暮らしのまなざし

頽廃の歌を持つということ

a0158124_1043820.jpg久世さんが『遊びをせんとや生れけむ』の本のなかで私の好きな映画、リリアーナ・カヴァーニの「愛の嵐」について書いていた。この映画は中学だか高校の頃、テレビで見た。英国のロックバンド、JAPANのヴォーカル、デヴィッド・シルヴィアンがこの映画に影響されて「The Night Porter」というピアノとサックスの陰鬱で美しい曲を作っていたので見たかったのだけど、それがテレビでぽんっと見られたのだから、運命を感じた。
私はグラム・ロックの両性具有美にとろける女子だったが、この映画の、裸の平らかな胸にサスペンダーのズボン、頭にはナチ親衛隊の軍帽を被ったシャーロット・ランプリングがもの凄い好きで、言うなればこの映画のせいで、成長期の若い頃「胸なんかない方がいいや」と思ってしまい、その後ぴたりと胸の発達が止まってしまったのだと思っている。
そのランプリング演じるルチアが映画のなかで、そういうカッコイイ姿(実はナチの軍服に色気を感じてしまう)で歌う歌があるんだけど、マレーネ・ディートリッヒが歌ってた「望みは何と訊かれたら」(英題名 If I could wish for something)という歌だそうで、その歌詞の日本語訳を久世さんが親切にも載せてくれていて感激した。

望みは何と訊かれたら
幸せ、と答えはするが
望み叶って幸せになったら
すぐに昔が恋しくなるだろう
あんなに素晴らしく
不幸だった昔が

あのもの哀しいアンニュイなメロディが紫煙の向こうにほろほろと聞こえてくるが、久世さんはこの歌を「深い海の底にうねる海流のように、人を誘い、逃れようとする足首を掴み、やがてはその全身を覆い尽くしてしまう」<地底の歌>あるいは<頽廃の歌>と呼んでいる。
そして「頽廃は、懶惰な暮らし、怯懦な心に棲むかというと、必ずしもそうではない。むしろ幸福の爽やかな香りに慕い寄り、健康な日々といつしか馴れ合い、ふと気づくと黒い長い触手で、充たされた日常の底にしがみついて離れようとしない」なんて、書く。
ほんとにそう。白昼夢のように、見慣れた日常とするりと転換する。
こういう「頽廃の歌」をいくつかは持っていたいものだ。そういうのを豊かっていうんじゃないだろうか。

a0158124_10494824.jpg
[PR]



by zuzumiya | 2010-09-18 10:45 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://zuzumiya.exblog.jp/tb/11297551
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
by zuzumiya
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

※このブログの無断な転載はご遠慮願います。

最新の記事

最新のコメント

検索

ブログジャンル

画像一覧