「ろくでなし」と夫婦する
長島有里枝という女性の写真家。
名前だけは知っていたが、どんな写真を撮るのかは知らなかった。調べてみると、スキンヘッドかなんかでセルフヌードでデビューしたらしい(でもちゃんと木村伊兵衛写真賞もとっている)。「すごい、見てみたい!」と思って、今度出版された彼女の最新写真集『not six』を借りてきた。『not six』は「ろくでなし」という意味だそうだ。なんで「ろくでなし」なのかというと、笑っちゃうけど、彼女の5歳年下のアクションスターを夢見る夫の写真ばかりを集めた写真集だから。つき合い始めた頃から今までの、恋人だったり、夫だったり、父親だったりする男の姿を7年かけて撮りためたというか、家にあった膨大なプライベートなスナップを彼女が整理して、夫への思いや自分たち夫婦というものについて考え直しながらまとめた写真集なのだという。
その写真集のなかには当然、日常生活のなかの夫の無防備な姿がたくさん写されている。旅行に行ったときの姿、家で寝ている姿や食べている姿、トイレに入っている姿、風呂上がりの姿、ゲームをやってる姿、そして性交後の姿の写真すらある。それらの写真からは彼女の夫への思い、愛しさや切なさや揺らぎ、近しいけどそれでもやはり自分とは違う別個の人間であることや男という存在であること、そんな二人のさまざまな微妙な距離感というものがそのつど見え隠れしている。アラーキーが「(写真には)自分と相手の関係性がばれちゃう」と言ってるように、一枚一枚止まった一瞬の写真でも見ていくうちに、きっとふたりの間の何かが流れてこぼれ落ちてくるものなのだ。
「最初は、客観的に自分と史君との関係を考えたいと思って作り始めたのに、作っていくうちに生活も気持ちも写真も一緒に、どんどんラクで楽しいものになっていく感じがあった」
「作っていくうちに、この写真集をポップなものにしようと思ってきた。恋愛はちょっと湿っぽいけど、夫婦ってポップでいいと思うから。わからないことだらけだということがわかった、みたいなシンプルな結論に達することができたし、そしたら、そこからスカッとした気分で、楽しむ方へいけた。」
彼女は雑誌のインタビューでそう答えている。私も家族の今まで撮りためてきたビデオをたまに見ると、なんだかうんうんうなづいて、「がんばってきたよなあ、私たち」とか「まだまだやれそうだ」っていう勇気をもらえたりする。
なんか「歴史」というか「たしかな手応え」というか、大げさだけど、ちゃんと夫婦で、家族で、乗り越えてきた達成感めいたものが感じられて、「これでいいんだな」「こういうもんなんだな」と楽な気分になる。それはそうだよね。だって、写真に撮るぐらいなんだから、いい状態しかそもそも映っていないもんな。
異性でもあり、他人同士でもあるふたりが出会って、結ばれて、なんとかかんとか自分たちの居心地のいいように折り合ったり、けんかし合いながら作り上げていく、というか、いつのまにか出来上がっていくのが夫婦という関係だ。
わかろうとするし、わかってももらいたいんだけど、どうしたって体が一つじゃないからわかりあえない部分もあって、それが歯がゆくてせつなくて、ときに絶望的にもなるけど、でも、それは夫という男じゃなくてもよその男でも、女でも親でも子どもでも、結局、他人ならみんな同じなんだと思ってる。私はそう思うから、人生も結婚ももう一度やり直したいとか繰り返したいとは思わない。もう一回違う男とぐちゃぐちゃした自分や恋愛の嵐の時間を過ごそうとは思わない。「男が違えばそうはならない」というのは私の場合絶対思えないし。それに夫という一人の男とまがりなりにも同じ屋根の下でなんとかやってきた時間や歴史は振り返ってみるとすごい貴重だと思うし、それがなんとかできた自分は偉いと思う。そのぐらい、夫婦というごく近しい最小の単位で他人とやりきるのは実は大変なことだと思うんだけど。
