暮らしのまなざし

平松洋子さんの滋味

a0158124_10534769.jpg前から気になっていたフードジャーナリスト、平松洋子さんのエッセイ『夜中にジャムを煮る』を読み終えた。
食についてのエッセイは、自分がそんなに食には拘らない方なので(いま、そう公言するのは結構、恥ずかしいことみたいだけど)今まであんまり自分でも書いてこなかったし、読んでもこなかった。それでもお気に入りはあって、どれか一冊おすすめを言われたら、いつでも筒井ともみさんの『舌の記憶』を推す用意はある。
平松洋子さんを読み終えたから、次はねじめ正一さんの『我、食に本気なり』を、そして石田千さんの『きんぴら ふねふね』へと、このまま食エッセイのジャンルにこだわって読み進んでいく予定である。
なんで今さら食のエッセイと騒いでいるのか。
急に家庭的になって料理に目覚めたから、というわけではなくて、そうだなあ、たぶん、ひょっとしたら、いま私はすこぶる人恋しい状態だから、ってことなのかもしれない。
料理のレシピが知りたいわけでも、美味しいお取り寄せや通好みのお店の情報を知りたいわけでもない。でも、食のまわりには自然と人がいて、醸し出す「物語」があるものだ。食べることのまわりで人をぐっと身近に感じる、人の営みの親しさ、愛おしさを感じたい。
生まれてこの方ずっと食べて生きてきたわけで、食というのはそれだけ誰にも通じる、垣根のないなじみ深い話題だ。だからこそ、嘘も恰好つけもできない。たとえ食べたこともない外国料理や入ったこともない通っぽいお店の話ですら、そこにはなんとはなしに書き手その人の「人となり」が見えてしまう。育ってきた背景や大袈裟に言えば人生哲学や価値観や、そこまでいかなくとも日々の生活に対する思いのあれこれなんかが感じられて、食のエッセイは、何よりも書き手の人柄、人間性がまさにまるごと滋味となって、如実に出てしまうジャンルなのだ。
「同じ釜の飯を食べた仲」と言われるように、結婚を決めた理由のひとつに「食べ物の好みがいっしょだったから」があるように、同じものを食べているただそれだけで不思議なことに絆まで育まれていく。「食べ物が取り持つ縁」というのは意外に強いものかと思ったりする。食のエッセイ本のなかでも、書き手と読み手が食べ物を間にして、より親密になってうんうんと頷き、「この人の言うことなら信じられそう」と肩組みをして打ち解けていく瞬間を、何度も味わえる。

「酒の肴はちょっとものさびしいくらいが好きである。焙ったお揚げにはなんとはなしにひなびた風情がまとわりつき、あたりの空気がしんと鎮まる。けれどもいったん箸でつまんで味わえば、たしかな滋味をじわりと滲ませて満足をもたらす。これがいったいに酒を引き立てる肴の条件であり、ごはんのおかずとの境界線ではないか。」
(「飲みたい気分」より)

「越えてはいけない一線はどんな食べものにもあるけれど、くだものの場合はなぜだろう、崩れ果ててしまった甘みに無惨な気持ちを味わう。ひどいことをしてしまった。肉や魚や野菜のときとは微妙にちがう、うぶなものを踏みつけにして泥で汚してしまったような後味の悪さ、後ろめたさ。陵辱という二文字さえ浮かんでしまう。」
(「夜中にジャムを煮る」より)

「忘れられない子どものころの風景がある。あれは五歳のころだったか。わが家は新築工事のまっ最中で、忙しく立ち働く大工さんたちの姿は日がな眺めていても飽きることがなかった。とりわけ私が最も心待ちにしたのは、きっかり午前十時と午後三時にやってくるお茶の時間であった。母が土瓶と湯呑みをお盆にのせて運んでくる。
「さあ、ひと息入れて下さいな」
それを合図にあわただしい建築現場の空気はにわかに固い結び目をほどいたようになごみ、あたかも舞台はどんでん返し。みなそれぞれ、湯呑みとお菓子を手に、三々五々腰を下ろす。熱いお茶をごくり。ああうまい。昭和三十年代もそろそろおしまいに近づきかけていた。冬の日溜まりのなか、お茶の時間はたぷたぷ波間をたゆとうような穏やかなぬくもりに包まれていた。」
(「お茶にしましょ」)

「喪服を着て飲み食いする。そしてもう決して会うことのないひとを身近に求め、切実な親しみを募らせる。大勢で卓を囲んで箸を動かしながら、みなひとりひとりひそかに、旅立っていったひとをこころに呼び戻す。昔なら「なんだ、葬式で飲み食いなんかして」と嫌っていたが、今はちがう。ほんの少しでも食べることで、身を裂かれるようなさみしさにほんの少し血が通う。舌の上にのせ、歯で咀嚼し、唾液を湧かせ、ごくりと飲みこみ、
味わいを感じ取る。すると冷え冷えとした哀しさにしだいにぬくもりが通いはじめる。」
(「ひとりで食べる、誰かと食べる」)

平松さんのこういう感じ方が大好きだ。
フードコーディネーターとして、紹介した料理のレシピも、お店の情報も巻末にあるにはあるのだが、もちろん私はぜんぜん見てない。
食そのものの紹介より、申し訳ないが、それにまつわるエピソードや個人的な思い、感じ方のほうに私のアンテナは傾く。たとえば、夜ふけの静けさのなかでジャムが煮たくなってしまう、そういう平松さん。「ひとりピクニック」が好きで公園のベンチでコロッケパンを頬張って、照れるほど幸福な風景に酔ってしまう、そういう平松さんの人柄が好きなのだ。
この人のそういう持って生まれた感受性、伸びやかな五感が実に面白いと思う。
きっと食のネタをはなれても、この人ならいろいろと書けるにちがいない。でも、こういう人だから、食みたいな人間の本能の基本中の基本のところに、ばんっと立って、生きてることを噛みしめ味わうように書いていたいんだろうなあ。
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by zuzumiya | 2010-09-04 10:57 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
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