暮らしのまなざし

彫刻という名の鏡、舟越桂さんの世界

a0158124_17184363.jpg自分の姿を見ることのできるものといえば、すぐ思いつくのが鏡である。しかし、鏡というのは一日どのくらい見つめて暮らしているかというと、時間的にはそんなにないようだ。見る機会はそれなりにあっても、ほとんどの場合、自分の姿形のおおよその確認程度で終わる。鏡を前にして自分の顔と何時間もずっと向き合っている、向き合っていられるものではない。それでもときどき思う。自分の姿をじっくり自分で見てみたい。

デパートの化粧室に行くと、三面鏡があってくれる。ちょっと視線をずらせば、自分の右側の姿と、左側の姿が見られる。ああ、私はこんなふうに人から見られているのかという新鮮な驚きがあって、このときは自分が体から抜け出て自分の傍らに立っている気がする。それからもうひとつ、家の近くのジーンズショップの試着室の鏡。ドアの所にも鏡が付いていて、自分の後ろ姿を見せてくれる。自分の後ろ姿など、めったに見られるものではないので行くたびに不思議な気がする。

でも、私がいちばん見てみたい自分というのは、物思いに耽っているときの、心ここにあらずの自分である。ぼんやりとした顔の表情と何かを見るともなく見ている目つき、半開きの口。こればかりは鏡ではダメだ。物思いに耽っているときの表情だけは他人しか見ることができない私なのだ。

舟越桂さんという彫刻家がいる。
楠で人間を彫っている。彩色も施し、目には人工大理石を入れて、裸像ではなくその人らしさが出ているようなシンプルな衣服を纏った姿、大抵は上半身ほどを作っている。彼の彫刻はどこか遠くを見つめているような、何かを湛えた、静かな美しいまなざしをしている。舟越さん自身、このまなざしについては思い入れがあるようだ。「遠くを見ているような人の表情は昔から気になっていたのだが、結局いちばん遠いところにあるものは自分自身であり、したがって遠い所を見る目はイコール自己を見つめている目だと思う。そのような目に見えるとよいがと思って作っており、この目がまた表情に静けさを与えているのかもしれない。」(舟越桂著『言葉の降る森』より)

私も舟越さんの彫像のまなざしには深く惹かれるものがある。見つめていると、時が止まったようになり、いつまでも見つめていたい、またいつまでも見つめていられる気がする。舟越さんはこうも書いている。「人間の姿を通して、人間だけにとどまらないもっと大きなことを語る彫刻、具象でありながら抽象的な広がりと奥行をそこに込められたらと思う。物が存在するのはこういうことかと感じてもらえるような彫刻に近づくことができるとよいと思う。」(『言葉の降る森』より)

抽象的な広がりと奥行というのは、たぶん私の「時が止まったような」という感覚であり、彫像の一個体に内包されている沈黙の重みであり、宇宙のような気がする。多くの人が彫像のまなざしについて何かを感じるようだが、私はそのまなざしを支えているものとして、上半身の広さ、豊かさを忘れてはならないと思う。

『黒い山』や『山について』の深みのある黒い体、『バベルの空』の薄暗く憂いのある空色の体など、個体として確かに中に広がっている宇宙の奥行を感じる。特に『バベルの空』のまなざしは体が表現しているところの、内側の虚空を見つめているのではないかという気もする。舟越さんのいう「遠いところを見る目はイコール自己を見つめる目」を素直に感じるのだ。物体として確かな迫力と存在感をもって、しかし静かな永遠の時を湛えてひっそりとそこに在る、というのが舟越さんの彫像だろうか。

舟越さんの彫像を見ていると、不思議なことが起きる。彫像自身はどこか遠くを見つめて内なる宇宙へ深く降りていくような静かな姿をしているのだが、それを見つめていると、まるで物思いに耽っている時の、心ここにあらずの自分を自分でまじまじと見つめているような感覚に襲われるのだ。

そして今度はある疑問が湧く。私が彫像を見つめている姿、まなざしというものはどんななのだろう。それは、舟越さんの最新作『雲の上の影』に在ったような、姉妹とおぼしき女性ふたりが見せたまなざしの交差だろうか。彫像は私を越えて遠くを見つめている、私はまた彫像の先に自分自身を見つめている、そういうふたつの遠いまなざしの交差。そうして静かに、時の流れは止まって、永遠を閉じこめたような私たちの沈黙の宇宙ができあがる。

書いていてふと気づいたのだが、舟越さんの彫像は時として仏像に近いニュアンスがあるようだ。仏像の、絶対の静けさの中に何処を見るともなく薄く開かれた目、微笑をかすかに湛えたくちびる。「灯明のように、自分と真理をよりどころにして生きよ」と言い残し生涯を終えたお釈迦様も内なる旅人であった。

舟越桂さんの彫像は、私にとって、なにか写せないはずの自分自身を写してしまえるような、普通なら見ることができないもう一人の自分をじっと見つめることができるような、魔法の鏡のような存在なのだ。
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by zuzumiya | 2010-09-03 17:24 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
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