しわしわでくしゃくしゃであたたかい場所から

『AI』という映画を見たとき、自分の中には「永遠なるこども」が巣くっているんだとはっきりと自覚した。「永遠なるこども」とは、決して大人にならない、永遠にこどものままの、こどもであり続ける魂というもの、こどもであり続けるために時間を止めてしまった「もう一人の自分」である。そして、それが私の中にいることは不幸なことなのか、それとも幸福なことなのかと考えてみたが、すぐには答えが見つからなかった。

結局は「永遠なるこども」も私と血を分けて今まで一緒に生きてきたのだから、もうどうしようもないことで、これからも共存していくしかないのである。大人である私が時として、その「永遠なるこども」を抱いてやり、ほおずりしてやり、子守歌を歌って寝かしつけてやることもある。我が子の子育て以外にもそんなことをしているのだから、結構しんどかったりする。

a0158124_17183766.jpg島尾伸三さんの『まほちゃん』という写真集がある。島尾さんと、同じく写真家の潮田登久子さんとの間に生まれた一人娘で、現在漫画家、コラムニストとして活躍中の「しまおまほ」さんの幼少の頃の写真をまとめたものである。そこには、はいはいをしている頃から最後の写真は小学校一、二年の頃かな?まで、まほちゃんが時にはひとりで、時にはお友達や家族と一緒に日常のスナップとしてあるがままの姿で写っている。

本屋さんで偶然この写真集に出会い、ページを捲っていくうち、私の中の「永遠なるこども」が大きなくりくり目玉のまほちゃんにまっすぐ見つめられているのを感じた。「そこにいるんでしょ」と言われているみたいで、どぎまぎした。気になったけれど、その日は写真集は買わないで帰った。そして一週間ばかり日を置いてみた。すると私の中の「永遠なるこども」がくすん、くすん泣き出したのである。

わけを聞いてみると「まほちゃんちにいぎだい〜」とわめくのである。「だって、あんなに困っていたじゃない」と私が責めると「はじめは、はずがしがっだああ」と泣く。しかたがないので抱き上げて鼻を拭いてやり「そうかそうか、よしよし。じゃあ、連れてってあげるからもう泣かないんだよ」とやさしく言うと、ひっくひっく肩を震わせながら小さくうなづいた。「なかないから、いっしょにいてくれる?」と聞いてくるので「うん、いいよ。ちゃんといる」と約束して頭を撫でてやった。そして、私は私の中の「永遠なるこども」の強い求めに応じて写真集『まほちゃん』を買ったのだった。

a0158124_1719108.jpgページを開くと、私の中の「永遠なるこども」は喜んでまほちゃん家に入っていった。まほちゃん家はただ今、昭和五十年代。世田谷は豪徳寺の古びた洋館の二階の一室。床はぼろぼろだけど、南に向かって大きな窓が三つもあって、そこら中に散らばっているおもちゃやぬいぐるみやタオルや落書きした紙切れや脱ぎっぱなしの洋服なんかに日差しがいっぱい当たっている。まほちゃん家はベッドもあって(時には布を被せてソファー代わりにしているけど)ただでさえ物が多いのに、まほちゃんや近所の男の子のトットやジュンやカヨちゃんが遊んで散らかすから、いつもどうしようもなくごちゃごちゃだ。でも、誰も怒らない。ごちゃごちゃはごちゃごちゃのまま、タンスの取っ手から鞄や紙袋がぶら下がっていようが、椅子に干してあるバスタオルがだらんとだらしなく垂れていようが、絵にならないなんてこれっぽっちも思わずに、写真家のお父さんとお母さんがまほちゃんだけを見つめて写真を撮っている。

