくなった。たぶん、夏が終わってしまったからだろう。原稿に手間取っていてひとつの季節がするりと終わってしまった。引っ越しが決まっていて、来年の夏にはもうこの町にはいないのに、じっくり最後の夏を味わうこともなく終わってしまった。それが残念でならない。

思えば、引っ越しばかりを繰り返して、ひとつの町にじっくり腰を落ち着けたことなどなかった。まさに浮き草暮らし。いまだに自分の居場所、骨を埋めてもいい人生の居場所が決まらない。住むということさえ、私の人生はつっかかる。今いる町も出て行って、どんどん去った町、思い出だけで戻ることはない町ばかりが増えていく。年をとって、そのことになんとなく寂しさを感じ始めている。だから、いちばん長く暮らした町、私はここから始まったのだと確信の持てるあの町へ戻ってみたくなった。今度、引っ越しをしたらあの町はさらに遠くなり、たぶんもう絶対に行く機会はないだろう。これが最後だ。私は決心し、リュックサックにデジカメとメモ帳を入れて出発した。

戻るといっても、私の実家はもうない。祖父母の養女にまでなって実家のアパートの跡を継ぐ約束をしたが、祖母が七十で死んでからは祖父との折り合いが悪くなり、その約束は果たせなかった。祖母の死後、祖母の貯金があったから買うことができた土地も、結局は相続問題で親族がまとまらず、手放すこととなってしまった。祖父の面倒を見ることになった母の話によると、私が祖父母と住んでいた家とアパートは取り壊され、今は新しく二軒の家が建っているらしい。

私は前々からなんとなくその二軒の家が見てみたかった。駐車場やこぢんまりとしたマンションにはならずに戸建ての「家」になっていて、人が住んでいるということ、それが妙に嬉しかった。小さい頃、私が部屋から見ていた風景を今も見ている人がいる。もし子供がいるのなら、その子は私と同じようにあの風景を見て育つのだ。他人とは思えない親しみを感じてしまう。久しぶりにわくわくした。天気はいいし、風は少しひんやりとして、写真を撮りながら歩き回るにはちょうどよかった。

千代田線終点の代々木上原から小田急線片瀬江ノ島行きに乗り換えて南林間駅で降りる。早速デジカメで駅のロータリーの辺りを撮る。ざっと見回しただけでも高層のマンションが増えて町の景観がだいぶ変わっていた。上空を飛行機が飛んでいく。大和市に来たんだと実感した。この辺は厚木基地が近いのでジェット機が轟音をたてて低く飛ぶ。こればかりは今でも変わらないのかと苦笑した。

小学生の頃から続いている焼き肉屋や不動産屋、食堂や歯科医院やスナックがあって、いちいち感動しながら道端で写真を撮っていく。面白いことに、昔と変わっていないものならなんでも、道の敷石ですら私は貪欲にカメラを向けている。

最初の踏切を渡って右に折れる。道路を渡って前を見た瞬間、なんともいえない懐かしさと切なさがこみあげてきた。線路に沿ってまっすぐに道が続く。遠くに鶴間駅とスーパーマルエツが見える。この線路脇の道の先、ちょうど駅と駅の中間に私の育った家があったのだ。この風景、この感じ。小さい頃から私はここに立ち、このまっすぐな抜けのある風景を見ては、「帰ってきた」とほっとしたものだった。そして町を去ってからもこの風景はなぜか何度も夢に現れていた。

はあああと胸の中に熱い息が漏れた。今しも先をおばあちゃんがスーパーの袋を下げて歩いていきそうだ。おじいちゃんがブロック塀にはしごをかけ、大工仕事をしているのが見えてきそうだ。ああ、私はなによりこの風景を見たかったんだ、と心の奥底で実感した。

玄関脇の花を摘んでこっぴどく叱られた裏のおばあさんの平屋がまだあって、その並びに立派で大きな洋風住宅があった。その家が実家の跡に建てられた家だった。同じ色味で奥にもう一軒。ほんとに二軒の家が建っていた。新しいせいか色合いやスタイルのせいか、なんだか古い家並みにそぐわずにそこだけ浮いているようだ。ブロック塀がなくなり、広々とした駐車スペースになっていて、あまりにも昔の雰囲気と違っていたので、奥の家に通じるあの大好きな小道が見つけられないほどだった。ここへ来る前はじっくり観察しようと企んでいたが、いざ来てみると誰かに見られているのではないかとうろたえて、小道に入っていくこともできない。とりあえず、線路側から母と夫に見せるための写真を撮ってその場を離れた。

中学校への通学路を行く。初めてラブレターを入れた煙草屋の角の大きな丸ポストがなくなって、申し訳程度の小さな四角に変わっていた。道が分かれるたびに、あそこにもここにも昔の自分の姿が浮かぶ。どこもかしこもせつないぐらいにまっすぐ道は伸びていて「その先はたしか……」と私に記憶をたどらせた。