私は夫婦になれば生来の孤独から逃れられると信じてた。「神様、世界中でこの人だけでいいですからわかり合いたいんです」と何度も願ったけど、でも、そんなこたぁダメだったね。夫婦になって、夫とやっていけばやっていくほど、お互いにお互いの「像」がなんでだか出来上がっているのがわかって、そこから逃れられなくて崩せなくて、せつせつと孤独感が増した。「ああ、ほんとに違うんだ」と事あるごとに思う。でも違っていて当たり前だし、だからこそ面白いんだし、もっと何とかならないものかという希望も湧く。そんな前向きな瞬間も必ずきてくれて、どうやらそれの繰り返しで離婚しないでいるらしい。でも、いちばんの離婚しない理由は、たぶん、どんなに違っても夫という人間が根っこのところで好きだし、認められるということだろう。近くなったり遠くなったりしながらでも一緒に生きている、生きていたいと思えるのが夫という人間なんだろう。
あと、長島さんのアッパレなところをひとつ。
夫の性器の露出部分については、写真集では消すことをせずに、イラストレーターの京太郎さんのイラストを載せてあくまでポジティブに隠している。他人の夫のおちんちんだけど、決してエログロじゃないんだよ、おちんちんってどこかユーモラスでキュートな愛しいものだよね、っていうおちんちんへの長島さんの気持ちはすごくあったかいし、正直で、とても人間的だ。夏石鈴子さんの『バイブを買いに』の中のおちんちんの描写も愛しさに満ちていて、じーんと胸が熱くなったけど、長島さんのそういう気持ち、すごくいいな。
この人は大事なとこで決して逃げない、嘘をつかない、信じていい、そんな気がするよ。
それにしても長島さんは夫とのことをこんなふうに表現できていいなあ。羨ましい。私も勇気をもらうなあ。
※長島有里枝『not six』、スイッチパブリッシングから。
※でも、この写真集を出版してから、長島さんはこの旦那さんと離婚したような気がする んですけど、違うかな? 最近は『背中の記憶』も書かれて評判を呼んでいます。
名前だけは知っていたが、どんな写真を撮るのかは知らなかった。調べてみると、スキンヘッドかなんかでセルフヌードでデビューしたらしい(でもちゃんと木村伊兵衛写真賞もとっている)。「すごい、見てみたい!」と思って、今度出版された彼女の最新写真集『not six』を借りてきた。『not six』は「ろくでなし」という意味だそうだ。なんで「ろくでなし」なのかというと、笑っちゃうけど、彼女の5歳年下のアクションスターを夢見る夫の写真ばかりを集めた写真集だから。つき合い始めた頃から今までの、恋人だったり、夫だったり、父親だったりする男の姿を7年かけて撮りためたというか、家にあった膨大なプライベートなスナップを彼女が整理して、夫への思いや自分たち夫婦というものについて考え直しながらまとめた写真集なのだという。
その写真集のなかには当然、日常生活のなかの夫の無防備な姿がたくさん写されている。旅行に行ったときの姿、家で寝ている姿や食べている姿、トイレに入っている姿、風呂上がりの姿、ゲームをやってる姿、そして性交後の姿の写真すらある。それらの写真からは彼女の夫への思い、愛しさや切なさや揺らぎ、近しいけどそれでもやはり自分とは違う別個の人間であることや男という存在であること、そんな二人のさまざまな微妙な距離感というものがそのつど見え隠れしている。アラーキーが「(写真には)自分と相手の関係性がばれちゃう」と言ってるように、一枚一枚止まった一瞬の写真でも見ていくうちに、きっとふたりの間の何かが流れてこぼれ落ちてくるものなのだ。
「最初は、客観的に自分と史君との関係を考えたいと思って作り始めたのに、作っていくうちに生活も気持ちも写真も一緒に、どんどんラクで楽しいものになっていく感じがあった」
「作っていくうちに、この写真集をポップなものにしようと思ってきた。恋愛はちょっと湿っぽいけど、夫婦ってポップでいいと思うから。わからないことだらけだということがわかった、みたいなシンプルな結論に達することができたし、そしたら、そこからスカッとした気分で、楽しむ方へいけた。」
