日常の異界

散歩好きの松浦寿輝の随筆のなかに、子供の頃遊んだ「路地」の思い出が書かれてある。あるとき、あまり通ったことのない路地をいくつか曲がったら、突然見覚えのない街角に出た。表も裏も知り尽くした近所の商店街を離れているはずはないのに、夕暮れの街の光はよそよそしく、半べそをかいて、それから先どうやって家に帰ったかの記憶がない。路地は「異界」につながっていたというのだ。

考えてみれば、子供の頃、「異界」はいくらでもあった気がする。
「路地」ももちろんそうで、ただし、私の場合は、氏とはちょっと意味合いが違う。
他人の日常のすぐ脇を走り抜ける際の、あの見てはいけないものを一瞬でものぞき見る興奮が、何よりすでに「異界」であった。

通りで会えばいつも祖母が好んで立ち話する品のいいおばさんが、網戸の向こうの薄暗い部屋では、だらしなく髪は崩れ、あっぱっぱを膨らませて、テレビを見ていた。鬼女のようだった。あの日常の無防備で、ゆるみきった人の姿、本性みたいなものを一瞬盗み見たことの優越感、秘密を知っている快楽こそ、日常のなかにひょっこり現れた「異界」の醍醐味なのだった。

そして、私の場合、そんな「異界」にはいつでも、いけないことと性的な匂いが漂っていて、惹きつけて抗しがたい魔力を持っていた。
真夏の薄暗い風呂場。神聖な儀式の生贄のように身を捧げて浸かった水風呂の水のゆるい感触。空きアパートの部屋にしのびこんで、おやつの駄菓子をもくもくと食べていたときの、友達のスカートから出た白い腿。
かくれんぼで入った押入れで、男子の膝小僧の砂の匂いとむうっと湿り来る呼気の熱。
通学路の砂利道に雨に濡れて落ちていたヌード写真……。

そして、いま思い出すのは、昼下がりの縁側で、糸切りばさみで幼い私の足の爪を丁寧に切ってくれたあの間借人の青年との艶かしいひとときだ。あの後だったか、「遠くまで行こう」と自転車に乗せられ、さらわれそうにもなった。
あれも日常のなかの「異界」だったように思う。

私の育った家はアパートをやっていて、祖父母は大家だった。大工だった祖父が建てた木造の古い2階建ては全部で6部屋あり、間取りはそれぞれ1DKで、部屋にはシャワーはあるが風呂はなっかった。家賃も安い方だったと思う。そんなところに住むのは、女も男も独り者で、みなひっそりと暮らしていた。
祖父母と私の大家一家が住んでいたのは、私の小学生の頃までは1階のちょうど真ん中の部屋だったから、今考えると上やら左右やらの間借人たちはさぞ暮らしづらかったろう。おまけに内階段で、上のお姉さん(学生のときも勤め人のときもあった)がたまに夜遅く帰ってきて、階段を踏みしめるぎしぎしという足音が微妙にずれて二人分あったりすると、床の中で祖母が薄目を開いて「男づれで帰ってきやがった」とつぶやくので、子供の私も2階へ上がった二人の足音やくぐもった話し声にじっと耳を澄ましたりした。

いろんな間借人がいた。
沿線の短大か大学の学生課と提携でもしていたのか、女子学生が入れ替わりよく住んでいたし、市役所勤めの女性もいた。道路際の1階は私がほんの小さな頃から住み続けている主のようなおばさんで、家賃を支払いに来るたびに「大きくなったねえ」と笑いかけられ、厚木の米軍キャンプに出入りしていたのか、時どきはハーシーのチョコレートや日本の味付けじゃない手作りのカップケーキなんかを持ってきてくれた。

当時、郵便ポストは門の前にひとつしかなく、私がそれぞれの間借人宛の郵便を玄関ドアのポストか、内階段の両壁に取り付けた祖父お手製の木の小箱に入れに行った。
プライバシーも個人情報もあったものではなかった。葉書なんぞはすべて読めない漢字を飛ばして何となく内容を把握してから入れに行った。主のおばさんにはよく筆記体で書かれた英語のエアメールが来ていた。小学校の女教師も住んでいて、「○○せんせいへ」と書かれた年賀状はまず私がぜんぶ見て笑ってから届けた。

家賃の支払い日や盆暮れの帰省の後には、よく間借人が手土産を持ってきた。
いつだったか、2階の端に住んでいた沖縄出身の男性がハワイへ旅行して、定番のマカデミアナッツの箱チョコレートと一緒に天狗のビーフジャーキーの大袋を持って来てくれた。ジャーキーなど食べたことがないうえに、もともと牛肉嫌いな祖母は「こんな乳くさいもの持ってきやがって」とぶつくさ言って、私に食べさせることなく、袋ごとぜんぶ捨ててしまった。だから、私は社会人になるまでビーフジャーキーなる食べ物を知らなかった。今思えば、結構値の張るものだったし、あんなに美味しいものをもったいないことをしたものだ。

そんな口の悪い祖母だが、昔気質の世話焼き大家で、独り者の間借人たちの親代わりとしてやさしいところもあった。口座振替などなかった時代に、間借人全員分の光熱費の支払いをしてやったり、庭の樽に沢庵やら白菜やらを漬けては分けてやったり、柿の実がなれば分けてやったりした。
あるとき、沢庵を樽から取り出した祖母が小首を傾げていた。わけを尋ねると「沢庵の数が足りない」と言う。すぐに「味しめた誰かが盗みやがったな」ときたので、思わず吹いてしまった。真夜中、腕まくりした手に祖母の漬けた沢庵をぶらぶらさせて、そそくさと逃げていく犯人は、なぜかおふくろの味の恋しい男の人のような気がした。

