凪の海

a0158124_1321697.jpg大げさに聞こえるかもしれないけれど、
私にとって、一生かけてうだうだと考えてしまう悩ましきことの筆頭は、やはり「夫婦」という関係だと思っている。
男と女がある時出会って、好き合って、「この人となら一生を共にしたい」と結婚する。子を持って、父親と母親になって、家庭を営んでいくうちに、何かが変わる。
それは愛情の質だ、という人もいる。男女の恋愛の愛から、家族という親族、血族の絆としての慈しみの愛に変化するのだという。それはそれでよくわかる。
しかし、私には子があるが、子を持たない夫婦は父親、母親という役割なしに、いつまでも夫と妻、そして男と女のままでもあるが、彼らは子という新たな要素がない分、その実いったいどういうふうに愛情の質が変わっていくのだろう。
なったことがないだけに知りたいなあと思う。

何かが変わる、と書いたが、その反面、恋愛や結婚はまやかしで、実は何も変わらないという気もしている。「人間はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく」、もっと確実なところで「私は私なのである」という絶対的で本質的な孤独。
誰かと一緒にいても、たとえその誰かを精一杯愛していても、変えられない真実。
そういうクセモノを男も女も人は内包しつつ、夫婦となって、一緒に家庭を作って、なんとか辻褄合わせて生きているんだから、よく考えると凄い。
「人と一緒にいると孤独になるの」とつぶいた女友達は40を過ぎて、その後、結婚したのだろうか。
夫婦となってみて、誰かと一緒に居続けるということで、幸福とは別に、たしかに私の孤独は増した。「増した」というより「あらわになった」方が正確か。
そう、男や女や、人の本質の何もかもをあらわにしたくないのなら、結婚なんてしない方がいいのかもしれない。

トニー滝谷はずっと凪の海だった。
そこへ女が現れて、一陣の風が吹いた。
妻となった風は波の表面を撫で、彼はさざめき立った。
でも、風はあっという間に止んだ。
ゆっくりと時間をかけて、彼はもとの、本来の凪の海へと帰っていく。

思うに夫と出会い、結婚して夫婦となっても、それは一生のなかの一陣の風のような気がしてならない。たしかに舞い上がり、しぶきをあげ、さざめき立ちもしたが、私もトニー滝谷のように、どこかでどうしようもなく凪の海なのだという気がする。


*「トニー滝谷」(市川準監督、イッセイ尾形主演)
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by zuzumiya | 2010-09-19 13:23 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
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