「まほちゃんちって、ごちゃごちゃでしわしわで、あったかいねえ」私の「永遠なるこども」がほほえんだ。「ほんとだねえ、お掃除大変だ」つい、大人のお母さんである私はそんなことを口走って苦笑する。そして我が子と暮らしてきた生活をふと、振り返る。

a0158124_172015100.jpgそういえば、小学生になった今でさえ掃除機をかけるたびにリビングの隅っこや和室の敷居にビー玉を見つける。この間は、夜、トイレのドアの前に巨大なバッタの人形が転がっていて度肝を抜いた。こどもと暮らすということは「拾う」生活なのだ。お母さんである私はずっとこどもが落としてきたものを拾ってきた。不思議なことに落ちている物には、なんだかこどもが触っていたというだけでいのちの欠片がくっついている。だから、時には掃除機をほっぽって、綺麗なビー玉を窓に透かしてみたり、床に広げたままにしてある図鑑に見入ってしまったり、「おにいちゃんのばか」と書かれたメモ用紙の皺をなんとなく伸ばしてみたりする。そしてまたこの「拾う」ということに気づいて、はっとする。私たちが生きていくことは、生きて成長していくことは、なんとたくさんのものをぞんざいに落としていく、もしくは「捨てて」いくことなのだろうと、ふいに哀しくなる。

いつのまにか、まほちゃんと私の「永遠なるこども」が日差しを浴びてままごとをしている。まほちゃんと隣のカヨちゃんが変な顔して笑わせてくれる。いいのだろうか、大人のサングラスを貸してくれる。お絵かきの紙とクレヨンを分けてくれる。かくれんぼにまぜてくれる。だいじな絵本を見せてくれる。お医者さんごっこの看護婦さん役にしてくれる。「おなかがすいた」と言ったら、食パンのジャムサンドをひとかじりさせてくれる。私はずっとまほちゃんとカヨちゃんと「永遠なるこども」のそんな光景を透明人間のようになって見ている。(そういえば、お母さんの潮田登久子さんもあとがきで「透明人間のたのしみ」って書いてたな)

そのうち「永遠なるこども」が私に「ねむたくなっちゃった」とささやいた。久しぶりによく遊んで疲れたのだろう。どうしようかと思っていると、まほちゃんのお母さんがやってきて、床に薄っぺらい掛け布団と毛布を敷いてくれて、座布団を枕にしてごろんと横になった。いつのまにかカヨちゃんはいなくなっていて、まほちゃんがお母さんの隣に寝っ転がった。まほちゃんが「えほん、よんでもらうからおいで」と私の眠たげな「永遠なるこども」を誘ってくれた。私は「いいよ、一緒に寝ておいで」と言うと「永遠なるこども」は陽を浴びてまほちゃん家の匂いのするそのしわしわでくしゃくしゃな温かいガーゼカバーのついた毛布の中に入れてもらった。

お母さんが静かにゆっくり絵本を読む。遠くを電車が通る。雀がどこかで鳴いている。「永遠なるこども」の体がほかほかしてくるのが私にも伝わってくる。「あ、うさぎさん」と指さしながら、まほちゃんの大きな目玉はまだまだ絵を追って、くりくり動いている。ついに「永遠なるこども」のまぶたがとろとろと落ちてきた。懸命に見ようとして、まぶたを震わせて白目になりかけるのが可笑しい。絵本をおしまいまで読み切って、お母さんはまほちゃんの背中をとんとんしだす。空気がとろとろになっていく。お母さんのとんとんする指先を見ていると、私も体がもわもわと温かくなって、うつらうつらしてくる。「永遠なるこども」が寝入ってしまった。すー、すー、すー、寝息が聞こえる。まほちゃんも目を閉じた。お母さんもとんとんをやめて座布団の下に手を差し込んで眠ってしまった。すー、すー、すー。それぞれの間隔でそれぞれの寝息が聞こえる。しわしわでくしゃくしゃであたたかい場所から。

私はまほちゃんとお母さんを起こさないように、「永遠なるこども」をそうっと抱き上げて戸口に立つ。そして「まほちゃん、遊んでくれてどうもありがとう。お母さん、おやすみなさい。お邪魔しました」と頭を下げた。
いつかまたここへきて平和な眠りに落ちますように。
そうお祈りをして私は写真集を閉じた。
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by zuzumiya | 2010-09-10 17:20 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
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