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うまれたかったから、うまれてきたけど、うまれているのはくたびれる

うまれたかったから、うまれてきたけど、うまれているのはくたびれる_a0158124_17464785.jpg私は特定の宗教を持っていない。だけど、美しい満月を見上げている夜なんかには、自分が今ここにこうして生きていることは、なにかこう、生きていてもいいとされて「生かされている」のではないかと思ったりする。月の引力というものなのか、人の意思を越える大いなる力のようなものを感じてしまう。そして、ぼんやり私が生かされている意味を考えたりする。

私が生きていてもいいとされるのはどうしてだろう。食物連鎖のように、生物の死が他の生物の生きる糧になっていたり、共生、寄生というように生物の生が他の生物の生を支えていることもある。これは生物界において生物の生死は他の生物の何らかの役にたっているという意味だと思う。

だから単純に私という人間が生きていること、そして死ぬことは何かの、誰かの為になっていることなのだろうと思う。そして、今なにより死んでいないということは、まだ死ぬべきではない、死ぬ必要に迫られていないということで、この世においてまだ役目をはたしていないというか、死ぬことではなしに生きていることの方で何かの、誰かの役にたっていることを意味しているのではと思ったりする。

つまり、私は生きている必要が多少ともあると受け取っていいのではないか。でも、いったい何の、誰のためにどうすることで私は生きていなければならないのだろう。私はこの世においては今、人間として生まれ、人間の中に生きて暮らしているのだから、いちばんわかりやすいのが家族や友人を含めた人間という同胞に何かを与えることなのだと思う。そしてその「与える」はたぶん、発達した脳を持ち、豊かな精神世界と可能性を持つ「人間」というものに生まれてきたのだからこそ「伝える」であり、伝えて「共有」し、「つながる」ことなのかなと思ってみる。

私は今生きていることで何かを伝えることをまっとうしなければ、死というステップは現れないのだろうと思う。しかし、私は何を伝えることができるのだろう。生きていること、そのままでなにかをすでに伝えているのだとしたら、とてもシンプルですばらしいのだが、とりあえず「今こそあなたは死ぬ必要がある」「死を持って伝えよ」という電波をキャッチするまで私はこの「伝える」に悩みつつ、生きている私の今そのままを等身大で私の周りの人間たち(家族や友人たちのように出会う人は限られている!)にさらして、なにかを共有し、つながろうとするしかないのだろうなと思っている。月を見て大いなる力を感じたのだから死んでいくその時もきっと月が囁いてくれるだろう。

そんなことを考えていたら、最近、不思議だなあと思うことがあった。私の中ではなんとなく一本の線につながる出来事なのだけど、同じ時期に二つのものとの出会いがあって、私に向かってひとつのメッセージを発信しているようなのだ。
先だって息子に「次に生まれてくるとしたら、何になりたい?」と聞かれた。ふいに次にはもう、生まれてこなくてもいいや、と思った。とてつもなく嫌な、絶望的なことがあったわけではないし、逆にこのうえない幸せを味わったわけでもない。なのに心の底から「もう、次は生まれないな」と勝手に納得してそう答えた。息子は予想外の答えに話が続かなくてつまらなそうな顔をしていたが、私は面白いことに妙に清々しい気持ちになった。「私はこの一生だけでいいんだ」という開き直りは実にこころを軽やかにして、爽快にした。

そんな矢先、たまたまNHKの番組でタイの寝釈迦仏を見た。もともと寝釈迦仏というものにはそそられるものがあった。静かに座っているか立っているかの仏像のイメージから大きく外れて、寝っ転がっている、リラックスしているというのがひどく人間的でゆるゆるとしたおかしみがあって好きだった。

しかし、番組の冒頭で寝釈迦仏というのは釈迦の「涅槃」の像であることを知って、そして初めてその「涅槃」という言葉の意味を知って驚いた。「涅槃」というのは煩悩を滅却して絶対自由となった状態で、仏教における理想の境地、悟りの境地であり、釈迦が沙羅双樹の間に横たわり、輪廻せず、二度とこの世に戻らないことを告げて死んでいく入滅のことだという。私が「次にはもう、生まれてこない」と決めたのは、諦めでも悟りでもなかったが、どきりとした。そして急に寝釈迦仏に親しみが湧いてきて、そのまま番組を見続けてしまった。

