子どもの本でゆるゆるになる

a0158124_0201271.jpg『おさるのまいにち』(いとうひろし作・絵)という童話がある。本の裏を見ると、小学一年生からとある。小学一年生がこの本の味わいをわかって読んでいるとしたら、そりゃ、ただ背が小さいだけで仙人かもしれないぜ、と思う。この本は息子や娘に与えるために買ったのではなく、私のために買った純然たる私の本だ。私の毎日はその頃、人の出入りが激しくて、心の中が踏み固められた土のようになっていた。だから本屋で『おさるのまいにち』を見つけたとき、「おお、血が通ってきた」と思ったものだった。

おさるは南の小さな島に住んでいる。森もあって、山もあって、川もあって、仲間と共に仲良く暮らしている。おさるのまいにちは、朝、おひさまがのぼると始まる。目を覚まし、おしっこをして、ごはんのバナナを食べる。それからみんな一列になって毛繕いをし、木登りをし、かえるなげをし、水浴びをし、夜になったら木の上で眠る。次の日もおんなじ。次の次の日もおんなじ。

この辺までで本の三分の一は読めているんだから、この本の時間の流れ方はすごい。普通なら物語上いろんな事がすでに起きてしまっている頃なのに、『おさるのまいにち』は平々凡々とした繰り返しだけでここまできてしまう。大人の私はその隙間だらけのすごさを知っているので、つい嬉しくなる。線画のおさるもなで肩で、ずんどうで、毛繕いをしている背中の辺りにほっこり日向の匂いのような生き物の体臭を感じて、見ているとゆらゆらしてくる。そう、すべてが心地よく穏やかで平和である。

で、そんなおさるのまいにちにも一年に一度だけみんなが浮き立つイベントがある。青い水平線に黒い小山がぷかぷかしだすと、うみがめのおじいさんだ。このうみがめのおじいさんは世界中を旅していて、旅の話をしに一年に一度だけ、おさるの島に立ち寄ってくれる。このうみがめのおじいさんときたら、おさるのおじいちゃんが子どもだった頃からおじいさんだったので、すこぶるお年寄りである。

そんなおそろしくスローなうみがめのおじいさんへのおさるたちの丁重な接し方がまたいじらしく、豊かなのである。特に別れ際、おじいさんがめの頭をおさるが撫でてやると、おじいさんがめがほほえみながら「うんうん」うなづいてじっと見つめるものだから、おさるが困って二、三歩後ずさりしてしまうところなんかは、子どもの頃に戻ったかのようだった。

子どもが「自分から与える」ときの、損得や駆け引きや見返りという雑念のないピュアな気持ちとはこういうまっ直ぐさでくる。受け取る側はとてつもなくしみじみしてしまうものなのだ。せっぱつまったな、という時はこの本を手にしてベランダに出る。いい陽気だし、このままござを敷いて寝ちまうか、という気になる。そういうゆるさをくれる本は、なかなかないと思う。

a0158124_0204330.jpg『どろんここぶた』(アーノルド・ローベル作)も私のための本だ。本屋で見つけたとき、嬉しくて子どものように足をばたばたさせてしまった。こういう本と巡り会えたとき、生きててよかったとさえ思う。

「こぶたは、おひゃくしょうさんのうちの、ぶたごやにすんでいました。こぶたは、たべるのがだいすき、うらにわをかけまわるのもだいすき、ねむることも、だいすき。でも、
なによりもなによりもすきなのは、やわらかーいどろんこのなかに、すわったまま、しずんでゆくことでした。」

こぶたが片足をどろんこの中に入れて「どっこいしょ」とずるずるどろんこの中に体の重みで沈んでいき、鼻の上まで埋まって気持ちよさそうに目を閉じている絵が描かれてある。実を言うと私は、三ページまでのこの文章とこの絵だけで、本を買うことを決めてしまった。その後のストーリーもきちんと読んではいるが、なんといってもこの「どろんこにすわったまま沈んでいく感覚」が震えるほど好き。「やってみたい!」と純粋に思う。

子どもが生まれて、お母さんになって、きっちりとした大人にならざるを得なくて、そういう自分に疲れるよなあとずいぶん思ってきた。子どもが食事をしたり、外遊びに連れ出せるようになった頃、忘れていた子どもの感覚、もっというと生き物の感覚というのが甦ってきたように思う。触覚である。

子どもに軟飯を出す。ぐちゃっと手で握りつぶす。指の間からにちゃっと潰れたごはんが出る。手を開いてねちょねちょの手のひらを見る。舐める。牛乳を出す。カップに手を入れる。そのまま倒してわざとこぼす。両手でワイパーのように牛乳を伸ばす。ぺちぺち叩く。手のひらを見る。牛乳が滴ってくる。舐める。

そういう食事風景を見ると、大人のお母さんの私は思わず「こらっ」となるけれど、たとえば、床に新聞紙を敷いて、食べさせる分は食べさせた後で、今日はやりたいようにやらせてみようとどっかり構えて眺めていると、必ず笑みがこぼれてくる。食べ物を粗末にして不謹慎かもしれないが、心の奥のどっかで、いいよなあ、気持ちよさそうだな、と思う。

もう少し大きくなった子どもと砂場へ行く。どこの砂場でも必ず男の子が水を持ってくる。水の入ったバケツに土を入れてどろんこにする。両手を入れる。手首あたりまで埋めて顔を上げ、ニターッと笑う。私も子どもと一緒にどろんこに手を埋める。生温かな泥水。立ち上ってくる泥の匂い。指先からゆっくり埋めていくと、手の甲に泥の温かいざらつきを感じて、胸がきゅうんとする。最後はたまらず、ほとんど反射的ににちゃっと泥を握りつぶしている。こういうとき、私も子どももやっぱりニターッと笑っているのである。小さい子どもと暮らすことは、触覚という忘れやすい感覚を生き生きと甦らせ、私たちはシンプルに感覚的な生き物なんだと思い出させてくれる。

子ども達が大きくなってしまった今、『どろんここぶた』のこの触覚に帰るたび、いつでももっと感覚的に生きようと思う。感覚的に生きるということは、単純に自分を信じることである。そして、こぶたのように自分の大好きな大切にしたいものを持っている幸福を羨ましく思うし、生きていれば私だってこの先まだまだそういうものに出会えるかもしれないと思うと、なんだかうきうきしてくるのである。
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by zuzumiya | 2010-09-26 00:21 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
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