暮らしのまなざし

複眼のアーティスト、金子国義の世界

a0158124_9464222.jpg小学から中学にかけての頃、体がだんだんと女に向かっていくのを私はひどく嫌った。女の子を越えて、いちどきに成熟した女になるか、もしくは少年になりたかったような気がする。女の子らしさを自分に望まなかったというか、やや憎んでいたりもしたので、私の胸は成長しなきゃならないときにうまく成長しなかった。胸など欲しくないと強く思うとほんとうに私の胸はいつまでも固く熟れてはいかないのだった。たまに女の子同士の会話で「ブラがきつくなっちゃって」と笑って自慢し合っているのを「ふん、くだらない」と思って蔑んでいた。

中性的な存在、どちらの性も内包している曖昧で儚げな存在に憧れていたように思う。ある時期のデイビッド・ボウイのようなグラム・ロッカーたちの両性具有美の虜になった。両方の性が成熟しきらずに合わさった永遠の蒼さ、そこから生まれてくる危うげなエロティシズム。女の子が女になっていく過程で、熟れていくような甘い体臭を動くたびに振りまいていくのが鼻についたし、男の子が男になっていく獣じみて荒れた野蛮な体躯も嫌だった。成熟していく過程はどこかどうしようもなく歪で、くどくて、圧倒的に汚らしい季節を孕んでいると思う。それに比べて、熟れていく前の蒼い実の滑らかさ、凛々しさ、酸味のある香気や気品。両性具有にはそんな時間が止まったようなえもいわれぬ美しさがあった。

この自分の中にある両性具有的なるものへの憧れが引きあわせた画家、それが金子国義さんである。実は私は金子さんの絵も好きだが、なによりお部屋が好きなのだ。このうえなくいい。きっかけはNHKの『美と出会う』という番組だった。たしか谷崎の『陰翳礼賛』にからめて光と影のある和洋折衷なお部屋が紹介された。
絵画はもちろんのこと、人形や貝殻、ぬいぐるみに夥しい量の洋雑誌や写真集。調度品の配置や照明の色みやシェードの襞の微かな濃淡、そして観葉植物の大きさや茂り具合ぜんぶが動かし難く完璧で、とにかくぞくぞくするほど悩ましい秘密の宝石箱のような空間だった。玄関へ向かう植え込みに行灯を置きに出てきた金子さんが粋な着物姿だったのも印象に残っている。

金子さんは複眼のアーティストだ。お部屋もご自身もまた和洋折衷である。金子さんの略年譜を見るとそれがよくわかる。中学時代はミッションスクールに通い、西洋的なものに憧れ、バレエを習うかたわら華道や茶道を習ってきた。高校時代はほとんど勉強しないで、宝塚や松竹少女歌劇に通いつめたり、外国映画三昧の日々を送っていた。また、外国のモード雑誌を買いあさり、スタイル画を描くことに夢中になっていた。大学時代は舞台装置家の長坂元弘氏に師事し、歌舞伎座、演舞場、明治座の芝居や踊りの会に通って、舞台に立ちたいと憧れつつも舞台美術を研究していた。

ほんとに多才で好奇心旺盛な方で年譜を追うたびに面白いほどに和が出たり、洋が出たりでどちらの世界も絶妙にクロスさせ、良質なものだけを取り入れて生きてこられた方だと思う。唐十郎さんとの出会いでは、金子さんは「四谷もも子」という芸名で状況劇場の女役もこなしている。なにか和洋だけでなく男女の垣根もひょいと越えてしまう奔放さがある。

金子さんの複眼には相対するものが常に見えている。「和と洋」「男と女」「美と醜」「都会的と野暮」「静と動」「光と陰」。それからたくさんのキーワード。たとえば、「秘密」「エロス」「聖なるもの」「フランス文学」「虚無」「身体美」「可愛らしさ」「スキャンダラス」「少女」「娼婦」「欲望」「エスプリ」「遊戯」……。複眼に写った様々なものを集合体にしてひとつの像を結ぶ、その絶妙なバランスが独自のアートを生んでいる。

私は金子さんの描く「少女」の世界が好きだ。特に『お遊戯』のシリーズは私の持つ少女のイメージと合致してどきどきしてくる。明るく素直で純潔そうな振りをしつつ、ほんとは我慢ならないほどの好奇心が疼く悪戯好き、猫のように気分屋で残酷、キャンディーを噛み砕くようにわがままで奔放。この少女の世界はどこか複眼的に娼婦の世界を孕んでいる。

しかし、娼婦ほどには淫と傷を負わない。『お遊戯』はあくまで「試し」であり「秘密の遊び」であり「幸福な親密さ」が抜けない。そこのところがまたいい。お医者さんごっこ的なほのかな好奇心、甘い残酷さが白日のもとにさらけ出ていて、しかもそこを成熟する前の女という健やかで涼やかな風が通っている。決してそこには、成熟した肉体と肉体の性交という名の惨劇、血なまぐさい痛々しさ、欲望の闇、退廃、甘美な罪悪といったどぎつさはない。

明るく、伸びやかで、しなやかで、淡々として冷ややか、実にあっけらかんとした空虚さがある。裸になることが解放を生んでしまう幼児性。体をいじくることに甘さはあっても狂おしい痛みにまでは至らないイノセンス。『お遊戯』の少女達の目元が清らかで涼しげなのは、まだ汚されてない蒼い処女の美しさなのだ。

バレエ好きな金子さんが青年の世界を描いている『青年の時代』も少女たちの『お遊戯』と相通じるものがある。青年達の滑らかな美しい肢体にまず目を奪われる。女性という異物を取り込んでいない純粋さに充ち満ちている。特に『選ばれた者』の目隠しをされている青年や『来訪者』のシーツの上にうつぶせに寝ているエロスには神々しいものさえ感じる。イブを知らない頃のアダムの絶対的な美しさ。

それに比べて「娼婦」の世界、『聖なる神』のマダム・エドワルダのシリーズはもっと複雑だ。渦を巻いた毒々しさと激しさと野蛮さと、そしてすべてが奪い尽くされた後の滴る静けさ、死に満ちていくような清らかな美しさを複眼的に兼ね備えている。成熟しきった大人版の退廃的お遊戯とも言える。羽ばたく鶏やつぶれた卵といった生の象徴と矢や糸、ロープや石のような痛みや死への象徴が画面にただならぬ緊張を生んでいる。大人のやらかす「お遊戯」は痛みや破壊を伴ってこそ悦楽、至福なのだ。
アーティストは本来、魂の両性具有者ではないかと思う。どちらの美しさもエロスも手中にする。そしてすべてのものを複眼で見ている。光りも闇も。

a0158124_9481815.jpg
*『金子国義 油彩集』 メディアファクトリー
[PR]



by zuzumiya | 2010-09-05 09:52 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://zuzumiya.exblog.jp/tb/11234634
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
by zuzumiya
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

※このブログの無断な転載はご遠慮願います。

最新の記事

最新のコメント

検索

ブログジャンル

画像一覧