下りて行く場所があるということ

a0158124_963159.jpg最近、本の方には当たりがなく、何冊読んでもぱっとしない。そういうときは、写真集を覗くことにしている。映画の帰り、紀伊国屋書店の写真集売り場でうろうろしていたら、やっぱり出会えた、『東京屋上登頂』(なない あつし/新風舎)。
屋上ばかりを撮った写真集である。なないさんは言う。「屋上には日常と非日常が折り重なったような不思議な時間が漂っている」

あくまで「屋上」の写真集。写真の半分は雨風に晒されてひびの補強がされてるようなコンクリート床が広がり、そのまわりを錆びた柵やら、金網のフェンスやらが静かに囲っている。そしてその向こうには、東京の雑多な街が広がり、東京の象徴「東京タワー」があったりして、はるか向こうのビルはぼうっと空に霞んでいる。そんな写真。
午後の弱い陽差しが柵の影を細く作る。寄せ集められた鉢植えの花が止まって咲いている。雲ひとつ無い、どこまでも青い空が頭上に広がっている。反対にどんよりと曇れば、老朽の湿った気配に足元から暗くしんみり呑み込まれてしまう。

街を街として大きな風景として、鷹揚に見る。金網に指をかけ、おでこをつけて下を見下ろす。車が通って、自転車が通って、たしかに人が歩いている。近くのマンション伝いに目線を上げて行く。少しの洗濯物と部屋の壁とソファの端がちょこっと見える。今度はぐっと首をまげて空を見る。雲がある。ほんとに流れるまで待ってみようと思う。自分だけが静かで、あとは街の音が下から混ざってごうっと響いてくる。ああ、と胸の内で声が出る。まぶしくてなんだか笑みがこぼれてくる。「時間」をいま見ているんだという気になる。視線をもどすと、また遠くはるかに霞んでビルが目に入ってくる。
誰もいない屋上。みんな下にいて、みんな建物の中にいて、建物の上には屋上があることなどすっかり忘れて、今日をせっせと生きている。ごくろうさま。

どうして、こんなにも「屋上」に惹かれるのか。
実際は見つかったら怒られそうで、屋上へなどとても上れたことはないのに。小さい頃や恋人時代のデパート遊園地の幸福な記憶なのかな。写真集まで買っちゃってひとりにんまりしては、人ではない「場所」にこんなにも憧れている。
屋上には伸びやかな孤独があって、「しばし」の孤独がある。しばしそこに居て、雑多な日常と人間たちとを切り離して、ひとりで大きく息をついて、そうしてなんとなく折り合いがついたら、自然と人は下りていく。屋上にずっと居続けようとは不思議と思わない。みんな下りるべき時をちゃんと持っている。そろそろ、という気がお腹の底からしてくる。帰るべき場所、下りていく場所があることが生きていくことなんだ、と思うようになっている。屋上のように、何にもなくて、お金もいらなくて、世界を見渡せるだけの、ただ抜けた場所を施錠して立ち入り禁止にしてしまうなんて、ほんとにせちがらくなった。つまらない。
個人的には「病院の屋上」がなんだか好きだ。白いシーツや洗濯ピンチが風に揺れて、ベンチがあって。もしかしたら「病院の屋上」だけは日常と非日常が普通のビルとは逆になっているからかもしれない。
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by zuzumiya | 2010-09-06 09:07 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
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