角を曲がって体育館脇のまっすぐな一本道に立ったとき、向こうに白いスポーツバックを肩から下げた中学二年のままのU君の面影が見えた。この場所も私が来たかった場所だった。ここに立てばいつでも中学二年の彼がいて、彼に向かって大きく手を振っているあの時に戻れた。そしてここのことを何度も夢で見るたび、もし戻れるのならすべてをここから、中学二年の自分からやり直してもいいとさえ思った。高校受験も大学受験も、もう一度乗り越えてみせると思った。まだ私はこんな年になっても、どこかで彼のことを忘れられない。こんなふうに大事に思っている彼こそ、初恋の人なのかもしれない。グランドにはあの頃とは違う色のジャージを着た生徒たちが並んでいた。

中学校から鶴間駅に向かって歩きながら、ひたすら懐かしいものだけを写真におさめた。しばらくすると、私は不思議なことに気がついた。どこまで歩いて行っても写真を撮り終わると、私は自分の住んでいたあの家に戻ろうとしている。帰るルートを無意識に歩いているのだ。昼を越えてお腹が空いていたし、足も少しばかり痛くなっていた。この懐かしい風景の中を疲れて歩いていると、自然と足があの頃の家に向かっていく。体はなんとも正直だった。自分が36才で結婚していて二人の子供がいることも、今日は久しぶりに自分の育った町に帰って来ているだけなのだということもすっかり忘れて、私はただ突き動かされるように、てくてくと昔の家に帰ろうとしている。

私はもう一度、足の向くまま実家のあった場所に戻り、家の前の小道から道路に出たところの懐かしい風景を写真に撮り、最後にもう一度立派な二軒の家を振り返った。そして「さようなら。お幸せに」と心の中でつぶやいた。もう二度とここへは来ない。ここはもう私の家ではない。私の居場所はここではないんだとしみじみそう思った。そして食事をしよう、少し休憩をとらなければいけないと思った。

デジカメが終わってしまったので、二条通り商店街で「写るんです」を買い、南林間に向かう。懐かしい金物店、瀬戸物店、洋品店を見つけては写真に撮る。自転車に乗ったおばさんや歩いているおじさんが「何を撮ってるんだ?」と不思議そうに私とカメラが向けられている先を見る。

立ち止まったり、通りを渡っては何の変哲もない古ぼけた店を写真に撮っている私をこの町の人はどう見るのだろうか。不動産関係者? 雑誌の取材? 最近引っ越してきて町中を探検している人? 知らない町に降りたって旅人気分で歩き回っている人? それにしては足取りがしっかりしていて、どこか余裕があり、目的地を抱えているように見えないか。そう、私はこの町をよく知っている。ここを行けばあそこに着くという具合に知っているのだ。でも、果たして私は何者だろう。今、ひたすら歩いているこの私はいったいいくつなのか。何を求めてこんなにどこまでも歩いているのか。どこまで行ったら満足するのか。  

南林間駅前の喫茶店「シャノアール」の階段をのぼった。私は通りの見下ろせる窓際に座ってサンドイッチを注文し、メモ帳に今まで心に浮かんだいろいろを書きだした。
ときどき手を休めては通りを行く人々を見る。自分と同じぐらいの年の男や女の顔ばかりを見てしまう。知っている人に会いたい、会って「久しぶり」と笑い合いたい、そう思っている自分にあらためて気がついた。会ったとて名前を思い出せるかどうか、何をどこから話していいものやら見当もつかないのに、なぜだかすごく人恋しい。

時計を見ると午後三時近く。窓から見える午後の日差しが赤っぽく和らいできたのがわかった。お腹は満たされて、また一段と体がだるくなっている。一日が終わりに傾き始めた時間のやわらかい日差しを見ていると、なんだか無性に心細くなって「帰りたい」と心から思った。

通りを見ていると自然に、あそこをああ行って、こう行って、こう曲がれば私の家があって、と想像している。外にはたぶんおじいちゃんがとんかちを持ってうろうろしていて、台所からはおばあちゃんがお米を研いでいる音がしている。「ただいま」と言いながら階段をのぼり、「疲れたー」と自分の部屋のベットにばたっと倒れ込む。そのすべての色も匂いも手触りも今しっかりと甦っている。

ふと気がつくと、自分がほんとに宙ぶらりんな存在に思えてくる。時間がぶれて、自分がぶれて、現実なのか夢の中なのかわからなくなってくる。ただ「家に帰りたい」「もう家に帰ろうよ」と私の中の誰かが半泣きでせっついてきて、私を内側から揺すぶり続ける。ビルに当たった赤い日差しを見つめながら、私は心の中の誰かに向かって静かに口を開く。

「でもね、私の家はもうこの町にはないんだよ。私のほんとの家はここから2時間もかかる千葉県の松戸なんだ。このままここにいるわけにはいかない。どうすることもできないんだよ。帰るというなら、それはあの駅の階段を上ってまた電車に乗ることなんだよ」

胸が詰まって、心の中の声の主が一瞬にして誰だかわかった。子供の私なのだ。こどもの私がしょぼくれて泣いている。
「帰りたいのに帰れないよう、おばあちゃん」と泣いている。
「いったい、いつからこんなになっちゃったの? みんなで仲良く暮らしていたのに」