番組ではバンコクのワット・ポーの黄金に輝く巨大な寝釈迦仏や、ぼろぼろのアユタヤ遺跡最大のワット・ロカヤスタを見せてくれたが、私はアユタヤ遺跡の涅槃像の方により惹かれた。全長29メートル、高さ5メートルの巨大な石の寝釈迦仏には神聖な色である黄色の大きな布がかけられていて、寝ている釈迦の体を舐めるように風が流れ、ゆらゆらと揺れていた。その揺らぎが辺りをとても穏やかで安らかにさせている。たしか微かに風鈴のような鈴の音も鳴っていたように思う。

釈迦の顔がまたいい。完全に笑っているのだ。ワット・ポーの方は穏やかで静かな笑みを微かに口端に含んでいたが、アユタヤ遺跡の方は唇が薄く月形に曲がって、明らかに笑っているのがわかる。そしてなおいいことに、風雨と激しい日照りに晒されてきたせいか、釈迦の片方の鼻の穴から頬の方に鼻水を流しているかのように筋がついている。なにか巨人がうたた寝をしているような、とても大らかで伸びやかな涅槃像であった。私もその時が来たらあのように鼻を垂らしてにんまりと「もう戻ってこないからねえ、サイナラ〜」とこの世にお別れできたらいいな、などと思ってしまった。

きわめつけは『うまれてきた子ども』(佐野洋子・作)という絵本だった。
「うまれたくなかったから、うまれなかった子どもがいた」という出だしで書かれたこの本は、「うまれたくなかったからうまれなかった子ども」が地球に来て、うまれてないから何を見ても何をしても「かんけいない」と冷めていたのに、女の子と出会い、お母さんというものを知って、とたんにこの世にうまれてきたくなって、うまれてくるという風変わりなお話である。子どもはこの世にうまれてきてからはすべてを感じ、生きていることをめいっぱい味わうので、夜になってお母さんに「もう、ぼくねるよ。うまれているのくたびれるんだ」なんて言って、夢も見ないで寝入ってしまう。

世の中の人々、すなわち子どももかつて子どもだった大人たちもこの本のように、宇宙のどこかで「うまれようか、うまれないでおこうか」と迷って、人間界に偵察に来て「うまれる」ことを選択したのだとしたら、と考える。この「うまれてきたこども」のように私たちはくたくたになるまで夢中になって今生きていることを心底味わっているだろうか。誰も彼もが「うまれたいと思って、うまれてきた子ども」のはずなのに、「ほんとはうまれたくなかった」「もう死んじゃおうかな」と時にぼやいて、うまれている今も物事に「かんけいない」と冷めて半睡半醒で生きているような気がする。

私自身、なんども「こんなんじゃ、生まれてこなければよかった」と思ってきたし、「自分はもうどこへ行っても、どうやってもたぶん変わらないだろうから、死ぬしかないのだ」と思いつめたこともある。でも、死ぬのはとてつもなく怖くてできなかったし、こうして今生きているし、美しい満月を見た夜には生かされているという確信まで持っている。いったいこれらのことはどのようにつながっているのだろう。

この本によれば、私は自分でうまれてくることを選んで「うまれたかったから、うまれてきたこども」となる。そして私が私の意志でもってうまれた後は、今度はなにか大いなる力で「生きていてもいい」と許されているというわけだ。不思議だが、きっとこれは大きなチャンスを貰っていることなのかもしれない、と思う。人生とは「うまれること」を選んだ私に「それならば、この世で生きていることの全てを味わせてやろう」という大いなる力がくれたチャンスなのではないか。

生きていることの全てだから当然いいことも悪いこともあって、嬉しいことも悲しいこともある。でもぜんぶを味わって『うまれてきた子ども』のように自由に、自分の心と体に頼って生きてみるしかないのではないかと思う。そしてその過程で感じ得たものを他の誰かにできうるかぎり伝えていくこと、共有すること、つながること。それが私が生かされている意味なのだろう。そしてそれは、私だけじゃなく、今このときに生きている人間みんなに許されていることだし、望まれていることなのだ。

私が突然、すべての予兆のように「次はもう、生まれてこないな」という決意をしたわけが今はなんとなくわかる。人生は何度生まれてきても、いいことも悪いこともあって、心地よいことも悪いこともあって、幸せも不幸もあって、果たせることも果たせないことも両方あるのではないか。人生は一度味わえば、そこに全てがあって、もうそれきりでいいように思う。そういえば、本の終わりで、夢も見ないでぐっすりねむったうまれてきた子どもの寝姿は、釈迦の涅槃像のように穏やかで安らかだった。



*『うまれてきた子ども』 佐野洋子 ポプラ社
by zuzumiya | 2010-09-08 17:49 | わたしのお気に入り | Comments(0)
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