彼女は雑誌のインタビューでそう答えている。私も家族の今まで撮りためてきたビデオをたまに見ると、なんだかうんうんうなづいて、「がんばってきたよなあ、私たち」とか「まだまだやれそうだ」っていう勇気をもらえたりする。
なんか「歴史」というか「たしかな手応え」というか、大げさだけど、ちゃんと夫婦で、家族で、乗り越えてきた達成感めいたものが感じられて、「これでいいんだな」「こういうもんなんだな」と楽な気分になる。それはそうだよね。だって、写真に撮るぐらいなんだから、いい状態しかそもそも映っていないもんな。
異性でもあり、他人同士でもあるふたりが出会って、結ばれて、なんとかかんとか自分たちの居心地のいいように折り合ったり、けんかし合いながら作り上げていく、というか、いつのまにか出来上がっていくのが夫婦という関係だ。
わかろうとするし、わかってももらいたいんだけど、どうしたって体が一つじゃないからわかりあえない部分もあって、それが歯がゆくてせつなくて、ときに絶望的にもなるけど、でも、それは夫という男じゃなくてもよその男でも、女でも親でも子どもでも、結局、他人ならみんな同じなんだと思ってる。私はそう思うから、人生も結婚ももう一度やり直したいとか繰り返したいとは思わない。もう一回違う男とぐちゃぐちゃした自分や恋愛の嵐の時間を過ごそうとは思わない。「男が違えばそうはならない」というのは私の場合絶対思えないし。それに夫という一人の男とまがりなりにも同じ屋根の下でなんとかやってきた時間や歴史は振り返ってみるとすごい貴重だと思うし、それがなんとかできた自分は偉いと思う。そのぐらい、夫婦というごく近しい最小の単位で他人とやりきるのは実は大変なことだと思うんだけど。
私は夫婦になれば生来の孤独から逃れられると信じてた。「神様、世界中でこの人だけでいいですからわかり合いたいんです」と何度も願ったけど、でも、そんなこたぁダメだったね。夫婦になって、夫とやっていけばやっていくほど、お互いにお互いの「像」がなんでだか出来上がっているのがわかって、そこから逃れられなくて崩せなくて、せつせつと孤独感が増した。「ああ、ほんとに違うんだ」と事あるごとに思う。でも違っていて当たり前だし、だからこそ面白いんだし、もっと何とかならないものかという希望も湧く。そんな前向きな瞬間も必ずきてくれて、どうやらそれの繰り返しで離婚しないでいるらしい。でも、いちばんの離婚しない理由は、たぶん、どんなに違っても夫という人間が根っこのところで好きだし、認められるということだろう。近くなったり遠くなったりしながらでも一緒に生きている、生きていたいと思えるのが夫という人間なんだろう。
あと、長島さんのアッパレなところをひとつ。
夫の性器の露出部分については、写真集では消すことをせずに、イラストレーターの京太郎さんのイラストを載せてあくまでポジティブに隠している。他人の夫のおちんちんだけど、決してエログロじゃないんだよ、おちんちんってどこかユーモラスでキュートな愛しいものだよね、っていうおちんちんへの長島さんの気持ちはすごくあったかいし、正直で、とても人間的だ。夏石鈴子さんの『バイブを買いに』の中のおちんちんの描写も愛しさに満ちていて、じーんと胸が熱くなったけど、長島さんのそういう気持ち、すごくいいな。
この人は大事なとこで決して逃げない、嘘をつかない、信じていい、そんな気がするよ。
それにしても長島さんは夫とのことをこんなふうに表現できていいなあ。羨ましい。私も勇気をもらうなあ。
※長島有里枝『not six』、スイッチパブリッシングから。
※でも、この写真集を出版してから、長島さんはこの旦那さんと離婚したような気がする んですけど、違うかな? 最近は『背中の記憶』も書かれて評判を呼んでいます。
by zuzumiya
| 2010-09-05 09:01
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by zuzumiya
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