「ごめんね。ほんとにごめん。人はどうしようもなく変わっていってしまうものなんだ。おばあちゃんが死んで、寂しくてしょうがなかった。安心できる人のそばにいて、心ゆくまで泣いたり、眠ったりする時間が必要だったんだ。でもね、傷ついた私の中に誰かを愛せる力がまだ残っていたことはすばらしいことだった。それこそ、おばあちゃんが私を愛してくれたおかげだったと今、思っているよ」

このままこの店にいることはできない、なんだか自分がばらばらになりそうで、ほんとにもう松戸に帰ったほうがいい、そう感じた。帰って子供の顔を見たかった。きちんとした私の現実に戻りたかった。

店の階段を下りると、一階の花屋が目に入った。たしかここも同級生の店だった、と思ったら当の本人が植木鉢を持って出てきた。どきりとして私はそっぽを向いた。さっきまであんなに誰かに会いたがっていたのに、いざとなると何も話しかけられず、気づかれないように足早に通り過ぎてしまった。変わってはいけなかったのに変わってしまった私と変わらずにこの町でもくもくと生き続けている彼女。お店を継いで「地元の人」という根っこを自分の中にしっかり持っている彼女がなんだか頼もしく、羨ましいような気がした。

駅の階段を一段一段上っているうち、もう最後だからという思いが湧いてきて小学校へ行くことにした。キヨスクで二本目の「写るんです」を買って、正門前で子供たちに怪しまれながら校章の写真を撮った。そのままぐるっと校舎をまわって、休み時間にガッチャマンごっこをして駆け回った立体運動場を写真に撮った。

三年生ぐらいの男の子達がじゃれあっている脇を追い越して、通学路を家の方まで帰ってみることにした。給食袋を放り投げて屋根に乗せてしまったラーメン屋。電気のこぎりの音と爽やかな木の香りがした材木店。その向こうに赤いランドセルの女の子がひとり歩いていくのが見えた。

以前にもこういうことはあった。そろばん塾の黄色い袋をぶら下げた小学生の女の子に出会って、どきりとした覚えがある。昔の自分と姿形がよく似ていて、こういうのもドッペルゲンガー現象になるのかはわからないが、とても不思議な懐かしい感じがした。ランドセルをしょった彼女の後ろ姿を見ながら歩いていると、なぜだかやさしい気持ちになる。
「だいじょうぶだよ。なにも心配しなくていい。これからも嬉しいこと、悲しいこといろいろなことがいっぱい起こるけど、でもね、だいじょうぶ。ぜったい幸せになれるから。時間を信じて、自分を大事にしていいんだ」
彼女の背中に向かい、心の中でそう語りかけた。

最後の写真を南林間のホームで撮って電車に乗った。窓の外を見ていると、急に虚ろな気持ちになる。私はこれからどこへ行こうとしているのだろう。この時間の小田急線に乗っていると、なにか大学時代に時間が戻ってしまって、祖父母に嘘をついて恋人のアパートへ外泊しに出かけて行くみたいで胸が疼いた。家から離れていく自分。家に年老いた祖父母を置いて恋人の胸に飛び込んでいくわがままで親不孝な自分。恋をしていることの罪悪感。現実の松戸の家に今、帰ろうとしているとはとても思えなかった。メモ帳をひろげてしばらくそんな気持ちを書き込んでいると、次第に眠気が襲ってきた。精神的に疲れると私はいつでももやもやと眠くなってしまう。

「次は代々木上原」という車内アナウンスが聞こえて、はっと目が覚めた。やはり眠っていたのだった。そしてじんわりと、すべては今眠っていたときに見たただの夢ではなかったか、という気がした。頭は朦朧としていたが、足はきちんと地べたを歩き、代々木上原で向かいの千代田線に乗り換えた。

電車が駅を出て、地下に入り車内が暗くなったとき、はじめて現実感を取り戻した。聞き慣れた地下鉄の電車の音にはっきりと、自分は今、自分の家に向かっているんだとわかった。そして松戸の家の中が目に浮かんだ。ランドセルと遊戯王カードが散乱しているリビング、食べかけのお菓子と宿題のドリルが開かれたまんまの食卓、洗濯物が引っかけてある仄暗い和室、出しっぱなしの麦茶のポットがきゅううと鳴いている流し台。そこに子供たちが背中を丸めて遊んでいる姿が浮かんで、たまらなくなった。
家へ帰ろう。家へ帰りたい。家へ帰るんだ。
圧倒的な強さで私は私を取り戻していた。


※『ぼくを葬る』という仏映画を見ました。死んでいく主人公が幼い頃の自分に会って涙するシーンや思い出の場所を写真に撮っていく姿を見て、遠い昔に書いたこの文章を思い出しました。冗漫さは隠せないのだけれど、手を入れて直せないような、どこかそのままにしておきたい文章です。
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by zuzumiya | 2010-10-09 13:14 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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