感性の正解

a0158124_1812563.jpg詩人のエッセイが好きだということは、以前にも書いたような気がするが、特に小池昌代さんの書かれたものは必ず読む。
『感光生活』筑摩書房。最初の2篇「隣人鍋」「島と鳥と女」を読んで、小説に挑戦されたのかな、と思って興味深く読み進めたが、最後の方になって、こいけさん、こいけさんと会話にやたらにお名前が出てくると、これはやはりエッセイだったのかな、と煙に巻かれたような気分になった。
しかし、考えてみると、書いた人がいくら「詩人」だからといってエッセイや小説のどちらのカテゴリーに入るかなど別に深く考える必要はないのである。エッセイのような小説かもしれないし、小説のようなエッセイかもしれぬ。
うたたねの後にまだ夢の世界を半分引きずりながら、夕暮れの台所の、西日の当たった椅子の背をぼんやり眺めているような小池さんの文章世界は、そのどちらもありうるのである。

私は凡人だから詩人というのに弱い。詩人と同じことを思ったり、感じたりしていることがわかったとたん「共感した」というレベルを超えて、すこぶるうれしくなってくる。感性に正解も間違いもないのだけれど、なぜか「私の感性は当たっていた!」と自信が湧いてくるのである。
たとえば、「蜂蜜びんの重み」のなか。
小池さんは沈丁花という花の本質はさびしさであると書いている。あまりにそのとおりなので胸の中でなぜか「ざまあみろ」と言っていた。私も沈丁花が好きだし、小池さんと同じように幼き日の思い出深い花なのだが、沈丁花という花は日陰でもよく咲き、香りも独特なえぐみというか少しひねたところがあって、花片もよくよく見ると飴細工のように肉厚で濃厚な艶がある。物静かで控えめだが、どこかエロティックで酷薄な印象のある花だと思う。小池さんはそんな沈丁花を「女中のような花」と書いていた。まさに!

それから、「風のリボン」では子供についての観察眼に恐れ入る。
「子供といっても、ある幅のなかにある子供が特におもしろい。下は、五、六歳から、上はせいぜい、九歳くらいまで。このあいだにある子供たちには、外側から容易になかへと入り込めない、分厚い熱を帯びた皮膜がはられていて、独特の空気感が漂っている。貴族的とでもいえる感じが、わたしにはたまらなく魅力である」

この「貴族的とでもいえる感じ」と書くところがすばらしい。たしかに子供の、庇護され、愛されて甘やかされるものの放つ純度の高いある種の品性や輝きのようなものを「貴族的」という言葉で捉えた感性は拍手ものである。さらに、

「どんなに大勢の大人たちに囲まれていたところで、そうした子供たちは、彼ら大人たちの日常生活から、はっきりと断絶し、孤独な球体を形作っている」

「どの子供たちも、この世では、無意味と名づけられている聖なる空間に、魂を投げ出すようにして生きていた。わたしたち大人が、常に、ある時点からある時点の、区切られた時間のなかでしか生きられないときも、彼らは底の抜けた、両端のない、途方もない黄金の時間を生きている。そのときの彼らのなかにある生命は、まるで熱帯の植物たちのように、みっしりと濃く充溢しながら、それぞれが唯一のものとしてそこにあった。」

子供たちを「孤独な球体」や「熱帯の植物たち」に喩えているところも凄い。小説ではなく、詩の世界の人が書いたエッセイを読むたびに、思いを伝える文章が、当たり前だが、実は言葉のひとつひとつから成っていて、書くことは常に岐路に立ち、優秀な園芸家が枝葉を選んで断つように、冷静なる取捨選択を強いられることなのだとあらためて思い出す。背筋がしゃんと伸びるような心持ちである。

a0158124_18123613.jpgところで、小池昌代さんが朝日新聞で書評委員をしていらっしゃるのをご存じだろうか。
小池さんのお薦めの本は何か通じ合うものがあるような気がして、毎回チェックしている。先日は岩阪恵子さんの『掘るひと』を取り上げていた。岩阪さんは以前『台所の詩人たち』という本で私に詩人の木山捷平さんを教えてくれた小説家である。縁はあったものの、私の興味は木山捷平さんの土っ気の方に走ってしまい、その後、彼女の名前は忘れてしまっていた。今回、小池さんが『掘るひと』を静かに熱く、実に小池さんらしく薦めていたので、絶対外れないと思い、すぐに購入して読んだ。
すばらしい。淡々と流れる日常風景を描きながら、そこに平穏無事に収まるかのようにしてどこか収まりきれない、わずかにずれて、滲みだしていくような年配の女たちの心模様、そして夫婦の姿。岩阪さんはあくまで静謐に、過不足ない線画のように書いていく。はまってしまった。今は岩阪さんの川端康成賞受賞作(すなわち、短編の名手ということになる)の『雨のち雨?』を読んでいる。表題作の「雨のち雨?」しかまだ読めていないが、最新作『掘るひと』と読み比べてみて、数年経ってさらに腕を上げられたのだな、という気がした。文字のなかでしか醸し出せない微妙な心風景を、映像ではなく文字の中でしか成り立たない演出方法で、あくまで淡々と描いてみせる。期待してかかるようなドラマはないが、書かれていることの裏に、生きていることの合間合間に、誰しもが心の底にひっかかる何かがある。日常を見る視線。書かないことで出る余韻。久々に勇気を貰えたと思う。小池さんつながりに、納得。そして感謝である。


※最初に読んだ本はエッセイで『屋上の誘惑』でした。いい本だったな。今では小池昌代さんは立派な小説家になってしまいました。小池さんの妖しい幻想的な世界は大好きです。同じ詩人である松浦寿輝さんの世界にも似ているかも…。どちらも、しょうののおすすめの作家さんです。
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by zuzumiya | 2010-09-09 18:26 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
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