祖父の方も輪を掛けて変わり者で、大工であるのを口実に年がら年中、梯子をかけては屋根に登り、トタンにペンキを塗ったり、故障を直すような振りをしながら、ベランダごしに女子学生の部屋を覗き見していた。
時には大家の権利を悪用して、合い鍵で間借人の留守の間にこっそり部屋に入ったりもした。夕飯時に「ああ見えて、女のくせに部屋ん中は汚ねえのなんのって」と見てきたままを得意そうに喋っていたから、祖母も知ってはいたのだろうが、部屋の傷み具合を気にしていたのか、それとも間借人のプライバシーのすべてに首を突っ込んでいたいのか、祖母は怒ることなく聞いていた。

話がだいぶ逸れてしまったが、そんな間借人のなかのひとりに、ある時期、ひょろりとしておとなしい気弱そうな青年がいた。
住んでいたのはうちの右隣の1階。わりと近所にビクターや日産などの工場もあったので、今思えば男の独り者はみな工場の工員だったのかもしれない。休みに女の人が訪ねてくるわけでもなく、若いのに今思えば何をして過ごしていたのだろう。
覚えているのは、洗濯物が干された窓は割と開けっぱなしのことが多くて、がらんとしたあまり物のない貧相な部屋の中が丸見えだったこと。

幼いわたしにとっては、間借人の部屋の前だろうが内階段のドアの前だろうが、どこもかしこも地続きの自分の庭で、コンクリートにケンケンパの輪や落書きをしたり、縄跳びやゴム飛びをし、夏休みとなれば、祖父にプールを出して貰ってばしゃばしゃとうるさくやっていた。おそらく青年の部屋の前でも無邪気に遊んでいて、何度となく喋ったりもしていたんだと思う。一人っ子の私は「やさしいお兄ちゃん」にすぐさま懐いたにちがいない。

ある日の昼下がり、祖母が縁側で爪を切ってくれた。
手の中にすっぽり入る糸切りばさみだったから、靴下のつま先の穴でも繕っていて、私の爪が伸びていることに気づいたか、単に爪切りが見つからなかったのだろう。
祖母が目を細めて小さな爪にはさみを入れているところへ、どういうわけか青年がやってきた。もしかしたら、私が「痛い」と騒いでいたのかもしれない。
「僕がかわりましょうか」と微笑んで、目の悪い祖母は助かったとばかりに礼を言って奧へ引っ込んだ。青年はコンクリートにひざまづいて、ゆっくり私の足指に触った。爪を選んで慎重にはさみを入れる。貧弱な体つきだったから、工員の手とはいえ、両の指も細くしなやかだったろう。

私はあのときどんな姿勢だったろう。
青年の膝のあたりに小さな足をのうのうと乗せていたのか、もしくはスカートなのに縁側に立て膝をついていたのか、もう忘れてしまったが、そのときどちらにせよ、真向かいにいる青年に対して、なんとも心地よい征服感があったことは覚えている。大人の男に爪を、それも足の爪を切ってもらう、しかも糸切りはさみで。
今考えてもかなりエロティックだけれど、子供心に何とはなしにいけないことをふたりでひそかに共謀してやっている、という愉悦の感覚があった。あのとき、たしかにふわりと日常が翻り、輪郭のぼけた白い「異界」に包まれた気がする。

自分は青年に気に入られているというはっきりした自信が芽生え、ある日、なぜそうなったのか覚えていないが、青年の気まぐれが決意か「遠くに行こう」と誘われて、自転車の後ろに乗せられた。自分から乗ったわけではなかった気がする。だから、ひょいと脇の下をつかまれて軽々と持ち上げられたんだろう。私はまだそんなにも小さく幼かった。
走っているうちに、まだ家の近所だったが、なぜだか無性に家から離れることがさびしくなって「帰る」と言い出した。最初は小声だった。青年は前を向いたまま、速度をゆるめずにいた。「帰る!」とさっきより大きな声で言う。青年はしばらくしてから「え?」と言う。「家に帰りたい。下ろして!」とまたさらに大きな声で言う。

「なんで?」
「どうしても」
「なんで?」
「下ろして」
「遠くへ行くんだよ」
「いやだ。下ろして」

私はなぜだか、今自分はさらわれているんだとはっきり自覚した。このままだと怖い目や痛い目に遭うんだとわかった。半泣きになりながら、でも、なけなしの勇気でもって青年の背中に「下ろして」と訴え続けた。
これ以上大きな声で騒がれたら、道行く人に怪しまれると思ったのだろう、青年の自転車は止まった。それから青年に下ろしてもらったのか、自分で無我夢中で下りたのか、家まで走って逃げたような気もするが、それこそ松浦氏のように先の記憶がないのである。

あのときもたしかに「異界」を見た。青年のジャンパーの背にちらちらと木漏れ日が当たっていたような覚えがあり、その陽差しを見上げたような覚えもあるが、あとから付け足した記憶かもしれない。なぜなら青年のジャンパーの色がはっきりとわからないから。
大人になってからの「異界」は小説(松浦氏の)ででも映画(デビッド・リンチの)ででもこちらから心を決めて味わい、浸りきることができる。その自由は何ものにも代え難い恍惚のひとときだ。でも、幼い頃のように、不意で強烈なざわめきと甘美な罪悪感はもうなくなってしまった。それを大人になった今どうしても得たいなら、余程のことをやって、死を覚悟しなきゃならないのかもしれない。
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by zuzumiya | 2010-09-27 07:38 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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