土っ気の詩人〜木山捷平さん〜

a0158124_10581749.jpg自分の中の「土」が乾いてひび割れてきたな、と思うと木山さんの詩集を手にしている。そして、おとっつあんやらオカアやらおしのさんやらおこよをばさんやら多吉やら牛やらみみずやらに私の「土」をよく耕して肥えさせてもらう。耳を澄ましていると、「ドッテンドッテンエンヤラサ」というみんなの歌声が聞こえてくることもあるし、みみずがぴんぴん跳ねているような快感もある。じょろじょろと熱い牛の小便を浴びたり、風が吹いて、とんぼが横切るのを感じる。

静かだな、と思うとみんなが汗を拭き拭き、車座になって麦飯を食べている。「今日はおてんと様がでとるし、風がよう吹いて気持ちいいのう」なんて笑っている。「ところで、あんたんとこは、この畑に何をつくりなさるね?」と私に聞くから、考えていると、横から「大根がええ」だの「唐人芋っさ」だの声が飛ぶ。「はてさて何を作ろうかねえ」としばし考えるふりをする。ほんとは何も作らなくていいんだけど、お百姓を前にしてそんな罰当たりなこと言えないから、ただ考えている。「わし、花がええ。綺麗な花をいっぺえ咲かせてえ」おしのさんが両手を広げる。「そうだなあ、花もいいねえ」と私も嬉しくなる。「なんにしても、土だが、土!」とおとっつあんが唸るように言って、それを合図にみんなは立ち上がり、私の「土」を再び耕しに行ってくれる。

木山さんという人は生涯「土っ気」があったと思う。「土の中から」という詩では、

 おらら百姓 
 土の中から生まれたおらら
 さあ皆んなで手をつなげ
 みみずのやうに
 ぴんぴん
 ぴんぴん
 やろうぢやないか

と、はっきり自分の出自を大らかにうたっている。木山さんは「土っ気」の人ではあったけど「大地」の人とは思わない。なぜなら彼はそんな大きな詩を書く人ではなかったからだ。ただ土の温かみを知っているし、日々土にまみれて奮闘するお百姓たちの手肌の温かみを、そしてそこから生まれてくるまるまるとした唐人芋や大根の温かみを知っていた。すなわち、小さくても根太いいのちを知っていた。だから彼は雄々しい「大地」の人というよりも「田畑」や「あぜ道」の、まず手足に親しい土の人であり、たとえ文学を志して上京しても病に伏しても、お百姓の爪に洗ってもとれない土の色が染みこんでいるように「土っ気」が生涯とれない人だった。

木山さんの「土」は人も作物も草もみみずも育む故郷のいのちの源だから、とてつもなく健やかだ。だから、木山さんはときどきすごく色っぺえな、と思う。いやらしいというのではなく、健やかで大らかであっけらかんとした、人間のごく当たり前の性を感じるのである。読んでいると、たとえば、さっき畑で大根をひん抜いてきたばかりのごっつい手で下腹をまわるく撫でられているような、もわもわっとした温かみを感じる。このまま孕んでしまうんだろうなあ、というような安らかさで、くすくすと笑いたいような気持ちになるのだ。
 


南洋から帰つた人が僕に話した。
「あつちでは
夫婦であつてもあれをする時
きつと戸外(そと)へ出かけて行く。」

その話は僕をたいへん喜ばせた。
月の明るい晩
青い草つ原に出て
あれをしてゐる南洋の土人を胸に描いた。

僕は不思議にきよいものを感じた。
そして何だか無上(むしやう)にうれしかつた。

「蝶蝶」にも「おしのの腰巻き」にも「たうもろこしのひげ」にも「をなご」にもこの大らかな寛き性を感じる。これらの木山さんの詩を読んでいると、性というのは飯を食ったり、糞をひったりと同じ生きるための本能であって、いのちを愛おしい、いたわりたいと思う分、つくづくせつなく、美しい本能だとも思う。

木山さんの健やかなる「土」が育んでいる無垢についても、私は羨ましい。「土の中から」もそうだが、「蚯蚓の詩」や「蝉の詩」などには自らを重ね合わせてもいるのだろう、腹の底から振り絞る声援を、そして「メクラとチンバ」「さつまいもの花」には胸が締め付けられるような美しさを、「あんまの金さん」「阿呆の伝やん」には「無垢なるもの」への懐かしみや敬愛の情が混じっている。

さつまいもの花

さつまいもに
さつまいもの花が咲いてゐる。
さみだれのふる日
しよんぼり
みのかぶつておしのが植ゑたさつまいも畑の
さつまいもに
さつまいもの花が咲いてゐる。

木山さんは東京にいたって、いくつになったって「土っ気」がとれず、どんな詩を書くにしても詩を書くときは自らの中にある、ふるさとのいのちの「土」をいじりながら、それが育んだ様々な恩恵でもって書いていたように思う。かつての「ふるさと」という詩の中に私は木山さんの究極の「土っ気」を感じてしまう。
 
 わらびをとりに行つて
 谷川のほとりで
 身内にいつぱい山気を感じながら
 ウンコをたれて見たいのう。
 ウンコをたれながら
 チチツ チチツ となく
 山の小鳥がききたいのう。

木山さんは64歳まで生きて、今、岡山県笹岡市の故郷の山、長尾山で温かな土の中に眠っている。あんなに故郷が好きだった人だから、さぞや嬉しいことだろう。
笑いながら、みみずとぴんぴんごっこをしているのかもしれない。

※『木山捷平全詩集』 講談社文芸文庫より
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by zuzumiya | 2010-08-28 11:03 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
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